第3章 −7−


 翌日。つまり、婚儀の前日。
 菫は世話をしようとする女の子たちを全員追い出して、部屋で一人、瞑想していた。瞑想とはちょっと言いすぎかもしれない。
 ただ、一人で色々なことを頭の中に描いて、それを楽しんでいたのだ。
 地球のことも考えた。16年間過ごした家のことを考えた。
 結婚式を控えた花嫁の心境ってやつかな。
 らしくなく、しんみりと涙を流した。流れるままに、放っておいた。
 明日の準備のことがあるから、自由に出来たのは午前中だけだった。午後からは神官が自ら御出でになり、ファレルとともに教訓を受けた。
 この国にも宗教というものがある。しかしそれは強制ではない。けれど、この国に住む人々には、信じるものがある。その信じるもののために、神官は存在するらしい。
 いわゆる、宗教活動のサポート役。
 明日の婚儀も、そういうことの延長線上にあるらしい。
 とりあえず、『おめでとうございます』を言うだけのことに、長々と色々な修飾を施して、三十分も時間を取られてしまった。実のある話は、その中の5分だけだ。
 神官が帰った後、ファレルは不機嫌そうに厩に戻っていった。彼は馬がたいそう好きで、暇さえあればそこにいるか遠出をしている。楽しみの時間を無意味な話で削られて、それでも文句も言えずに耐えていた。
 こういう時こそ、あの毒舌を使えばいいのに。


 午後からは、衣裳の最終打ち合せ。
 本人よりも周りの方がエキサイティングしているので、突っ立っている菫は楽といえば楽だったが、精神的に疲れる作業だった。
 一番安心したのは、お腹を細くする必要がなかったことだろうか。
 分厚い外套をドレスの上から羽織るので、ドレス自体はほとんど隠れるのだそうだ。
 ならなぜドレスを着るのか。とてもじゃないけど、そんなことは目の前で嬉しそうに働いているターヴィスに、聞ける訳がなかった。
 それにしても・・・・・・、
「ねぇ、ターヴィス。明日着るドレスは、それだけでしょ。何でそんなにドレスがあるの?」
「この機会を逃せば、もう姫さまはドレスを着てくれませんから」
 菫の予想は、大当たり。そして、ターヴィスの予想も大当たり。
「ラニバからも何か言ってよ」
「すみません、姫さま。わたしには到底、無理です」
 ラニバも、かなり言うようになった。
 それだけ慣れてきたというか、親しくなった証拠だろう。
 昨日のことは二人とも、何も聞かない。気にしているだろうに、こちらを気遣う素振りまで見せてくる程。適わないなと、思った。
 二人には、到底適わない。とても強く、依存してしまうほど。
「ターヴィスと一緒にいると、独身時代も今日までだなぁって思う。やっぱ、ファレルとの婚儀、延長しちゃおっかなぁ」
「まあ、何をおっしゃいます、姫さま。そんなの、わたしが許しません」
「だよねぇ」
 冷汗を掻きながら、菫は何度も首肯いた。例え国王が許しても、ターヴィスは許さないだろう。
 ターヴィスの目が、本気だった。殺気を感じたほどだ。
 菫はターヴィスを諦め、ラニバの方に身体を寄せた。内緒話のように。
「ねえ、ラニバ。わたし、今日で独り身はおさらばなんだ。だからさ、独り身の会話、しても良い?」
「もちろんですわ」
 楽しそうにラニバの目が細められる。
「じゃさ、じゃさ。恋のお話、しましょ」
 ラニバの表情が、一瞬だけ強ばった。ほんの少しの変化を、長年メイドをしているターヴィスは見逃さない。反対に、菫は何も気付かなかった。
 後耳を立てているターヴィスを観客に、菫は質問を振った。
「ラニバってさ、シオンのこと、好きでしょ?」
「は・・・・・・?」
 誤魔化そうとしているのか、ラニバは怪訝そうな顔をした。
 菫はもう一度言ってやる。
 しかし、ラニバからは苦笑が返ってきた。
「姫さま。残念ながら、それは違います」
「ええ? 嘘だぁ」
「いいえ。本当です。どうしてそう思ったのか、聞いてもよろしいですか?」
 菫は、仕方なく自分の考えの半分が想像であることを最初に告げた。
「ラニバが誰かのことを好きなのは、知っていた。それは確実。絶対。それに気付いたのはねぇ、ラニバと初めて散歩したときだよ。雪を見ずに逝ってしまう白い花。あれを語ったときのラニバの顔は、恋する乙女の表情そのものだった」
 きっぱりと言い切った。
 ラニバは、眉を下げて、本当に困ったという顔になった。
「確かに、わたしは、好きな人がいます」
 やっぱり、といった表情になった菫を、ラニバは悲しそうに見た。
 ドキリと、心臓がなる。
 それを消すように、菫は慌てて言葉を口にする。
「ラニバはこんなに可愛いんだからさ、そんな顔しなくっても」
「可愛くなんて、ありません」
「それで可愛くないなら、わたしはどうなるのさ」
 久々の突っ込み。でも空振りに終わった。ラニバに対しては嫌味だと気付いたから。
「ご、ごめん」
「いいえ。謝ることはありません。姫さまの本当の言葉じゃないことは、存じておりますから。どうか、気にしないでください」
「う、うん」
 ラニバは、片思いをしているのだろうか。
 こんなに可愛いくて、性格もよくって、器量もいいのに。
 ラニバを好きにならない男がいるのは、ちょっと信じられないことだ。
「えーと、その、頑張れ」
「ありがとうございます」
 それでも、ラニバの表情は晴れない。
 自分のせいだと、菫は内心、すごく焦り捲る。
「ラニバだったら、絶対に大丈夫だって。きっと想いは伝わるからさ!」
「いえ、いいんです」
「あきらめちゃ、駄目だって。わたしだって、家に帰ることは完全に諦めてないぞ!」
 ほんのちょっとだけ、未練がましく思っているだけだけど。
「ラニバなら大丈夫だって。わたしから見ても惚れるもん。自信持ってさ」
「いいえ。もう、諦めましたから」
「ラニバ〜」
「もう、無理なんです。最初から、無理だったんです」
「告白して、振られたわけ・・・・・・?」
「いいえ。けれど、分かります」
 頑なな彼女の姿に、菫は眉を顰める。
 どうしてそんなに、必死になって自分の想いを否定するんだろう。
 今までお世話になった分、協力してあげたいのに。
「相手は、ラニバのこと好きかもよ」
「・・・・・・姫さま。ごめんなさい。それ以上は、もう止めて下さい」
 強い瞳に、菫は貫かれる。
「ラニバ」
「いつも、見ていました。あの人が誰を想っているのか、自分のことのように判るぐらい。ですから、今は、姫さまの気持ちが、とても重い」
 涙を浮かべ、涙を堪える姿は、立ち入れないものを感じさせた。
 静かな、重苦しい沈黙が菫を居たたまれなくする。どうにかしなくてはと、焦ってばかりいて、空回りしているみたいだ。
 この場合、謝るのは、失礼になるだろう。謝っちゃ、駄目だ。
 じゃ、どうすれば良いんだ?
 ターヴィスに救助の視線を送るが、ターヴィスはドレスの調整に余念がない。
 そうこうしている間に、ラニバは落ち着いたのか、涙を拭いて笑顔をみせた。
「申し訳ありません。従僕にあるまじき行為をしてしまいました」
「いや、そんな。気にしなくっていいって。わたしも、ちょっと悪乗りしちゃったからさ。ごめんね、もう聞かない。この件は、忘れることにする」 「ありがとうございます」
「いえいえ・・・・・・」
 それはこちらの科白です。
 菫はわざとらしくも、元気良く笑った。それでラニバが気にしないでいてくれるなら、こちらとしても嬉しい。ラニバが笑っていてくれないと、すごく淋しくなるから。
 本物のお姫さま以上に可愛いくて、綺麗なラニバ。
 泣き顔もやっぱり綺麗だったけど、笑顔のほうがもっと可愛かった。
「結婚しても、今までと同じだよね」
「「もちろんです」」
 重なる返事。
 それがどれだけ菫を嬉しがらせるものか、二人はきっと分からない。
 言葉にして言うのは恥ずかしいから、まだ言えないけど。

