第2章 −6−


「付いてきてください」
 イシュアの背中に二人して付いていき、家の中に入った。
 家の中は、それなりの豪華だった。王宮とは比べものにならないけど、きっちりと手を入れてある。かなり、防犯面に関してお金を掛けているよう。
 家の中は四つに別れており、玄関と裏口は同じ居間(?)にあった。そこから寝室、水場、召喚室と別れている。
 どうやら一人暮らしらしく、家具はほとんど一人用だった。そして、必要最低限何もない部屋というものを、菫は初めて見る。本当に、何もないのだ。
 最後の部屋は、召喚するための部屋、らしかった。そこは。
 居間の半分しかないその部屋は、簡素だった。それでも居間よりも物がある。
 何もない、煉瓦の床。壁には大きな絨毯が丸くして数本立っている。窓もなく、明かりは扉から入ってくる自然の光と、蝋燭の人工的な明かりのみだった。
 イシュアは右から二本目の絨毯を手に取り、床の上に広げた。
 藤色のそれは、幾何学のような円形の模様が複雑に糸で編まれていた。
 絨毯よりも薄く、布よりも厚い。フェルトの生地。
「王宮に行くためだけの『道』だ。召喚布という。王族の人間と選ばれた人間以外には使えない代物だ。イシュアの母親も、時々これを使って王宮に来ている。王宮にもここに来るための『道』がある。向かう場所に対しては、これといって大したものは必要ない」
「便利だねぇ、魔法って。一般人のわたしには、ちんぷんかんぷんだよ」
 魔法陣を召喚するための時間と労働を途中まで簡略したもの、と菫は睨んだ。
 『どこでもドア』みたいに、一度行った場所をインプットしたものだ。つまり、一度も行ったことのない場所のものは、インプットされない。故に行くことも出来ない。
 ファレルは躊躇いもせずに、召喚布の真ん中まで進んだ。
 菫も、恐る恐る、乗った。
「あ ――― 、イシュア。この借りは、必ず返す。俺に出来ることなら、何でも言ってくれ」
「なんでも、ね」
 皮肉気に、イシュアは方頬を歪めた。
 それを見たファレルが、怒りも顕にしてイシュアを睨み付ける。ここで何かしらの喧嘩を始めないのは、菫がいるからか。それとも王子としてのプライドからか。
 とにかく、ファレルは冷静になろうと必死だった。
「イシュア、どうも有難う。助かりました」
「いいえ。この程度でしたら、いくらでも」
 菫相手だと、態度を変えて、親切になるイシュア。
 けれどその灰色の瞳は、何を考えているのか人に読ませない。
 菫は、イシュアのような人を、知っている。
 先ほど感じた、デ・ジャ・ヴ。
 あれは、勘違いなんかじゃない。確かに、菫はイシュアを知っている。イシュアに似た、人間。イシュアの無関心な瞳。皮肉気な笑み。
 記憶の中の誰かと、だぶる。
「・・・・・・おい。用意はいいか」
「あ、は、はい。用意、いいです」
 ファレルがこちらを不審そうに見ている。うわの空で、菫は返事した。頭の中で形になりかけたものが、泡のように消えていく。しかし焦燥感はなかった。むしろ、消えたことに安堵する。
 召喚の用意だ。
 召喚の理屈も解っていないのに、用意も何もあったものじゃないが、とにかく、菫は首肯いた。ファレルが一緒なら、大丈夫だろうと思って。
 何時の間にか、絶大な信頼を寄せている。
 その事実に気付くこともなく、菫は重力を身体全体に感じた。
 隣では、ファレルが聞いたこともない言語で召喚魔法陣に話し掛けている。後に聞くと魔法は生きているもので、こちらからお願いしないと行動に移してもらえないのだとか。この時の呪文が、魔法にお願いする時の特別な言語なのだそうだ。
 エレベーターに乗ったとき以上に鳩尾が気持ち悪くなる。
 反射的にお腹を押さえた時にはもう、そこは王宮内だった。エレベーターが止まる時の浮遊感まで同じで、移動したという感動がまるでない。
 それなのにファレルはさっさと菫から離れる。
 菫たちが到着したのは、ラニバと散策した庭園内だった。雪が降ると散るという花・ライノムも、そこかしこに咲き誇っている。いまが盛りだ。
「馬は、明日しかないな」
「あ、ごめん。その、ありがとう」
 愛馬を手放したファレルに、菫はどうしようもない後悔にかられていた。
 外は真っ暗で、ファレルの黒いマントは景色と解け合って、なかなか恐い。そういう自分も似たような格好なのは、完全に忘れている。
「まったくだ。お前は、イシュアにご執心らしいからな。言い訳しなくてもいい。見ていれば分かる。とにかく、俺たちの生死はお前が握っているんだ。それなりに考えて行動しろよ。じゃぁな、伝説の花嫁どの」
 最初から最後まで、菫の言葉など聞かずに、刺々しくファレルは言い切った。
 最初に出会った頃と変わらない嫌味っぷり。最低っぷり。
 イシュアに借りを作ってしまったぐらいで、そんなに怒ることもないのに。
「あ・・・・・・」
 菫は、重大な事実に気付く。気付いてしまってから、頬を染める。
 ファレルは、菫の名前を呼ばなかった。イシュアに会ってからはまったく。
 そんなことに気付いてしまったことと、どうして気付いてしまったのかを考え、菫は不安そうに辺りを見回した。
 菫の表情は、可哀相なほど、青白い。
 真白き花は、闇に浮かぶ灯篭のよう。
 菫は慌てて王宮内に飛び込み、自室に逃げ込んだ。



戻る】       【進む


H16/03/09

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送