第3章 −5−


 厩から城内へと戻ったファレルは、イシュアのことが気になって、早々に菫の元へ急いでいた。
 角を曲がり、階段を上がろうとする。が、立ち止まってしまった。
「ラニバ、ターヴィス。こんなところで何をしている?」
 菫の専属侍女二人が、手持ち無沙汰に階段下に並んで立っていた。
「ファレル殿下」
「いま、イシュアさまがご覧になっております。退室を求められましたので。ですが、その、妙に気になってしまいまして」
 いつになく歯切れの悪いターヴィスの口調に、ラニバが同調した。
「姫さまは昨晩から妙なご様子でしたので、心配で。だからといって命令に背くわけにもいきませんし。申し訳ありません。ファレル殿下のほうから伺って頂けないでしょうか」
 侍女は、所詮侍女。主人の命令に背くことは、絶対に出来ない。その命令が主人に対して悪い方向に向かうものと分かっていても、口答えは出来ない。
 だからラニバは、ファレル殿下に失礼を承知で頼み込んでいる。
 それに応えて、焦燥感に駈けられながらファレルは階段を上った。
 重厚な扉についているドアノッカーを数度たたく。室内からは返事がない。防音されてはいないが、扉も壁も充分ぶ厚い。
 挨拶は済ませた。
 ファレルは声をかけずに扉を開け、室内に入り込む。朝日が室内全体を照らしている。
「スミレッ?」
 青白い顔でベッドの縁に座り込んでいる菫が真っ先に目の中に飛び込んできた。
 イシュアがそんな菫の前で、中腰になって立っている。
「どうしたんだ、いったい。イシュア、何をしたんだ?」
「どうしてそこでぼくの名前が出てくるんでしょうね。―――― スミレはぼくと話している最中に貧血を起こされたんです。朝食はちゃんと取ったほうがいいと、説教をしていたところですよ」
 ファレルの脳に、何かが引っ掛かった。何かに気付く前に、口にしていた。
「やけに、言い訳じみた長い科白だな」
「ファレル殿下の婚約者どのに何かあって、ぼくの所為にされても困りますから」
 ああ言えば、こう言う。
 口の回る奴ほど、気に入らないこと、この上ない。
「スミレ、貧血というのは、本当のことか」
 菫は、軽く首肯いた。
 ここじゃないどこか遠くに視線を飛ばしているように見える。彼女の意識は、ここにはない。この身体の中にはない。
 本当に貧血だろうか。確かに顔色は悪い。
 菫が肯定するなら、ファレルはそれを信じるしかなかったが、しかしそれは、到底信じられるものではなかった。
 それ以上の情報は、ここでは手に入らない。仕方なく、信じたふりをした。
「じゃあ、イシュア。もう帰れ。ここにいたところで役には立たん。スミレ、お前はちゃんと寝ていろ。ラニバたちを呼び戻すから。世話を焼かすな」
 ファレルは、触れたら壊れてしまうような今の菫が、心配だった。とてもじゃないが、見ていられない。
 が、今までのことがあるので、表立ってそれを出せない。とっさに憎まれ口を叩いてしまって後悔したが、後の祭りだった。
 菫は、本当に申し訳なさそうに、頭を下げていた。
「ごめん、なさい」
 その声は擦れている。いま気付いたが、その瞳は赤く充血している。
―――― 馬鹿な奴」
 部屋から出ていこうとしていたイシュアが、耳元で言った言葉が、ファレルの背中に突きささる。
 言い返そうとしたが、本当のことだったので反論する気にもなれない。
 扉が閉められる。イシュアがラニバたちを呼び戻していることを信じて、籐のチェアをベッド脇に置き、座った。
「スミレ、とにかく寝とけ」
「あ、はい・・・・。ありがとう。あの、ファレル・・・・・・」
「うん?」
「ラニバとターヴィスを、この部屋に入れないで」
「なに?」
 問い返そうとした時、扉がノックされた。
 返事しようとしたら、袖を強く捕まれた。その手は白く、震えている。
「お願い、入れないで!」
 涙を浮かべて、切羽詰まった表情で言われたら、とりあえず、どうする?
 とりあえず、言うことは聞く。今だけは。
 ファレルは立ち上がると、扉を少しだけ開けて、その隙間から外に出た。
「殿下、姫さまの容体はそんなに悪いのですかっ!」
「悪くない。とりあえず、ここから離れてくれ。スミレの命令だ」
 ファレルの言葉を聞いた二人は、信じられないとばかりに目を見開いた。
 主人に拒絶されること、それは侍女にとって、死よりも苛酷な事象。
「それは、解雇、という意味でしょうか」
 強気なターヴィスではなく、おっとりとした風体のラニバが最初に発言した。
 それに驚きつつも、ファレルは首を振った。
「いや。ただ、一人にしてくれと。ここは俺が受け持つから、二人は式典の準備の方を手伝ってくれ。今は、それがスミレのためになる」
「分かりました」
 ラニバが低頭し、それに意識をはっきりさせられたのか、ターヴィスも低頭した。彼女の表情は青い。それだけ、菫を慕っているのだろうことが分かった。
 何度も頭を下げて、階段を下りる時も扉を見続け、名残惜しそうに去っていった。
 それを見届けて、ファレルは菫のいる部屋に戻った。



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H17.03.26


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