第3章 −6−


 ファレルが部屋に戻った時、菫はすでに正気を取り戻していた。

(なんとかしないと)

 菫は、色んなことを考えた。そして、答えを出せずに燻っていた。
 自分が姉に虐待を受けていたこと。
 両親がその事実を知らないこと。
 イシュアが、その事実を知っているということ。
 姉が、ここに来ているという事実。イシュアは姉に似ている。たぶん、イシュアは姉の血を引くものなのだ。他人であるはずがない。そうでなければ、納得がいかない酷似さ。
 菫の柔らかいお腹には、あってはならない火傷の痕がいくつもあって、それだけは絶対に知られたくなくって。
 ファレルたちにだけは、絶対に知られたくなくって。
 大好きな人たちには、汚れた自分のことを知られたくなくって。
「スミレ、何か飲め」
 目の前に出された、一杯の香草茶。甘い香が、現実を思い出させる。
 何か飲めとファレルは言うけれど、香草茶を出しての科白じゃないと思う。
 ほんの少しだけ浮上した気分を確かめて、陶器のカップを受け取った。その香を楽しむだけでも、菫の心は暖かくなる。
「・・・・ありがとう」
「礼は、説明してからだ」
 ファレルは騙されない。菫の必死の言葉にも、騙される人じゃない。
 菫は泣きたくなる気持ちと笑いだしたくなる気持ちに揺り動かされ、顔を歪めた。
 泣いても変わらない。笑っても、変わらない。
 ファレルは、あるがままの自分を受け入れるだろう。

(どうして・・・・)

 どうしてこんなことが分かるようになったんだろう。なってしまったんだろう。
 この先の答えは闇のなかに現れる。答えが闇ならば、見つからない。でも、それ以外の答えなら、きっと見付けられる。
 見付ける気なんて、見つかるはずなんて、なかったのに。
 どうして、こんなにファレルのことが好きな自分がいるんだろう。「好き」を好きと、素直に認められるんだろう。
 救われたいなんて、思ってしまうんだろう。
「スミレ、ここには俺しかいない」
 安心していいと、言外に諭され、菫はどうしようもない気分を味わっていた。
 話せるわけがない。ファレルだからこそ、話せない。
 嫌われたくない。

(違う!)

 知られたくない。本当の自分を、絶対に知られるわけにはいかない。
 今まで彼らに見せていた自分を思い出せ。
 悟られるな。
 絶対に。
 何があろうとも ――――

―――― ごめんなさい。何でもないの。わたしがいた世界の結婚と全然違うから、イシュアにどんなものなのか尋ねたの。そしたら、何か、すごく大変そうで・・・・・・」
 眉を下げて、困ったように菫は笑った。
 傍から見れば、その笑顔は今までと変わらないものだ。知らない者が見れば、安心して笑い返すような、そんな屈託のない微笑み。
 だが、そんな完璧な笑顔の所為で、ファレルは騙されなかった。菫に関することで、菫がすることで、騙されることはない。何故なら、いつのまにか彼女に惹かれている自分がいるからだ。
 そして、だからこそ、騙される振りをしてやるのも、彼女のためだろう。ファレルはため息を吐く。
「ファレル?」
 もしや騙されなかったかと菫は内心びくびくと、外側は何もなかった風に振る舞った。
「俺は、はじめの頃よりは、お前のことは嫌いじゃない」
「う、うん」
「だから、相手がお前で良かったと、思っている」
「うん」
 何とも恥ずかしい科白だ。好きな人からの告白みたいで、菫は耳まで赤くして聞き入った。
「スミレは、どう思っているんだ」
「わ、わたし? わたしは、その、まだ自覚がないというか。覚悟が出来ていないというか。その、聞きたいことがあるんだけど」
「何だ」
「わたし、この部屋にはいられない? ファレルと同じところに住むことになるの? わたしのところは、一緒に住むのが当然なんだけど」
 結婚すれば同居になる。同じ城の中ではどうなるかは知らないけれど。
「この部屋が気に入っているのなら、別に出なくてもいいだろう。確かに同じ部屋に移ることになるが、強制じゃない。共有の部屋は増えるだろうが」
 願っても見ない言葉。菫はあからさまに安心する。
 これで、肌を見せなくても良いようになった。火傷の痕が、どれぐらいで綺麗に治るのか分からないけれど、一先ず安心だ。
 火傷が消えない時(その確立の方が高い)は、その時だろうな。
 そこで諦めるしかない。
「それだけが心配だったから。ファレルたちには良くしてもらってるし、恩返しという気持ちじゃないけれど・・・・・・、子供が出来たら、やっぱり嬉しいよね」
 ファレルの子供なら、産んでもいいかな?
 すでに菫はファレルへの想いを受け入れていたので、拒絶感はなかった。ファレルの好意的な言葉もその原因にある。
 壊れた家庭環境のせいか、菫は家族への思い入れが半端じゃない。自分みたいな子供だけは絶対にしたくない。
 自分で家族を作りたいと、常々思っていたので、婚儀の話や伝説に関しては、当初よりも好意的に思えている。
 自分の血を分けた子供は、本当に幸せになれるのか、それは判らない。自分にちゃんと愛情を持って育てられるのか、それも判らない。むしろ恐怖を感じている。
「わたしは、少なくともファレルが相手で、嬉しいと思う」
 嫌いじゃないよ、始めて会った時のことを思えばね。
 そう言うと、ファレルは苦笑した。その時のことを思い出したのだろう。菫も思い出し、あの時の怒りも思い出した。
「俺もだよ」
 二人して、ちょっとだけ笑った。
 そうして、菫は、自分の意志が固まっていることを確認した。



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H17.04.10


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