■武・演・壊■  武円会 後編

 

―――― これは、何ですか?」
 唯香の目の前に出された、一枚の安っぽい紙。近すぎるので文字は読めないが、下の方に簡単な地図が描かれているのが解った。
 手に取り、プリントを顔から離して、改めて眺める。
 隣では、轟もプリントを見て、唸っている。
 唯香も、唸りたくなってきた。彼と同じことをしたくないから止めたけど。
「今週末に開かれる武円会の前座を、引き受けてもらう」
「「嫌だ」」
 即答だった。
 轟も唯香も、絶対にお断わりだった。
「藤崎先生。そもそも砂原は、破門された身です」
 轟の言葉に、唯香は大きく首肯いた。
 『武円会』
 それは藤崎道場門下によって行なわれる、半年に一度の発表会みたいなものである。参加者は予選に勝ち抜いた選りすぐりの門下生、六名。トーナメント制で行なわれる武円会は、その年の覇者を選ぶと同時に、半年分の月収もなしになる。
 頑張らない奴はいない。何よりも、子供よりも親が燃える。
 その武円会の前座を、藤崎先生はしろと仰っている。つまり、会場をあたためておけと言っているのだ。
 約十分に及ぶ演舞は、かなりの実力で、お互いの実力が同じ者同志、さらに相当気が合わなければ失敗する恐れがある。しかも、ぶっ付け本番、リハーサルなし。いくら何でも無理というものだ。
「砂原の破門に関しては、トーナメントに出場するわけではないから免除される」
 唯香の破門は、唯香の身体を思いやってのことである。それは、全員が知っている。
「なら、砂原と堂本で行なえばいいでしょう」
「そういうわけにもいかない。そもそも、堂本は藤崎に身を置いていない」
 堂本は、堂本碧乃といい、唯香の唯一無二のパートナーである。
「轟と実力が競り合う者は何人かいるでしょう」
 今度は唯香が述べる。が、これにも拒否される。
「轟の実力と見合う者は、トーナメントに出場している」
「そういえば、何故轟は武円会にエントリーしていないのです?」
 それには轟が答えてくれた。
「今回の予選には、もとより出場していない。俺は毎回出ているからな、公平を期すために、辞退した。次は出る」
「・・・・・・こんな時に」
 お嬢様ルックスの美少女には似合わない舌打ちを、思わずする。
「出場するのか、しないのか」
 藤崎先生の最終宣告に、二人は苦渋の表情ながら首肯いた。
「出ます」
―――― 引き受けました」
 かくして、このように武円会の演舞出場が決まったのであった。

+++++++++++++++++
 楽しい週末。武円会当日。
 この日は晴天だった。雲がうっすらと残る快晴だ。
 反対に、弥瑛学園西校生徒会副会長の砂原唯香の心は、灰色の空で曇っている。
 待ちに待ちたくなかった日が、ついに来てしまったのだ。
 すでに会場には観客が詰め掛けており、席はほとんど埋まった状態になっている。開始までまだ時間はあるから、もしかした立ち見も現れるかもしれない。例年どおりなら、空間がそこそこにできる程度しか人は集まらないというのに。
 その原因に自分があると思うと、ひどく切なかった。
 エントリーされている同じ道場の門下生と一つの控え室を貰っていることにも、唯香の心に暗いものを差している。

(男子と女子を分けるぐらいはしてくれよ)

