■武・演・壊■  武円会 前編



 その報がもたらされたのは、七月の半ばを過ぎた20日。考査がすべて終了し、今日で学校に登校するのも終わりという、終業式の朝だった。

 一年四組の大野各務がそれを知ったのは、いつものメンバーからだ。
 昇降口で上履きに履き変えている途中で、肩を叩かれる。親しくない人間にそれをされたことは今まで一度だってない。だから、いつものメンバーだと知れた。
「カガミ、重要ニュース!」
 語尾を断定的に止め、クラス(学年)でいちばん背の低い須磨柊が笑顔で言った。
「ユイカっち、武円会に出席決定!」
「うそ、まじ? 誰とっ!?」
 柊の重大ニュースに反応し、答えたのは三ノ宮飛水だった。茶髪のウェーブがかかった髪は、点灯の下では鈍く輝いている。
 何時の間に来ていたのだろうか。すでに上履きに履き変えて立っていた。
 柊は飛水の存在に気付いていたのか、各務ほどには驚いていなかった。
「最初の演武だけだけど、見る価値あり」
 三人で固まって廊下を歩く。一年生の教室は一階にある。
「だから、誰とだって。生半可な相手とじゃ、怪我するぜ」
 その意見には、各務も賛成だった。彼女は、女性らしく細い体付きをしているが、男も顔負けの馬鹿力を持っている。

「・・・・・・トドロキカズナリ」

 飛水の歩みが止まった。自然と残りの二人の歩みも止まる。
 が、飛水はまた歩きだした。沈黙を守り、早歩きのペースで教室まで進む。
 各務は、相手の名前を聞いて「まさか」と思った。でも、それ以上にない『当たり』の選択だとも思った。
 一年四組のプレートが填められた教室に三人は入る。学期末最後の日だけあって、集まりがいい。すでに半分が埋まっていた。
 各務、飛水、柊の席は、窓側の後にある。
 いつものメンバーの、残り二人はすでに席に座り、談笑していた。
「セイガ、リン、おーす!」
 柊があいさつを掛けた。飛水は二人を無視して机に座った。
「おーす、柊くん。今日も元気やなぁ。飛水くんもおーす。大野くんもおーす」
 関西弁で答えたたのは、若生凛。六月の転校生だ。
「おはようございます」
 丁寧に三人に頭を下げたのは八条清雅。凛の幼なじみで、クラス委員長も努めている。背中まで流れる黒髪は、烏色でとても美しいと、女子男子共に評判だ。
「飛水くん、なんか、元気ないなぁ。どないしたん?」
「若生さぁ、轟一成って、知ってる?」
「トドロキカズナリ? えーと、二年生の・・・・・・?」
 自信がなさそうに、凛は答えた。
「そ。その轟センパイ。若生は何で知ってんの?」
「ほら、俺、砂原先輩ンとこ、よく行くやん。やから、現場よく見んねん。先輩らって、ほんま、仲悪いんやな。相性が悪いんかな。会ったら絶対喧嘩しとる」
 砂原唯香。2年。弥瑛西校生徒会副会長。生徒会長よりもお祭り好きで、よく目立ち、かつ優秀で、頼りになる。だから彼女は在校生から『生徒会長』と呼ばれている。本当の生徒会長は、滅多に表舞台に出てこない。
 そんな砂原先輩は、凛の特殊な『能力』 ――― 特技 ――― の師であった。
「だよなぁ? だからさ、それはありえねぇんだって」
 最後だけ、柊に向かって飛水は言った。どうも、それが言いたくてここまで沈黙を守っていたらしい。各務にはとうてい真似できない凝った行為だった。
「オレっちだって、最初は同じ意見。けど職員室で藤崎先生が言ってた」
 膨れ気味の頬を隠しもせずに、柊は自分に自信を持って答えた。
「え、え? 何なん? いったい、何の話っ?」
「武円会に生徒会長と轟先輩がコンビで出席するんだってよ」
「ええっ!? コンビで!!?」
「な。ありえねーだろ?」
 凛の過剰なまでの驚きに、してやったりと飛水は首肯いた。
 冷静沈着が売りの清雅も、その情報には驚愕を隠せなかったのか、目を丸くしている。
「でも本当! カガミは信じてるっ!」
 な、と求められ、返事に困る各務。もともと喋るのも考えるのも面倒な各務は、その件に関してはすでに受け入れられてしまっている。反対する意見はあったとしても、思いつくのも面倒だった。
 だから、重力のままに頭を下げた。
「ほら!」
「確かに、砂原先輩と轟先輩ならば、これ以上にない組合せですが・・・・・・」
 清雅が曖昧にも首肯くと、飛水も一応答えた。
「堂本先輩は表に出たがらないからな」
 転校して来たばかりの凛は、堂本先輩なる人物も轟先輩の実力も知らなかったが、とりあえず、基本から聞いてみることにした。
「なあ、ちょっと聞いてもええ?」
「何だ?」
 尋ねた飛水だけではなく、清雅や柊まで身を乗り出してきた。

