第2章 −7−
「姫さま、本当に大丈夫ですか」
「ミルクだけでも、飲んだほうがよろしいですわ」
「何か、お薬でもお持ちしましょうか」
「気分転換に、ゲームなどどうでしょう」
ラニバとターヴィスが、交互に話し掛けてくる。
夕食を辞退した事と、真っ青に帰ってきた事、そして、寝台のシーツに包まれて、一向に出てこない事が、原因である。
寝室ではなく、普段いる部屋の寝台の上で、菫は小さくなっている。広い寝室の大きな寝台では、どうしても一人になるのが嫌だったから。
心配をさせちゃいけないということは解っている。
判っているけれど、どうにもならないのが、人間だと思う。
「ごめんね、心配かけちゃって。一人になる勇気もなくって」
思い悩む菫に、ターヴィスたちは一度、部屋を退出しようとしていた。それを引き止めたのは弱すぎる自分。
ただただ、嗚咽を押さえるので必死だった。涙を出さずに喉だけで泣く菫は、さぞ滑稽だろう。それでも、二人は自分たちに付いてきてくれる。心配してくれる。構ってくれる。
相談してみようか。
でも、どう言えばいいのか判らない。
自分でも判らない感情を、彼女たちが理解してくれるとは思えない。
「姫さま。わたしたちは、ここにいますからね」
こちらの頭の中を読んだみたいに、ターヴィスは微笑んだ。
ラニバが、安心させるように天使の笑顔で微笑んだ。
ここにいるから、好きな時に話してください。姫さまの思うままに、何でも、話して下さい。最後まで、聞いていますから。
そんな声が、聞こえたのかもしれない。
自然と、口が開いて、絞るような声をだしていた。
「わたし、変なの」
そんなこと言わなくても、二人には充分判っているだろう。それでも、言った。
色んな感情が入り交じり、いらない過去まで溢れだす始末。
「どうしよう。わたし、変だよ。すっごく変だよ」
こっちは真剣に話しているのに、ターヴィスは何故が笑顔になった。
「どう変なのか、ご自分で判断できますか?」
「判らないよ。変なことだらけだ。ファレルは何を考えているのか判らないし、イシュアはさらに判らないし、なにより、自分が判らない」
何かに怯えている。それだけは確か。
でも、何に怯えているのか、判らない。否、判っている。判っているからこそ、認めたくない。それは有り得ないんだと、納得することが出来ないから。
捨て去りたい過去。
忌まわしい経験。
今もなお自分を縛る、『血』という鎖。
「判らないのが、怖いのですか」
「判らない。どうしよう、判らないよ。こんなんじゃ、これじゃ、ああ、判らない」
菫は両手で自分の髪を掻き毟る。その手を慌てて掴むラニバ。
見上げれば、心配そうな表情。
「姫さま。そういう時は何も考えちゃ駄目です。何も考えないで眠ってしまうんです。眠っている間に夢を見て、その夢が答えをくれます。まとまらない考えをまとめてくれます」
「それでも考えてしまう」
「では、気付いたことから、話してみましょうか」
菫は戸惑う。
自分よりも年下だけど、自分よりも精神的に強く大人な彼女を見て。
菫は、どうしても自分が汚い人間にしか思えなかった。
嫌われたくない。汚したくない。
こんな自分のために、皆に迷惑を掛けて良いわけがない。
そんな思いが、すべてをぶちまけた方が楽になると分かっていても、菫の口を固くする。
躊躇と見て取ったターヴィスが、母親のような笑みで、「大丈夫ですよ」と言った。
みんなの親切が、とても重い。
お願いだから、親切にしないでほしい。大切に扱わないでほしい。
自分がそれに値する人間じゃないことを自分はよく知っている。
「姫さま」
急せるためではなく、大丈夫だと、安心させるために。
菫は、今や涙を流していた。流している事実は、必ず流してから気付く。
「わたしは姫じゃない・・・・・・っ」
弱々しい声。
初めてここに召喚された日でも、こんなにも弱気にならなかった。馬に騎った時でも、もう少しマシな演技を出来た。
「わたしはただの一般人で、学校の成績だって中途半端で、運動神経だって威張れなくって、性格だって全然良くなくって・・・・・・。もうやだ。もう、やだよ」
「いいえ、姫さま。少なくとも、姫さまはご自分の弱さを分かっておいでです。そして、それを認め、納得しようとしていらっしゃいます。姫さまは、姫さまが思っているほど弱くなんかありません。十分、強い方ですよ」
「ただの言い掛りだ」
「いいえ、姫さま。お願いですから、余りにも情けないことを言わないで下さい。わたしたちの大切な、自慢の姫さまを悪く言わないで下さい。たとえ姫さまであろうと、それ以上の暴言は許せません」
ラニバの科白に、菫は呆然となる。ラニバの強い思いに、引きづられそうになる。
ラニバの科白に深く首肯き、ターヴィスもしっかりと菫を見つめる。
とても可愛いラニバ。
とても綺麗なターヴィス。
それに引き替え、自分はなんて浅ましく、汚れきった人間だろうか。
本当の菫を知れば、二人とも菫のことを罵る。菫の元から離れていく。
こんな風に、真剣に悩みなど聞いてはくれない。
(どうしよう)
嫌われたくない。
手放したくない。
菫の思いはそれだけだ。それだけに、とても強い。
ゆえに、本当の悩みは口に出せず、嘘を一つ、増やす。
泣き顔を無理遣り笑顔に変えて、真実を織り交ぜた嘘を吐く。
「―――― ファレルがおかしい。イシュアもおかしい。その中にいたわたしもおかしい。ファレルは怒りっぱなしで、わたしの名前を呼んでくれない。おかしくなったのはそれからだ。違う。もっと前からおかしかった。丘の上でっ。・・・・・・ターヴィスの乗馬は本気で恐かった。所詮高いところが大丈夫な人にはわたしの気持ちなんて解らない。ファレルはファレルで優しいし! どうしてイシュアはあんなに変なのっ!?」
ターヴィスは、母親のように微笑んでいた。
それも、先程よりもさらに嬉しそうに。
その笑みをラニバも見たのか、彼女も何ともいえない曖昧な笑顔で菫を見た。ラニバの瞳の色が、濡れている。その時の菫には気付けなかったけれど。気付きたくはないけれど。
それ以上に、ターヴィスの激しい変化に驚いたから。ままならない感傷に、自分はどっぷりと浸っていたから。
だから、ターヴィスのかなりの重大発言を聞いたとき、何を言われているのかさっぱり理解できなかった。理解できる範疇になかったし、わたしは冷静じゃなかった。
そう、彼女は確かに、こう言った。
「それは、恋ですよ。姫さま」
【戻る】
【TOP】
【第3章】
|