 たしかに着替えには別の部屋を貰っていたが、待つのは一つの部屋だ。どうあっても、轟一成と顔を会わす羽目になってしまう。
 部屋の端と端に自分たちのスペースを作った唯香と轟は、この会場に来てから、一度も向かい合って顔を合わせはしなかったし、話しもしなかった。普段の永遠に終わらない悪口も、ぴったりとされなかった。
 間に挟まれた形の六人の出場者は、居心地悪い気分で固まっている。試合前の集中など、二人の関係が気になって、それどころじゃない。控え室を分けてくれと言いたいのは、主にこの六人の方であった。
 同じ門下生として、頼りになる尊敬すべき先輩。門下から離れたものの、今だ憧れの対象になっている先輩。
 藤崎道場の門下生は、ほとんどが弥瑛西校の生徒だ。この二人の演舞を期待しているのは、何も観客だけじゃない。二人の関係を間近で見続けてきた彼らこそが、いちばん期待し、楽しみにしていた。
 それがどうだろう。
 この二人、いつものように喧嘩をしないのだ。いつもの喧嘩は、二人にとっては挨拶のようなものだ。だから周りの人間も止めないし、囃し立てもしない。それはいつもの風景で、必要不可欠な場面でもあった。
 だから、みんなは考える。もしかしたら、本当に喧嘩しているのではないか。演舞の打ち合せで意見が合わなくて、そのままぶっ付けになるのでは?
 ありえる話だった。いや、絶対にそうだ。それ以外にありえない。
 異様な緊張感が、控え室に充満している。空調が効いているのに、なぜか熱い。なのに、流れる汗は冷たい。
「おーい。準備はいいか」
 そんな空気を台無しにしてくれるのは、弥瑛の生徒で、雑用に駆り出されている剣道部の主将だった。
「トドロッキー、砂原ちゃん、時間だってさ」
 剣城博正、弥瑛西校二年。唯香たちの同級生で、かなりしつこい性格の持ち主。
 女子生徒に人気の甘いマスクと、常に身につけているヘアバンド。彼の象徴であるそれらは、すでに彼の一部となっている。
「剣城」
 轟が嫌そうに顔を歪めた。自分のあだ名が定着してしまっていることに、今更ながら文句を言おうと口を開く。
「おっと、今はそれどころじゃねぇって。砂原ちゃん、そっちは」
 轟の準備が整っていることを確認して、唯香に顔を向けた。
「大丈夫です。今すぐにでも、始められます」
「心強いね、そりゃ。その調子でわが剣道部の救世主に・・・・・・」
「砂原が入るなら、おれは退部する」
「一度も来たことねーだろ。そもそもトドロッキーは仮入部だろうが」
「時間ではないのですか」
 長引きそうになる口論を、唯香は叩き切った。
 我に返ったのか、剣城は慌てて腕時計を確かめる。あと十分で始まる。
「今、演説の真っ最中だ。早く早く!」
 控え室にいた七人は、揃って部屋から飛びだすと、剣城の案内のもと、入り口へと向かった。足音を立てずに走る八人は、さすがとしか言いようがない。
 そして、廊下の途切れ目。
 スピーカーから聞こえる挨拶の締め括り。
「マジ、やべかったよ」
「先輩、しっかりして下さいよ」
 出場者と剣城の会話が済んだのち、マイクが放送席の手に渡った。
 唯香は、緊張もせず、かといって落ち着きもせず、普段と同じような気分で立っていた。
 その手には、棍棒がある。棒術に使うものだ。中国から入った伝統ものだ。
 今日は、棒術の演舞を中心に繰り広げるつもりだ。
「砂原、ちゃんと躱すんだぞ」
「違うでしょう。ちゃんと受けとめて流さなければいけませんよ」
 普段どおりだ。轟も、唯香も。
 放送席から、自分たちの名前が呼ばれる。何とも奇妙な瞬間。
「覚悟しろよ、平凡くん」
「覚悟しろ、目立ちたがり女」
 半袖の道着をきた轟と、長袖の道着をきた唯香は、同時ににやり、と笑った。
「よし、頑張れ、二人とも!」
「ガンバですっ、先輩!」
「ちゃんと会場暖めておけよ、おれたちのためにも!」
 門下の後輩・先輩たちの声援を受け、返事の代わりに二メーロルはある棍棒を回転させた。


 赤枠と黄枠のテープにに囲まれた正方形のなか。
 轟と唯香は、直角の角に、対照的に立つ。棍棒は、お互いの左手だ。背後に回して、固定させる。時々、手首の様子を見るために回してみせる。
 思ったとおり、会場席は立ち見ができていた。摺り鉢状のため、立ち見は前列ではなく、後席だけになっている。
 ちょっと見ただけでもわかる。ほとんどの観客の正体が。
 ほとんど、弥瑛西校の生徒だ。天敵にふさわしい関係の唯香と轟の演舞を一目見ようと集まってきたに違いない。それにしても、二人の出演は寸前に決まったというのに、いったいどうやってこれだけの人数が揃ったのだろうか。不思議だ。

 たん!

 轟の持つ棍棒の先端が、床を叩いた。
 それだけで、静まっていく会場の空気。高まっていく緊張感。
 高揚感が、唯香の身の内を駆け巡る。一種の快感が、鬩ぎあう。

「ハッ!」

 最初は轟だった。
 呼気を鋭く吐き出すと、正方形の中心まで棒術の基本の型をなぞり、進む。見ているほうは呼気の鋭さとは反対のゆっくりとした動作に苛苛するかもしれない。が、ゆっくり動いているように見えて、実際にこれが難しい。体勢を維持するので必死なのだ。
 次は唯香だ。轟と同じことをしても詰まらない。棒術の基本を少々発展させて中央まで進んだ。轟の前まで進むと、轟に棍棒の先端を向けて止まった。
 お互いに棍棒の先端を向け、腰を低くして身構える。
 ここまでは、打ち合せどおり。
 次からは、何も考えていない。ここからは、好きに動くよう、アドリブを効かせた。つまり、本気で打ち合うのだ。勝敗は決まっていない。なぜなら、打ち合わせていないから。
 お互いの目だけで、相手が何を言いたいのか、わかる。
 長い付き合いだ。
 もう、かれこれ十年に及ぶ付き合いをしている。腐れ縁といっても良いぐらい、一緒にいる。
 声なき声は、「行くぞ」と告げている。無論、唯香の答えは「OK」しかない。
 互いに確認したのち、一呼吸をおき、本気で戦闘体勢に入る。
 辺りの空気が、二人を中心に、一気に緊張を胎んだものになる。形ないものが、物質としての属性をもったように、圧力がかかる。
 それなりに経験を積んだものならば、その緊張が、殺気と呼ぶものだとわかるだろう。例え『気』を読むのに長けていなくても、この異常に大きい、鋭い殺気は、すぐにわかる。
 一瞬でけりが付く。
 会場にいるほとんどの者が、そう思った。
 最初に動いたのは、やはり、轟の方だった。


