第四章 −1−
灯が燈される。
青い絨毯に、ライノムを鏤めた、長い道。
すでに菫とファレルには神官長さまに『呪』をかけられている。額に銀色の水で何かを描かれた。同じくして唱えられる古代の言語。
以来、菫は自分の声を一度も聞いていない。
何かを話そうとしても、言葉を忘れてしまったかのように喉に絡まる。唇自体を動かせないでいる。口で呼吸することも出来ない。
一歩、一歩、足を揃えてから進む。そのように歩くのだと教えられた。
日の光を、天井の磨りガラスを通して感じる。
蝋燭の灯よりも外の明かりの方が断然強い。それでも眩しくないのは、磨りガラスで光を屈折させているからだろう。
天井も、壁も、磨りガラスで出来ている建物。
初めて見た時は、壊れそうで中々建物の中に入ることは出来なかった。魔法で補強されてあると説明を受けても、実際に石で叩いてもびくともしなかった場面を見るまでは、怖くて仕方なかった。
今も、考えるのは怖い。でも、初めての式典。それも結婚式。緊張でそんなことは考えられない。
何よりも、これからする事に、失敗することの方が怖かった。
若くして結婚式を挙げるのだという、感慨がなかったといえば、嘘になる。純白のドレスを身につけた時は、さすがに気が引き締まる感じがした。
刻一刻と時間が迫りだすと、話せないことが苦痛になる。
深呼吸しても落ち着かない。何か喋って気を紛らわせたいのに、付き人は沈黙を守るばかり。彼女たちも、『呪』を掛けられているからだ。
何とも、ストレスの貯まる待ち時間であった。
そして今、菫はファレルの隣にいる。道の真ん中で待っていたファレルが差し出した手に自らの手を添え、共に祭壇まで進む。祭壇の向こうにはこの国の神様が祭ってある。女神さまらしく、白い布を巻き付けたようなギリシャ神話に出てくる人たちの格好をして、両手を頭上に差し出して、空中の何かを抱き締めるような格好の像だった。
その女神像の下で、先程『呪』を掛けた神官長さまが佇んでいる。
教会の結婚式と、進行が似ている。
似ているだけで音楽はならないし、これほどまでの重厚な空気は醸し出せないだろう。
顔面を覆っているベール越しに、菫は真正面を見据える。辺りを見渡せる雰囲気ではないし、目をキョロキョロさせるのも不謹慎だろう。緊張に強ばる頬を叩きたい衝動を堪え、菫は神官長さまの持つ聖書を睨み付けた。
菫とファレルは神官長の三歩前で立ち止まった。
神官長は短い階段の途中に立っており、自分たちが立ち止まると、大きく首肯いた。
右手でファレルを、左手で菫を、同時に手のひらを見せるようにしてから、懐に入れてあった聖書に手を延ばした。
ここで教会の結婚式だと、栞がはさんであるページを読むわけだが、やっぱり異世界。そんなことはなかった。なんと、聖書自らがページを繰り出すのだ。
言葉を封じられていなかったら、思わず叫んでしまうところだった。口だって開こうとして、力を込めていた。出来たことといえば、まだ繋がっているファレルの手のひらを強く握ってしまったことぐらいだ。
握り返されるファレルの指。
ほう、とため息を吐く。ファレルの存在で、菫は安心することができた。
神官長が、口を開く。喉から搾り出されるような声が、響き渡った。
それは、歌だった。
言葉のない、音だけの奔流。
旧い言葉は、意味が判らないままに耳に入り、勝手に頭のなかで翻訳される。額の『呪』のおかげだと、菫は直感した。
彼の人は、宣言した
この地に縛られし、超自然の理
人と星の約定は、御子により果たされん
テレパシーのように、するすると頭の中に入っていく。脳味噌をかき回されるほど不愉快な感覚だが、それと同時に流れこんでくる『知識』もあった。
なぜか、この時、この国の言葉を、本当の意味で自分のものにした感触があった。
堅苦しい芝居じみた言葉使いが、厳粛な雰囲気にさせる。
止め所なく流れる声は、もはや神官長の声ではない。この国を造った女神さまの声に、成り代わっている。高くはないが、女性らしい、テノール。
ここに、ひと組みの男女あり
彼の人が求めしものは、契約という名の約定
今ここで、果たされんことを!
