第2章 −4−


「やだ」
 菫は、赤く染まった空の下、駄々を捏ねていた。
 それを、困ったようにラニバとシオンが見ている。
「姫さま」
 有無を言わせないターヴィスの声。
 びびって従いそうになる頭と身体を叱咤して、菫は首を横に振った。
「絶対に、嫌」
 菫の声にも、覚悟が伺える。
 すでに空の端は薄暗くなっている。紅焼けの空が、闇に染まろうとしている。
 菫とターヴィスは、帰りぎわ、馬に騎乗して帰るかどうかで言い争っていた。
「姫さま」
「だから、シオンの馬で帰るって言ってるじゃない」
「許可できません」
 先程から、この会話の繰り返しである。
 仮にも王族の人間が、位の低い伯爵と同じ馬には騎れないのだそうだ。本当に馬鹿馬鹿しい話だったが、ここはファンタジーの国だ。仕方がない。
 名前を出されているシオンに至っては、本当に困った顔をして、二人の言い争いを止めることも出来ずに立ち尽くしていた。
 ラニバに至っては、なぜか菫たちの会話を楽しそうに聞いている。
「ターヴィスと帰るぐらいなら、ファレルと帰るもんねーだ」
 菫の言葉にターヴィスの眦が、釣り上がった。
 緊張する心臓に悪い状況。
 が、一転してターヴィスは、何故かにこやかに微笑んでいた。
 その後ろではシオンとラニバが困ったように顔を見合わせ、ファレルが頭を抱えていた。
「では、ファレル殿下。姫さまをお願い致しますわ」
 そう言うと、さっさと馬にのって、ターヴィスは歩きだした。そして、振り替える。
 有無を言わせないターヴィスの視線に、シオンとラニバも馬を進める。
 視線だけで人を従わせる最強の女、ターヴィス。彼女は、一国の王よりも偉い。
 ―――――― たぶん。

「どうするんだ」
「はや?」
 少し上から声をかけられ、菫は首を傾げる。
 ターヴィスの言動に一時的にだが、思考が停止していたのだ。
「騎るのか、騎らないのか。言っておくが、断ればそのまま置いていくぞ」
「じゃ、置いていって。一人で帰るから」
 呆れ顔になるファレル。
 なぜか、その目は怒っている。
「我が侭もいい加減にしろよ。何様だと思っているんだ。客分という立場に胡坐を乗せるな。さっさと騎れ」
「今さっき、断れば置いていくって言ったのに・・・・・・」
 菫は、ファレルの言葉にドキリとした。
 反抗を口にしたものの、ファレルの言うとおりだと自覚していた。
 人の親切に遠慮を忘れてしまえば、人として過ごせなくなる。
「でも、怖いものは怖い」
 ファレルの前で弱音を吐くのは嫌だったが、はっきりと言った。
「馬に騎るのは怖い。高いところは怖い。騎れても、どうなるか判らない」
 マントを握り締め、菫は素直にそう言った。
 それもこれもターヴィスの所為なのだが、帰れなくなるのも怖かった。
 ファレルに騎せてもらうのが一番いいことだと分かっているが、身体が、拒絶を示す。

―――― ったく」

 舌打ちが聞こえた。
 王子らしくない所業。けれど、似合っている。
「大人しくしとけ」
 そう言うと、ファレルはさっさと馬に騎って、菫に手を差し出した。
 手を貸してくれるという気持ちには感謝したい。
 手を乗せたいし、早く帰りたいという気持ちもある。
 先行したターヴィスたちの姿はもう見えなくなっているし、辺りもどんどん暗くなっている。一人歩きは、たいへん危険だ。
 菫の顔が歪む。
 足が竦んで動けない。
 一人歩きの危険よりも、菫にとっては高いほうのが怖いのだ。
 高所恐怖症じゃない人には判らない感覚だろう。高いところを想像するだけでも、目が回る。今の菫は、たとえ低い踏み台だろうと、上れない。
「・・・・・・やっぱ、ダメ! わたし、歩いて帰る!!」
 ファレルの手に縋り付きたい気持ちを振り払って、菫は歩きだす。
 緩急のない、穏やかな下りを、急ぎ足で進む。
「スミレ!」
 背中から、馬の足音と人の足音。
 後を見れば、ファレルは愛馬から下りて、こちらに向かっていた。
「付き合う。王子が婚約者を放り出したなんて噂、出されたくないしな」
「ごめんなさい」
 正直に謝った。
 今回ばかりは、ファレルに頭が上がらない。
 基本的に優しいんだ、ファレルは。フェミニストだし、紳士的。
「ここからだと、王宮に着くのは二時間を過ぎるな」
「うん」
 菫とファレルは黙々と歩く。
 数十分後、丘を下り、街道に降りた時、菫は沈黙に耐えられずにファレルに話し掛けた。
「ファレルの義弟って、どんな人? 王宮に住んでいるの?」
「市街に住んでいる。性格が悪いんだ」
「あ、そう」
 同族嫌悪というやつかね。ファレルも性格が悪いし。
「仲、悪いって?」
「会うたびに喧嘩を売られれば、結果的にそうなる。やつは、境遇の違いを逆恨みしているただのガキだ」
 質問したことには、はっきりと答えてくれる。
 見た目は怒っているのに、全然怒っていないみたいだ。
「やっぱり、わたしも会うことになるよね」
「今日にでもな」
「はい?」
「帰りが遅くなると、皆が心配する。王をつぐ人間がそんなでは、頼りない。借りは作りたくないが、仕方ない。あいつの力を借りる」
 心底、嫌そうな顔で、ファレルは唇を歪めた。
 本当に仲が悪いらしい。
 ちょっとだけ、菫はそんな関係が羨ましく思った。
 菫にも姉がいる。仲は悪くないけれど、良いとも言えないけれど、ファレルのように本気でぶつかった事はない。本気で、気持ちをぶつけたことはない。
 お喋りをやめて、浮かない表情になった菫を、ファレルは横目で眺めていた。



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H16/01/23

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