第2章 −1−


「服を脱げ」
 その一言に、菫は身の危険というか、貞操の危機を感じた。
 顔色をさらに悪くして、後ずさる。とにかくこの男から離れなければ。
 菫の様子に気が付いたのか、ファレル殿下は不愉快そうに眉を顰めた。
「何をしている。さっさと脱げ。お前みたいなガキ、襲うわけないだろうが」
「なら何なんだ、今の科白は!」
「腰廻りが苦しいんだろう。見ていれば分かる。隣の部屋でさっさと着替えてこい。話はそれからだ」
―――――
 菫は、遠慮なくファレル殿下の好意を受け取った。ラニバのいう、紳士的な態度というのは、確かにファレル殿下の中に存在する。
 ファレル殿下は籐で作られたチェアにどっかりと座り、クッキーを食べている。
 菫は隣の部屋(寝室)にいき、とりあえずドレスを脱いだ。リボンやボタンに時間をかけ、数分後には下着姿になった。腰を取り巻いていた布を外したとたん、一気に楽になる。化粧も頭のセットも、素の状態だ。新鮮な空気を何度も吸い込み、自由を満喫する。
 自然とお腹に手と視線が集中する。
 誰もいない寝室に一人、菫は自嘲気味に微笑んだ。
 が、それも一瞬のことで、すぐに次のことへと思考は飛ぶ。

「さて」

 何を着ようかと、菫は考える。
 ほとんどのドレスはファレル殿下がいる部屋にある。こちらの部屋に存在するのは、男物の服に、ここにきた当初身につけていたもの。
 ここはやはり、菫がいた世界の服を着るべきだろう。それにこれなら、着替えるのも楽だし。なにより、気兼ねしなくていい。
 ハーフのジーパンに、赤いキャミソール。それだけだと肌寒いから、上からスカーフをかける。髪はポニーテールにして、寝室を出た。
「・・・・お待たせしました」
「おもしろい衣服だな。特に足元のそれは、なんだ?」
 興味津々なファレル殿下。それだけを見ていると、年相応な子供の顔。
「ジーパン。丈夫だよ。色褪せても、擦れてしまっても、何年でも捌ける。そういうファッションなんだよ。流行っていうの? 着るごとに味を変えていくの。上のはね、キャミソール。昔は下着だったんだけど、突如として洋服として表に出始めた。夏は暑いから、結構重宝してる。これなら、わたしにも合うからさ」
 室内履きは、残念ながらこの国のもの。冷え性だから助かる。
「薄着だな。そんなものでは、身を護れないだろう」
「守る必要はないよ。わたしがいた国は、とりあえず、今のところ、戦争の気配はないから。他の国も、テロとか言ってるけど、わたしたちにしたら別世界の話だし」
 思えば、平和な国だ。否、平和な生活だった。
 いろんなところで事故があったり、災害があったり、殺人事件があったり、テロがあったりしてたけど、全部自分には関係ないものだった。今まで自分に降り掛からなかっただけで、ちゃんと自分の身近にあったことだと、今の自分には理解できる。
「当事者になってみないと、判んないことなんだけど」
 当事者になって、初めてわかったけど。
「けどまさか、誘拐されちゃうなんてね。しかも相手は地球だし。勝ち目なしだね。無くしてみて初めて解る大切さっていうの、教えてもらった。家族のこと考えるの億劫だけど、仕方ないね。今は、思う存分楽しもうっていう気持ちしかない」
 というか、そう思わなくっちゃ、やってられない。