 ありがとう。大好きだよ。尊敬してます。

 これは、本当の気持ち。明日、婚儀が始まる前には、ちゃんと言うからね。家族の代わりに、見守ってて下さい。
 菫はちょっとだけ、目元に涙をにじませた。
 『幸せ』がどういうものなのか、菫には解らない。
 けれど、感覚として、これがそういうものなのだということは、解った。

(わたしは今、幸せなんだ)

 テーブルに両肘を突いて、顎を支える。自然と前のる格好になり、背筋が伸びる。
 何とも、笑いだしたい気分。
 これからしでかす事を思うと、笑っている状態じゃないけど、それでも、弛む頬は止まらない。唇も、にんまりと弓状になる。
「姫さま?」
 ラニバが不審そう(心配そう)に、声をかけてきた。
「何でもなーい」
 今は、もうちょっとこの気分に浸っていたい。
 ふふふっ、と笑う菫にターヴィスも、ちょっと不審気。
「なぁーんでもないよ、本当。大丈夫だって!」
 事実、菫は元気だ。
 昨日までの心配が杞憂に終わるような、はっきりとした笑顔。本当に幸せで、嬉しくって、楽しくって、本当に充実している。
 それがはっきりと解る雰囲気だったので、ターヴィスもラニバも、安心したように微笑む。ターヴィスなど、あからさまに安堵の息を吐くぐらい。
「姫さまが以前のような笑顔を戻されて、本当に嬉しいですわ」
「ええ。こちらまで、嬉しくなってしまうような笑顔です」
「まーたまた。言いすぎだよぅ、二人とも」
 誉められて、嫌になる奴はいない。
 菫もその一人で、『嬉しくなってしまう笑顔』を、大出血サービスする。
 笑顔は、すごい魔法をもっている。
 どんなに悲しいことがあっても、辛いことがあっても、たとえ笑顔を作れないほど疲れてしまっても、誰かの笑顔を見れば、自然と笑顔になる。
 無理して笑顔を作っても、いつのまにか本物の笑顔になっている。
 その笑顔は、気持ちをも持ち上げる。『笑顔』は、万病の薬である。
「明日が、楽しみですね」
「うん。頑張ろうね」
 三人は顔を合わせて、端から見れば思わず微笑んでしまうほど幸せそうに、笑っていた。



BACK       TOP       NEXT


H17.04.17


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送