第3章 −8−


 菫は一人、回廊を進む。
 王宮内の、あまり人気のない場所。
 いつも活気溢れるここも、明日の婚儀の準備のために、閑散としている。人を見かけても、お互い忙しそうに走り回っているので、そ知らぬ振りだ。
 菫は顔を伏せて、そんな人たちに紛れて目的の部屋まで一直線に走った。
 その扉には、鍵が架かっている。しかし菫は、ずっと握って持っていた鈍く光る鍵を鍵穴に突っ込んだ。簡単に錠が下がる。
 辺りを見回して人がいないかどうかを確かめた後、その部屋に忍び込んだ。
 窓のない部屋。
 電灯を付けていないのにそれでも明るいのは、空気穴と明かり取り穴が取り付けてあるせいだ。少し薄暗いが、見えないほどじゃない。
 緊張のせいで不規則になった呼吸を整え、菫は素早く行動に移した。
 その部屋は、入ってきた扉のある壁以外の三方に、棚が作られている。右側と真正面の棚はすべて丸くされた絨毯が、こちらに渦巻きを向けて横に納まっている。
 目的のものは、真正面の棚の中にある。
 菫は近付いて座る。いちばん下にある、灰色の絨毯。灰色のものは、一つしかない。
 それを引っ張り出して、床に広げる。
 イシュアの家にあった召喚陣と似たような模様が、刺繍されている。
 魔術布だ。
 それも、イシュアの家に繋がるもの。
 魔術布に乗り、召喚陣の真ん中で立ち止まる。
 あの時、ファレルは意味が解らない異国の言葉を呟いていた。古代の言語でなければ、この召喚陣は発動しない。さらに、一枚一枚意味が違うらしい。つまり、何の能力がない者でも、その言葉さえ解れば、使えるということだ。
 菫は、一枚の紙切れを目の前にだす。
 この召喚陣を発動させる呪文が、日本語で書かれた紙切れだ。
 イシュアが来たときに、これを渡された。ここの人たちは、日本語は読めない。日本語が解るのは、日本人である菫と、イシュアのみ。
 誰がイシュアに日本語を教えたのか。
 答えは解っていても、イシュアの口から聞きたかった。
 一呼吸置いて、菫は心を決める。
 一言一句、間違えないように心がけ、練習どおりに文字を音にした。

『                 』

 音にならない、否、音楽のような声。
 喉を通った声が、召喚陣に吸収されていくのがわかった。
 使っている本人は、全員が今のような感覚を味わっている。理屈ではなく、感覚として、菫は召喚陣のプロセスを、理解した。
 白い光が、淡く菫を包む。そして一気に光は爆発し、視界は白一色に発光する。
 エレベーターに乗っているかのような重力を鳩尾に感じた。瞼を閉じていても光は感じる。光が消えたのも、認識できた。
 恐る恐る、目蓋を薄く開ける。
 今までいた場所とはまったく違う、寂れた部屋の中。
 同じく窓はないが、一つのランタンが室内を仄かに照らしている。
 石積みの壁。その壁にもたせてある幾種類の絨毯。

「いらっしゃい、スミレ」

 そして、木で出来たドアに凭れて菫を待っていた、美少年イシュア。
 この部屋は、あの時ファレルと一緒に王宮に飛んだ、小さな個室だった。
「香草茶をどうぞ。君のところで出すものよりも、幾分か味は落ちるけどね」
 居間に場所をうつし、二人は椅子に座っている。
 香草茶というのは、いわゆるハーブティみたいなものだ。王宮で出されるものは飲みやすいものだったが、これは香料が少々、きつかった。
 菫は文句も言わず、半分飲み干した。
 外はすでに暗い。そういう時間まで、菫は王宮に拘束されていた。
 ランタンの明かりは、妙に心を暖かくさせる。そのせいか、落ち着いて向かい合えた。
「色んな話を、しようと思って」
 菫から、沈黙を終わらした。
 イシュアは、菫と向かい合う形で座っていたが、身体を横にずらした。菫からは、イシュアの横顔しか見れなくなってしまった。
「明日のために、色々と整理しとこうと思って?」
 イシュアのその科白は、皮肉で一杯だった。
 でも確かにそうだったので、菫は正直に首肯いた。
「お姉ちゃん、今、どこにいるの?」