 菫はファレル殿下の向かいのチェアに腰掛けると、香草茶を頂いた。
「恨んでいるのか?」
 ファレル殿下が、聞いてきた。
 答えにくい。恨むという問題じゃない。ただ、どうしたらいいか判らないだけだ。
「・・・・・・おかしいよね。恨みは、一切ない。それどころか、感謝も感じている」
 ファレル殿下が耳を傾けてくる。
 それが、何よりも嬉しい。シオンに望んだことを、ファレル殿下が叶えてくれている。喧嘩するのも、友達の条件。気に入らないってことは、それだけ気にしてる証拠。
 ほんの数分だけのことなのに、菫はファレル殿下のことがすごく好きになっていた。
「感謝してる。いきなり攫ってくれて、帰る道を閉ざしてくれて、わたしにはっきりとした答えをくれて、感謝してる。どうしようもない状態を提供してくれて、すごく、感謝してる。意味わかんないかもしんないけど、これで納得して欲しい」
「そのおかげで俺は被害を受けている」
「それはこっちの科白。わたしはまだ16だっていうのに。あんたに恋人がいるんなら、申し訳ない話だけどね」
 菫の科白に何かを感じたのか、ファレル殿下のカップをもつ指が止まった。
 明白な態度に、菫は「あらら・・・」と呟いた。
「もしかして、図星。恋人、いるんだ」
「そんなものはいない」
 むっとした表情で否定するファレル殿下。
「じゃ、好きな人。当たりだ。正解だ」
「そんな下らない事に時間を裂いている余裕はない。そういうお前はどうなんだ?」
 はっきりと、ファレル殿下は言い切った。事実だと解る口調だった。
「べ、別にいいでしょ、わたしのことはっ!」
 頬を赤くする。墓穴を掘った。今のは、恋人がいないと言っているのも同じ。
 チラリと前を見れば、ニヤニヤと笑っているファレル殿下の顔。
「ま、お前みたい男女に恋人がいる方が可笑しいけどな」
「そういうファレル殿下こそ、ご自分の容姿には大層な自信がおありのようですけど、恋人の一人もおらっしゃらないなんて、それこそちゃんちゃら可笑しいですわねっ」
「はん。負け惜しみを言われても、怒る気にはなれないな」
 事実そうなので、情けないことになる前に、菫は黙った。
 菫が黙ったのを確かめて、ファレル殿下は口を開いた。
「先程の続きだ。伝説について」
「あ、はい」
 ついつい忘れていた。
「・・・・・・この国を作ったのは、一人の王。それがお前のいた世界の人間。どうやってそいつがこの世界にきたのか、国を造ることになったのか、文献がないから知りようがないが、確かなことは言える。その男の遺言めいたこの伝説の掟は、今もなお生きている。それが、目の前にいるお前と、代々続いてきた俺たち王家の存在」
「貴方たちが勝手にやったことでしょ?」
「違う。俺も、昨日までは只の伝説と思っていたんだがな。信憑性が増してきた。伝説の一つに、この掟を破った代の話がある。今と同じで、そいつらの代も、数代前まで妃しか生まれなかった。が、その代で久しぶりに皇子が生まれた。奔放な皇子で、両親も甘やかしすぎた。その親子は、伝説を信じなかった。だから、皇子は伝説の年を待たずして同じ国の少女と婚姻を結ぶ。結果・・・・・・」
 そこで、ファレル殿下の言葉が途切れる。
 この、間が嫌いだ。否が応にも、緊張感が増す。
「結果・・・・・・?」

