第2章 −2−


 次の日から、菫は忙しく日常を過ごした。
 午前中は姫にふさわしい勉強(身だしなみとか)を、午後からは乗馬の練習を。
 特に、この乗馬が嫌だった。
 専任の教師はターヴィスだが、馬のプロであるシオンが付き添うし、ラニバが怪我をした時のために控えているし、ファレルが野次馬で遊びにくる。さらには、王家が抱えている近衛親衛隊の騎士団までもが見学にくるのだ。
 しかし、極めつめけは、このわたしだろう。
 菫は、高所恐怖症だった。高いところが駄目なのだ。
 馬というのは、見た目よりも高い。鞍に騎れば、さらに高くなる。初めて騎った時は、目を回してそのまま落ちた。気絶時間、約5分。ターヴィスに起こされていなければ、そのまま寝ていただろう。
 初めての乗馬がこのように終わったために、いまだ菫は馬に騎れていない。
「いやぁぁぁぁ ―――――― !」
 今日も今日とて、菫の悲鳴が鳴り響く。
「6回目」
 ファレルの回数を数える声が、重なる。
 本日の6回目のチャレンジが、失敗に終わったところである。
「嫌。もう駄目。絶対に騎れない。この馬、絶対にわたしのこと嫌い」
「何事にも、絶対はありませんよ、スミレさま」
 最初の頃は転げ落ちるたびに「大丈夫ですか」と聞いていたシオンも、今では何も言わない。何度も落ちて、そのたびに無傷ならば当然かもしれない。
 乗馬用の丈夫な服を着て、菫は、ターヴィスを睨む。
「もう、馬には騎りたくない。騎れたとしても、動けないもん!」
 気絶することはさすがになくなったが、そのかわり身体が固まってしまって動かない。動けないものだから、馬が少しでも身じろぎをすると振り落とされる。
 馬も解っているのか、菫が近付くと嫌そうな顔をする(思い込みかもしれない)。
 数日前からこれの繰り返しだった。
 高所恐怖症を押してまで、なぜ馬に騎ろうとするのか。それは、ラニバの素晴らしい言葉から始まった。

「馬に乗れるようになったら、どこか、遠出をしましょう。姫さまも、ずっと王宮内にいるのはつまらないでしょうし」

 賛成したのは言うまでもない。
 しかし、いつまでたっても上達しない。それ以上の見込みはない。
 ターヴィスもそこら辺がようやく分かってきたのか、渋々と首肯いた。
「仕方ありませんね。こればかりは、努力でどうにかなる問題じゃないみたいですし。ここまで頑張ってきたことを誉めましょう。姫さま、ご苦労さまです」
「ありがとー。遠出が出来なくなるのは残念だけど、これはこれで嬉しいよ」

「しますよ」

 ターヴィスの一言に、菫は固まった。菫以外の人間も固まった。
「なんだって?」
「遠出しますよ。姫さまには一人ではなく、二人で騎ってもらいますが」
 シオンとファレルが、顔を見合わせる。と、同時にお互い視線を逸らした。
 その場合、菫を補佐するのは二人のうちどちらかだ。
「誰と騎るの?」
 分かっていない菫が、ターヴィスに質問する。ターヴィスは簡単に言った。
「わたしとです。嫁入り前の姫さまを、他の男になんて任せられませんから」
 ターヴィスは、睨むようにして、ファレルに視線を合わせた。げっそりとしたようにファレルはため息を吐く。
 初日の晩餐後、ファレルが菫の部屋にきて、何もしなかったことをターヴィスは今だに怒っている。自分がお仕えするご主人さまに魅力がない、と言われたように感じたらしい。年頃の男女が一つの部屋にいるのに、だらしなさすぎる。と、いうことらしい。
 馬鹿馬鹿しいが、いたって本人は大真面目で、当事者の話に聞く耳をもたない。
 ―――― 実際、仲が良いとは言えない関係だけど。
「日時は明後日、七時にここへ集合です。メンバーは、ここにいる全員。皆さん、遅れないようにお願いしますわ」
 それぞれが、疲れたように返事した。
 ターヴィスの元気のよさに、気を吸い取られたかのように感じられる時間だった。


 沐浴後、ラニバに頭を乾かしてもらっていた時、菫は聞いてみた。
「ラニバって、馬に乗れるの?」
「もちろんです。ターヴィスさんには適いませんけど、それなりには」
「わたしだけ初心者かぁ。ターヴィスって、馬のことになると目の色変えるね。スパルタだし。遠出は嬉しいけど、ちょっと恐いなぁ」
 今まで馬を走らせたことはないのだ。騎るのにも四苦八苦している状態での遠出は、良い意味でも悪い意味でも、心臓に悪い。
「ターヴィスさんの騎乗のセンスは、殿方に引けを取りません。姫さまは、一番安全なところに居られるのですから、大丈夫です」
「そっか、そう考えるといいんだ。ね、どんな服がいいかな。どんな色のが映えると思う? マントはいるかな? 素敵な所だといいな」
「ステファン王国が一望出来るところです。きっと、気に入られますよ」
 まだ見ぬ景色に思いを馳せ、菫は嵌め込み式の窓から、外を見る。真っ暗なそこに、何かが確実にあるように、心に移る景色を眺めた。


戻る】       【進む



H15/11/16

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送