 目の前で、死闘が繰り返されている。
 同じ道着をつけて、目まぐるしく位置をかえ、棍棒をしならせ、向かい合っている二人。
 大野各務は、目の前の光景に、釘づけされたかのように目が放せなかった。
 各務も、武術の心得をもつ者のひとりだ。この演舞が、ただの演舞ではなく、本気で打ち合い殺し合う、『死合い』だということが、ちゃんと解っていた。
 どれだけ二人の実力が並んでいるのかも。どれだけ息の合った動きをしているのかも。
 試合ではなく、死合。
 そう呼ぶにふさわしい、光景だった。
 隣から、固唾を飲み込む音が聞こえてきた。隣の人間も、緊張している。自分も、知らず知らずのうちに肩をちぢめ、身を堅くしている。
 遠くから見ている自分たちでさえ、こうだ。
 戦っている本人たちは、これ以上の緊張をもって相対しているに違いない。
 悔しかった。
 砂原先輩は、周りが見えていないみたいに、真剣な表情で今を楽しんでいる。先輩は本気を出している。そして、本気を出させた轟先輩も、本気で打ち合っている。
 相手が女だとか、身体が弱いとか、そんな理由で手加減している風には見えない。
 お互いが、お互いしか映っていない。
 各務を相手にしている時とは、全然表情が違う。こんな先輩は、見たことがない。
 食い入るように見続け、砂原先輩の動きだけを見続ける。
 そして、不意に形勢が決まる。どちらも互角だった。が、逆転。
 砂原先輩の足元がかすかにゆれた。そのせいで反応が鈍る。そこを、轟先輩が見逃すはずがなかった。
 そして・・・・・・、

 大歓声のなか、急遽決まった演舞に、二人は大成功を治める。
 それは、すぐ後に行なわれるトーナメントを食ってしまう結果だった。

+++++++++++++++++
 翌日の学校では、武円会の話で持ちきりだった。
 どこにいってもその話で呼び止められてしまう轟は、休める場所を探して、人が居ないほう、居ないほうへと隠れていった。
 同じく、唯香の方は面倒臭いとばかりに生徒会室に立てこもり、関係者さえも立入禁止にしてしまった。
 そんな二人が出会うのは、昼休み。
 昼食をとるために生徒会室から出てきた唯香と、購買で買物をすませた轟が、またもや廊下の曲がり角でぶつかり合う寸前に立ち止まる。
 どちらともなく、火花が散る。
 昼休みに入ったばかりで、まだ辺りには大勢の生徒がいる。二人が向かい合っている姿を見かけた生徒は、前日の余韻もあって、例外なく立ち止まって見ている。
「買物が済んだのなら、さっさと教室に戻られてはいかが?」
「朝から生徒会室に閉じこもるなら、学校にくるな」
「学校にすら来ない生徒に対して、ひどい言いようじゃありません?」
「行動が間違っていると言っているんだ」
「人に説教ができるほど、偉くなったものですね」
「お前に人のことが言えるのかっ」
「あら、お認めになられる? ですが、わたしを一緒にするのは止めて頂きたいです」
「そんなことはない。充分、お前もだ」
「わたしの名前はそんなじゃありません。どっかの夫婦みたいなこと、言わないでくれます? 虫酸が走るったらっ」
「思い上りだ! どうやったらそんなことを考えるんだ、自意識過剰!」
「鈍チン男に言われたくない言葉ですね!」
「だれが鈍いだとっ!?」
「そうやって聞いてくることが証拠でしょうよっ!!」

   「お前ら・・・・・・」

「傍迷惑な女め! 傲慢な生徒会に付いてくる奴はいないと思え!!」
「はん! あんたみたいな奴に女が付くこともありえないね!! 羨ましいからって妬まないでくれますかっ!」
「すぐにそっちへ話を持っていくその癖は治っていないみたいだな! 何でもかんでもお前の思うように事が進むと思ったら大間違いだ!!」

「お前らいい加減に、職員室まで来い!!」

 こうして、やっぱり元の生活が、戻ってくるのでした。


〜了〜


     

H15.02.17

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