「結果、その代で王家は終わった」

 静かな口調。それが、事実だということを報しめる。けど、納得いかない。
「う、うそだ。じゃ、なんでファレル殿下がここにいるわけっ?」
「おれたちの初代は、王家の分家筋だという、文献が残っている。この国の歴史は古い。だけど、今の王家の歴史は、この国の歴史よりもはるかに新しい。それが証拠その1」
 ごくりと、唾を飲み込む音が響く。
「証拠その2は、お前。伝説のとおり、ヒトキシラ湖でお前は見つかった。異国の服を着て。召喚士は何もしていない。そもそも召喚というのは、召喚対象のものがある位置を正確に把握しなければ出来ない事なんだ。一度行ってるとかな。俺たちに、それが判るわけないだろ。俺たちがしたことなら、お前はとっくの昔に元の世界に帰れているな」
「じゃあ、どうやってわたしはここに来たの!」
「知るか。お前が言ったとおり、チキュウに誘拐されたんだろう。ったく、はた迷惑な」
「それはこっちの科白」
 頭が痛くなってきた。
 気が安らぐという香草茶も、役に立っていない。冷めたそれを飲み干し、菫はクッキーに手を延ばす。夕食を取れていなかったから、お腹が空いているのだ。
「こんな状況で、よく食べられるな」
 引きつったような声。事実、ファレル殿下の口元は引きつっていた。
 見目の良い顔は、それでも崩れない。
「だって、腹が減っては戦は出来ないって言うし」
「なんだ、それは」
「日本の諺。日本は、わたしの国。島国なんだ。日、出ずる国ってね」
 そんなことぐらいしか、知らないけど。
「そっか、もう、戻れないか。決定的だね、今のは。今までは、チャンス在りと思ってたんだけど。そっかぁ、もう、諦めなくちゃいけないかぁ。諦めて、ファレル殿下のところに嫁入りするんだね。とりあえず、結婚さえしちぇばいいんでしょ」
「ああ。いったいどういう魔法が働いているのか理解できないが、恒久的なものみたいだし、だからこそ単純なものだから助かっている。人の心までもいれた魔法だと、とてつもない力が必要だからな。決められた儀式を行なうだけで済む」
「儀式?」
「婚儀のことだ。聖職者の前で、誓う」
「それだけ?」
 まるで教会での式みたいだ。
「それだけだ。だからこそ、恐ろしい」
「なんで?」
「ちょっとは物が考えられないのか、お前は。恥ずかしい奴だな」
「知らないから聞いてるだけでしょ。聞くことは恥ずかしい事じゃないよ。知らないままにしておくことが、恥ずかしいことなんだよ」
 菫の言葉に、ファレル殿下は黙り込んだ。
 正論だったからだ。
「で、なんで?」
「・・・・・・魔法の手順と一緒だからだ。言葉の交換は、自身との交換だ。相手に命を預けることを神の前で誓う。そして、確実に自分の命は相手に握られる。言霊というのは知っているか? 言葉が魂をもつことだ。言葉にしたことが、現実に起こる現象のことだ」
 尋ねているのに、自分で答えている。先程のような会話をもう一度したくなかったからだろう。以外とせっかちな人のようだ。
 菫はクッキーを食べ終わると、焼き菓子に手を伸ばす。
 ファレル殿下も負けじと手を伸ばした。
「婚儀は、最初から最後まで言霊が付きまとう。だから、神官以外の出席者は誰も話せないよう、呪をかけられる」
「じゃあ、どうやって誓いあうの?」
「その時がくればそう発言するよう、前もって呪をかけられる。しかも古代の言語だから、殊更強くかかる。昔の魔法は発達していたからな。そういう意味では、本人たちは何もしなくていいから楽といえば、楽」
 チェアの背もたれに背中を預けると、ファレル殿下は欠伸を噛み締めた。
 心の余裕がなかったからか、よく見れば、目が赤い。顔もやつれて見える。
 菫はあわてて立ち上がる。
「疲れているところを付き合ってくれて、ありがとう。あとは、ターヴィスに聞くから。ファレル殿下は、もう休んでもいいよ」
「やけにしおらしいな」
「ファレル殿下が喧嘩腰だったからだよ。わたしだって、初対面があんなじゃなかったら、もっと猫かぶって女の子らしくしてたよ」
「男装でか。はん、お前に女の子らしさを追求したところで、高が知れる」
「・・・・・・・・・・」
 どうしてこの人は、こう、喧嘩腰に話すんだろうか。
 すでに菫の中では麻痺しているため、こういう話し方をされても気にしなくなったが、やはり、初めての人は気にするだろう。長く付き合っていても、癪に障るはず。
 基本的に、良い人なんだけどね。
「殿下も、たいした性格で」
 ファレル殿下は優雅に立ち上がると、腰に差した長剣に触れ、菫を見た。
 何やら考えている様子。
「なに?」
「お前、剣は操れるか?」
「剣道なら、授業でやったけど?」
「よく分からないが、たしなみはあるんだな? よし、ならいい」
 ファレル殿下はよくても、菫にはよくない。どういうことか説明がほしかったが、ファレル殿下はさっさと扉に向かう。自己中心的なところは、王子だからだろうか。
 扉のところまで行き、ファレル殿下を見送る。
「おい、俺のことは呼び捨てでいいぞ」
「は?」
「すでにお前は王家の人間だからな。そんな奴に『殿下』と呼ばれるのは変だろう。だから、呼び捨てでいい。許す」
 殿下という呼び名は、王家よりも下の身分が王家にたいして使う言葉である。
 ファレル殿下はそのことを言っていた。
「ファレル?」
「それでいい。じゃあな」
「あ、あの、ありがとう! また、喧嘩してくださいね! おやすみなさい」
 変な顔をするファレル殿下、もといファレルに笑いかけ、菫は扉を閉めた。
 最初の印象どおりの人だった。でも、紳士的な優しい人だ。
 結婚する相手としては難ありだけど、友達としては、最高に良いかもしれない。


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H15/11/02

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