第3章 −1−
「それは恋ですわ、姫さま」
彼女は、そう宣った。
それから数時間後の翌日の朝。寝不足だと分かり切った表情で、菫は朝食の場にいた。
王と王妃は、菫に何かを聞きたそうにしながらも、何も聞かない。同じ場で、無愛想にしているファレルを見て、何かに思い至ったのだろう。喧嘩をしたと思ったのかもしれない。それぐらい、菫たちは王たちの前で喧嘩をしている。
放ってくれているのが、今は有り難かった。
終始静かに時間はすぎ、食器が接触する音だけが、食堂に響く。
食後の冷たいデザートが出された時、王妃が初めて口を開いた。
「大事なお話があります」
どこかしら、緊張を含んだ声。見やると、王も緊張している。
それどころじゃない菫は、とりあえず、手を止めて聞いている姿勢だけは整えた。
ファレルも同じように、訝しそうに両親たちを見ている。
「貴方がたの、婚儀の日にちが決まりました」
思考停止。思考爆発。
菫は真っすぐに王と王妃を見ながら、告げられた科白を理解しようとした。
「失礼。もう一度、お聞かせ下さいますか?」
あのファレルでさえ、両親には丁寧な口を利く。が、いまは丁寧すぎる。
王妃は、一言一句同じことを言った。菫の記憶が間違っていなければ、だが。
「貴方がたは、言い争いが多すぎます。私たちも色々と考えました」
「色々、デスカ」
「一緒にいる時間が少ないためにそのようなことが起きるのです。ですから、婚儀を早々にしてしまいましょう」
どうして、そうなる?
思ったが口にしなかった。考えるのも億劫だった。だから返事をした。
「わたしは構いません」
「まあ。良かった。王子は、どうです?」
「―――― 彼女が、それで良いのなら」
ファレルがこちらを見ている。
申し訳ないけど、菫はそれに答えられなかった。
昨晩のターヴィスの言葉が頭の中に残っている。どうしたって、ファレルの顔を見られない。見てしまえば、きっと頬を赤くしてしまう。そんなことしたら、バレてしまう。
冷たくておいしいゼリーを口に含み、落ち着こうとした。
「良かったわ。これで私たちにも、娘が出来るのね」
「婚儀は明後日に行なうから、準備しておくようにね」
「「明後日っ!?」」
ファレルと菫の声が重なった。それだけ衝撃的だったと理解して欲しい。
「まあ、仲が良いこと」
王妃は、こちらの驚きなどそっちのけで王とお喋りをしている。
さすがに親子を長くやってるせいか、早くも立ち直ると、ファレルが代表して言ってくれた。
「待ってください。明後日とは、どういうことですかっ? 急すぎます!」
「急すぎたほうがいいのですよ、こういうのは。すでに御触れは出してあります。後は貴方たちの返事が必要だっただけです。本当に良かったわ」
騙された。
暗い気分はいっぺんに吹っ飛んでしまった。
いつもの強気な自分が戻ってくる。菫はその場に立ち上がった。
「失礼を承知で言わせてもらいますが、わたしたちの意見は必要ないと?」
「両思いなのだから、必要はないでしょう?」
思考停止。思考爆発。
「両思いって、誰と誰が・・・・・・っ」
「貴方がたです。見ていればわかります。本当に、微笑ましいですわ」
何を言っても無駄だということが、王妃の乙女な表情を見てわかった。
彼女は、かなり、思い込みが激しい人なんだ。たぶん、そうだ。そうに違いない。
「もうすぐ私たちもおばあちゃまとおじいちゃまになるのね」
「そうだね。最初は女の子が、私はいいな」
最初の頃よりも打ち解けたその喋り方が、菫を打ち抜く。
何を言っても無駄だ。抵抗するだけ、無駄なんだ。
湧いてきた勇気は、どこにいったのか、菫の中から消え去っていた。
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ファレルと並んで廊下を歩きながら、菫は一人、昨晩のことを考えていた。
自分がファレルに恋をしていると、ターヴィスは言う。
菫は違うと思った。
菫が変だったのは、過去を思い出したからだ。それも、遠くない過去を。
「おい、お前の部屋はそこだぞ」
「ああ、うん」
生返事。
気付けばそこは確かに階段で、その上には見慣れた重厚な扉。
戻る気にはなれない。
「外の空気吸うから、いい」
「俺もそうしよう。今日は朝から疲れた。訓練もさぼる」
忌ま忌ましそうに、それでいて妙に疲れた声でファレルが同意した。
邪魔だったけど、断る理由もないのでそのまま放っておいた。
いつぞや迷いでた扉(裏口)から外に出て、ライノムを見る。ラニバが教えてくれた、カーネーションに似た白い花。雪を見ずに逝ってしまう、不思議な花。
「そういえば、紋章にも使われてる」
菫の唐突の言葉に、ファレルは驚きもせずに説明してくれた。
「昔の言葉で『親愛』だからな。この国の象徴だ」
「戦争とか、ないもんね」
「小さな争いごとなら、日常茶飯事だ」
その場に立ったまま、菫は花弁を見下ろす。花の背丈は菫の腰までしかない。
白いその花は、とても寒さに強い。けれど、雪に弱い。そして、半年近く咲く。
菫が知っているのは、その程度だ。
白い服の似合う人だった。
常に白いものを身につけ、その色に合った笑顔で微笑む。
お腹が痛くなる。
条件反射で、お腹に手をやってしまう。それだけでは、その痛みは去らない。
痛いのは、本当にお腹だろうか?
「スミレ?」
ファレルが、お腹にあてている菫の手を取った。
「腹が痛いのか? 冷やして寝たんじゃないだろうな」
そんな憎まれ口も空振りした。呆気に取られる・・・・というよりも、動けなくなるファレル。
なぜなら、菫は、涙を流していたから。
静かに、頬を濡らす水滴。朝日に眩しく反射するそれは、朝露のよう。
ただ静かに、嗚咽を漏らさず、涙だけを流す。
菫は口を開く。その拍子に、一筋の涙が口の中に吸い込まれていく。
信じられない思いで菫を見るファレル。
「ごめんなさい」
菫は謝った。何に対して謝りたかったのか、菫自身にもわからない。
けれど、予感があった。
これから、何かが起こる。言いようの知れない、恐怖感が、菫の中に募っていく。
「ごめんなさい・・・・・・」
余裕がなくなってきた。
唖然と立ち尽くしているファレルを見上げる。整った顔しているだけに、妙にその顔は面白かった。引きつった微笑みを浮かべるぐらいには。
「きっと、今まで以上の迷惑を掛ける。あの人は、それぐらいやってのける」
「―――― あの人?」
「ごめんね、ファレル。わたし、ファレルの家族、見殺しにしちゃうかもしれない」
菫はそれだけを言うと、その場から、ファレルから、負わなくてはならない事から、逃げ出した。
H17.01.16
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