一際大きく叫ぶと、神官長は両の手のひらを自分たちに向けた。
ファレルが、一言、謳った。
菫の手を繋いでいる方の腕を前に差しだす。つられて、菫の腕も前に差し出される。
わかった。
菫は、次に自分が何を言えば良いのか、分かった。それをすんなりと受けとめた。そして、何かに取り憑かれたように、言葉を口にしていた。
ファレルと同じ言葉を。
同じ気持ちで。峻厳な面持ちで。
「異義を申し立てます」
本当は言いたかった。一言、「承ります」と。ファレルの言葉を受け入れたかった。
それが菫の、嘘偽りのない、本当の気持ち。
しかしそれは、菫には許されない。
菫の予想だにしない発言に、神殿にいた全員が不意を打たれたように愕然としている。特に神官長の驚きと恐怖は、見ていてこっちまで心を騒がせる。
繋がれた手を強く引かれる。声を出せない代わりに、それは強く意思表示をしていた。
ファレルだ。
彼は真剣な表情で、菫を見ている。その口は動いているが、声は出ない。まだ呪に縛られている。けれど・・・・その目は雄弁に語っている。たくさんの疑問だけを。
なぜ、呪にかかっていないのか。
なぜ、ここまできて。
なぜ、否定するのか。
なぜ、今更そんなことを。
なぜ、なぜ、なぜ ―――― っ!!
「ごめんなさい。わたしは、この結婚、承諾できません」
みんなの期待や信頼を裏切る。それはとても辛い選択だった。けど、こうすべきだという意志は変わらない。
すべては、イシュアに出会ったことで運命は決まっていた。
姉がこの世界に来ていたという事実。菫を捜し出したその執念。
菫はここで王族の仲間入りをしてはいけない。イシュアの言葉を信じるのならば、今はまだいけない。
「わたしには心に秘めた者があります」
「もちろん、俺のことだけどね」
新たに加わる、呪にかかっていない人物の声。全員がそちらに振り向く。そこにいるのは少年。そしてファレルの乳兄弟、イシュア。
唯一、この事態を収拾できる神官長は、あまりの出来事に反応できないでいる。むしろこんな事態になったことを呪っているのかもしれない。
手のひらに痛みが走る。ぎょっとして手を持ち上げれば、ファレルの爪が菫の皮膚に食い込んでいる。ファレル自身はそのことに気付いていない。ただ、イシュアだけを睨んでいる。
「悪いね、ファレル殿下。スミレは俺のものなんだ。・・・・・・昔からね」
「―――― っ」
ファレルは声が出せない。それでも、必死に何かを伝えようときつく睨んでいる。
菫はその手を離そうと試みるが、きつく握られるだけで離せない。指が抜けない。両手を使っても無理だった。
菫はこれ以上、言葉を発することが出来ない。確かに呪にはかかっていない。けれど、何もかかっていない訳じゃない。定められた言葉以外を発することは、菫自身も禁じているのだ。
神官長以外の呪にかけられているのだ。
「―――― これより、定められた儀に移られたり」
神官長だって呪にかけられてる。定められた通りの儀式を行なわなくてはならない。例え、神官長が望んでいなくても、古くからの強い魔法が、神官長をそのように動かすのだ。
花嫁の意志を尊重して、王族を消す儀式を行なわなくてはならない。
なぜなら、地球からの花嫁を娶らなくては、王族は滅びる運命にあるからだ。
+気紛れ中書き+
本当は第三章最終話に入れる予定だった話です。↑そういう展開っぽいでしょ?
でも第四章なんですよ。次から面白くない話が続くからさ。どうでもいい個人的な理由だけども。
06.03.19
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