「そもそも、ブエンカイって、何やの?」

 身を乗り出した全員が、そのまま前のめりに倒れた。

+++++++++++++++++
 事の発端は、昨日の放課後まで遡る。
 その日、生徒会副会長の砂原唯香は、明後日に迫った夏休みの間の大会等の部活動について、一応の見通しが付いたぐらいの書類を完成させたばかりだった。さらに、その書類を生徒会監督に渡しに行く途中だった。
 言うに漏れず、唯香はご機嫌だった。
 明日は終業式で、今日までにすべての答案は返され、明後日には夏休みが待っている。
 待遠しくない奴はいないし、機嫌がいいのは何も、唯香だけではない。さすがに親と一緒に住んでいる実家組は、成績表と共に家に帰るのが億劫な奴もいるが、それはそれ、成績が悪い奴だけで、それ以外なら誰だって浮かれていた。
 そこで『奴』に会うまでは。
「む・・・・・・」
 最初に気付いたのは、相手の方だった。そして立ち止まる。一瞬後に唯香が気付き、同じく立ち止まる。
 無視してそのまま進めばいいのだが、それが出来ない不器用な二人でもあった。
「砂原、廊下の真ん中を王様気取りで歩くのは、他の生徒の邪魔になる。もっと端に寄れないのか」
「トドロッキーこそ、何をそんなに怯えて端を渡る?」
「変な渾名でおれを呼ぶな。おれにはちゃんとした轟一成という名前がある」
「親しげな感じが出て、いいじゃないですか」
「おかげで下級生にもその名前で呼ばれる始末だ。どう責任を取ってくれるつもりだ!」
「怖いイメージが付き纏うよりは、マシでしょう」
「その腐った性格、叩き直してやるっ」
「その古くさい考え方、いい加減、改めたらどうです?」
「お前はなんでもかんでも、いい加減にしすぎだ!」
「そのぐらいでなきゃ、今の世の中、生きていけませんから」
「知った風な口を聞くな」
「トドロッキーよりは世間慣れしてますよ」
「その名で呼ぶなと何度言ったら判るんだ!!」
「いちいち反応を返してくれるものですから、呼ばれたいと思っているのではないかと、こちらは理解しておりますが」
「そんなわけ、ないだろう! その馬鹿丁寧な喋り方、止めろ。虫酸が走るっ」
「そう言われましても、癖みたいなものですからねぇ」
「嘘を吐け! ベースの喋り方がちゃんとあるだろーが!」
「あらあら、意外とものを知っているじゃない。『ベース』だなんて、ちゃんと意味を知って使っているのかしら?」
 話し方も調子も変え、皮肉をいっぱいに振り掛ける。
 これには轟も、堪忍袋の緒が切れそうになった。
「砂原 ―――――――― っ!!」
「小さい身体に似ず、大きな声だこと!」

 耳がつぶれない範囲まで唯香は後に下がり、言い返した。
 仲が悪いわけじゃない。付き合いが薄いわけじゃない。お互いのことは、お互いが知っている自分の分ぐらい理解している。
 ただ、生理的な相性を除けば。
「今日という今日は許せん!」
「いったい何様が許すって!?」

   「―――― おい」

「勝負だ!」
「すぐにそういう方向に持っていくのは止めてくれませんかっ? 時代遅れな!」

 「おい。お前ら ――――

「しきたりを重んじろ、迷惑最低女!」
「それはこっちの科白だ、迷惑最低男っ!」

「お前ら、いい加減にしろ!!」



 明るい職員室の中。
 部屋の真ん中あたり、砂原唯香と轟一成は並んで立っていた。二人が立つ前には、回転椅子に座って腕組みをしている教師が一人。
 生徒の顔は、説教を受けるときの神妙な表情ではなく、「なぜ自分が」という憮然とした表情だった。
 そして向かい合っている教師の表情も、怒りではなく、どうしようもないあきらめの境地でもあるような、悟り切っているような表情であった。
 放課後とはいえ、職員室にはかなりの教師がおり、生徒も数人、出入りしている。
 彼らは、この三人を見て、「またか」と苦笑している。
「もう、何も言う気にならん。言ったところで、無駄だ。お前たちのその相性の悪さは、どうにもならない。昔っからそうだ」
「藤崎先生、その科白も聞き飽きました」
 唯香の隣で、轟も首肯いた。
 基本的に、二人は意見さえ合えば喧嘩をしない。仲がいいと言ってもいい。なら何故いつも喧嘩になるのかと言えば、これはもう、条件反射としか言いようがない。


 小学校に上がる前から同じ藤崎道場に通っている二人は、付き合いも長い。最初から気が合わなかった、かと思えば、実は仲が悪くなったのは小学校に上がってからだ。意外や意外、轟は唯香のことを率先して面倒を見ていたぐらいなのだ。唯香も、その分頼っていた。
 ここで、お互いの齟齬に気付けなかったのが、地獄の始まりだった。
 轟は弱いものを守るよう、両親から、道場の師範から、言聞かせられていた。ゆえに、同じ年とはいえ、女の子で少々身体が弱い唯香を守るのは、至極当然のことだった。
 反対に唯香は、身体が弱いために守られるのは、当時当たり前のことだった。彼女にとって、周りの人間は自分を守るべきだという思い込みがあった。唯香にとって、自分と自分以外という認識でしかなかったのだ。
 だから、唯香を守っているのは轟だけだと知らなかったのだ。単に唯香は守ってくれている人に楽だから寄り掛かっていただけで、その人が誰なのかはまったく意識外だった。
 身体が弱く小学校には満足に通えなかった唯香が、初めて学校に足を踏み入れたのは2年生の三学期。その頃には道場にも通わず、身体を治すことに専念していた。
 幸か不幸か、唯香のクラスには轟がおり、しかも隣の席であった。
 唯香の身体の調子を熟知している轟は、学校でも唯香を見守ろうと、いつものように唯香に笑い掛け、いつものように話し掛けたのだ。
 その時の唯香の返事が、こうであった。
―――― どなたかは存じ上げませんが、馴々しく話し掛けないでくれますか?」
 唯香は、轟が誰なのかを、認識していなかった。その姿でさえも。
 轟は馬鹿丁寧なその口調に、過敏にもそれを悟った。彼女が実は何も覚えようとしていなかったことを、知ってしまった。子供だった轟は、深く心に傷を負ってしまう。
 以後、二人の関係は劣悪になり、今の状態を維持している。



     

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