「死んだよ」


―――― え?」
 淡々と紡がれた言葉に、菫は反応できなかった。
「ぼくが子供の頃に、病気で。まだ若かったよ。そのくせ、ぼくという孫がいた」
 菫の姉である茜が、このステファン王国に訪れたのは、約40年前。彼女は、妹がこの世界に召喚されたことを突き止め、後を追ってきたのだ。ただし、正規の方法を行って召喚したわけではないので、時間の差異が生じてしまった。
 妹が迎え入れられた様子はない。妹が召喚される前の時間に飛ばされたことはすぐに分かった。どれぐらいの時間の差があるのか検討は付かなかったから、自分が生きている間に妹が召喚されてこない可能性もある。その後の行動は、かなり早かった。
 王家に関わりのある人間に近付き、要領よく信頼を受け取ると、嫁いだ。そして子供を産む。それが、イシュアの実母である。
 彼女は産まれてきた子供に寝物語として自分の経験を話し、毎晩、呪文のように繰り返す。伝説の花嫁は、こういう娘だと。王家の、この国の、災いの元だと。
 娘が大きくなって結婚し、子供を産んでも、それは続いた。

『いい、イシュア。絶対に忘れてはいけないことなの。そして、イシュアとあたしだけの秘密の内緒事だからね』
『お母さまにも内緒なの?』
『ええ、そうよ。だってあの子には、聞かせるだけ無駄ですもの』

 話す相手が娘から、孫へと変わったのだ。
「毎晩毎晩同じ話を聞かせるんだから。お祖母さまも忠実だよねぇ」
 懐かしむように、イシュアは目を細めた。
 菫といえば、茫然自失の状態だった。
 混乱している。考えが旨くまとまってくれない。今まで以上にこんがらがって、初めて此処にきた時以上の衝撃が菫を襲っていた。
 イシュアが語ってくれたことは、すんなりと自分の中に入っていった。
 だから余計に、信じなくてはならない其の状況が、信じられなかった。
「本当のこと言うと、お祖母さまがぼくに語ってくれた夢物語を、ぼくは信じていなかったし、今もお祖母さまの思い通りに動こうだなんて思っていない」
「え・・・・・・?」
 のろのろと、頭を上げた。
「別に君にたいして、何も言うことは最初からないってことだよ、スミレ」
―――― よく、解らないわ」
 今まであんなに菫にたいして毒を吐いていたイシュアの豹変ぶりに、菫は今までの衝撃を引きずったまま、戸惑うばかりだった。
 そんな菫を故意にか無視して、イシュアは続けた。
「お祖母さまが君にしたかった事を、ぼくはするつもりはない。そして、言うこともないと思っている。昨日のあれで十分だよ。結構楽しめたしね。むしろ問題は、君の所為でぼくが今まで受けた、精神的虐待のことかなぁ」
「精神的・・・・・・」
「そ。だってさ、考えてもみなよ。いたいけで純粋な、疑うことを知らない子供に聞かせられる話だと思う? やっぱりさ、夢見は良い方がいいよね。だから、寝る前には幸せな気持ちでありたいだろう。安心して、眠りたいだろう。ぼくはね、お祖母さまが死ぬ前日まで、ずっと恨み言を聞かされてきたんだ。悪夢だって見たさ。でも、この怒りを誰に向ければ良い? 病気で寝たきりになったお祖母さま? それともすでに死んでしまったお祖母さま? それとも言うだけ無駄な母に? 違うね。君だよ、スミレ。ぼくのこの怒りは、スミレが受けるべきなんだ。そしてやっと、ぼくはあの人から解放されるんだ」
 この人も、姉に縛られた被害者だったのか。
 菫は、冷静な仮面を剥がして感情を思う様に出しているイシュアを眺め、そう思った。
 そして、そこまでして自分が憎いのかと、痛む心を抱えた。





H17.04.30


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