第1章 −7−


 自室に戻ったとき、ターヴィスが腰に手を当てて菫たちを待ち構えていた。
 いかにも教育者といったその格好に、菫の足は自然、後に下がる。
「お待ちしておりました、姫さま。お着替えの時間です」
「オキガエッ?」
「晩餐会ですわ。ファレル殿下が珍しく早くお戻りになったので、晩餐会も早くすることになりました。さ、こちらのドレスに着替えてくださいませ」
 ターヴィスが取り出したのは、淡い紫のドレス。菫の名と同じ色の綺麗なドレス。
 菫の性格を考えてくれたのか、装飾品は少ない。フリルもまったくない。地味に見えるそれは、それでも光って見えた。
「どうです? 美しいでしょう?」
「うん・・・・・・。すごく綺麗・・・・・・。えっと、着替えるの手伝ってくれる?」
「もちろん、そのつもりです」
 ターヴィスとラニバは、嬉しそうに首肯いた。
 こちらの服はどうやって着たらいいのか検討もつかない。ジッパーというものがないから、ほとんどボタンで止める。リボンで止める。そしてそれが無数に至る所にある。
 男物は、リボンがないだけ、着るのも脱ぐのも楽だ。
 ドレスを着るとき、菫はいつもマリー・アントワネットを思い出す。彼女は、いつもこんな服を、堂々ときていた。やはり当時にはコルセットなるものがあったのだろう。それを考えたら、わたしは幸せものである。コルセットのない世界で、本当に助かった。
「姫さま、息を吐いてください。ギュッといきますよ!」
 それでも腰の細さは、大事みたいだけど。
 菫は顔を真っ赤にして酸欠状態を味わった。この苦しみは、着物を着たときの苦しみと同じだ。すごく痛い。肋骨が折れそうなほどだ。
「か、かんべんしてぇ」
「まだまだです。ラニバ、そっちをひっぱって!」
「はい!」
 両方から布をひっぱられる。内臓のすべてを吐きそうだ。
 ラニバも、可愛い顔して、力強い。手加減というものを知らない。
「はい、もう、大丈夫ですよ。動かないでくださいね」
 動きたくてもお腹が苦しくて、まともに歩けそうにない。そんな菫をターヴィスは、着せ替え人形のようにテキパキとドレスを着せていく。
 ドレスが整えられたら、今度は頭。長くもなく短くもない中途半端な髪に、四苦八苦している二人。最後はティアラみたいなものを付けられる。そして化粧。なんか、鏡を見るのが恐くなるくらい、塗りたくられているような気が、する。
 どれだけの時間が過ぎただろう。とにかく心身ともに疲れ切った頃、ようやくふたりは菫から離れた。
「さあ、姫さま。どうです?」
 等身大の鏡を、ターヴィスが菫の前に置く。動けない菫は、視線だけで自分の姿を見る。
 そこには、見知らぬ女性がいた。まさに、変身していた。自分じゃない自分が、そこにいる。鏡のなかの自分は、信じられないような顔をしている。
「これで、ファレル殿下にたいして大きく出れますね」
「え・・・・・・?」
「庭園での一件、見ていました。姫さまはわたしがお仕えする大事な方です。たとえ殿下であろうと、あのような言い方は許せません。後悔させておやりなさい」
 ターヴィスの頼もしい言葉に、菫は不敵とは言えない苦笑いを返した。
「努力します」


 菫は、迎えにきた知らない侍女に連れられて、大きな食堂にいた。
 会見した広間よりも、暖かい空気が流れている。天井から釣られた見事なシャンデリラが、蝋燭の明かりのをより美しいものへと変えている。
 長方形の長いテーブルには、レースのテーブルクロスがかけられている。数メートル置きにおかれた蝋燭が、ユラリと空気の流れを報せる。
 すでに王と王妃が座っている。ファレル殿下はまだ来ていない。安心して、勧められた豪華な椅子に座る。
 座り心地は最高なのだが、いかんせん、居心地が悪い。壁に左側一列に並んだ騎士たちが、右側一列に並んだコックやメイドが、無関心を装いながらも菫に注目している。
 だれも視線を合わせようとはしないが、不自然さが目立つ。
「姫君、こちらにはもう、慣れましたか?」
「あ、はい。よくして頂いています」
 たったの数時間だというのに、丁寧な言葉がすらすらと出てくる。
 恐ろしいぐらい優秀な、適応力。
「それにしても見違えました。立派なレィディのようです」
「ありがとうございます」
 つまり最初のわたしは野生児だってか?
 頭の中で突っ込む。ここにきてから、突っ込むことが多くなったような気がする。
「皇子の花嫁が、あなたのように元気な方でよかった。王妃は身体が弱いので、わたしはいつも心配し通しでした。だから、皇子にはわたしと同じ心配はさせたくない。わたしは、あなたを選んでくれたチキュウに、とても感謝しています」
 王妃も、王の横で微笑んでいる。
 先程の会見では王妃が主導権を握っているように見えた。でも、発言は今のところ王しかしていない。二人とも、同じぐらいの権力を持っているということだろうか。
 菫は日本人特有の曖昧な笑顔で、とにかくその場を切り抜けようとしていた。
 実のところ、お腹が苦しくて、呼吸がまともに出来なくて、意識が時々途切れるのだ。
目の前が霞むこともある。耳鳴りも頻繁に起こる。
 末期症状だ。
 自分はここで死ぬのか? お腹を締め付けすぎて死亡なんて、かっこ悪すぎて嫌だ。
 脳に酸素が回らないのか、馬鹿なことを真剣に考える。
 そんなとき、もう一人の主役が食堂に現われた。
 昼間会ったときとは違った正装で、颯爽と現われた。メイドの数人が、ファレル殿下を見て熱い吐息を盛らす。
「お待たせして、申し訳ありません」
「待ち兼ねたぞ、王子。・・・・・・姫君、紹介しましょう。息子のファレル王子です」
 菫は、意識朦朧なまま、ファレル殿下に挨拶をした。
「初めまして、ファレル殿下。上坂菫といいます。菫、と呼んでください」
「・・・・・・初めまして、伝説の花嫁殿。お会いできて、光栄です」
 そのまま、静かにファレル殿下はテーブルについた。菫の真正面だ。
 それが合図だったように、料理が運ばれてくる。どれもこれも見るのは初めてだ。どの料理も匂いはきつくなく、薄味だ。でも、素材の持味が充分に活かされていた。
 フランス料理と違って、料理が出てくるのが早い。
 でも、今はそれが苦しかった。お腹を布で締付けられているので、空腹感はない。お腹に物をいれると、さらに苦しさが倍増する。戻しそうになるのを堪えるのでやっとだ。
 ほとんどの料理を二・三口で終わらせる菫に、王と王妃が心配そうに声をかけてくる。
「お口に合いませんでしたでしょうか?」
「いえっ。とてもおいしいです。その、いきなり気候が変わったせいでしょうか、気付かないうちに疲れているみたいでして。お腹は空いているんですけど」
 照れ隠しに、菫は果実酒を舌にのせる。
 王妃は、自分たちのいたらなさに、しきりと謝っていた。
 菫は、あわてて手を振る。
「謝らなければならないのはわたしのほうです。せっかくのご好意に応えることが出来なくって、申し訳なく思います」
「まったくだな」
 それまで沈黙を保っていたファレル殿下が、ピシャリと言った。
 和やかだった食堂の雰囲気が、唐突に張り詰める。
「おざなりに一口二口食っても、料理長が困るだけだ。なら、最初から断っておくのが筋というものだろう。お前の我が侭で、何人もの人間が迷惑を被っている。もっと自覚して動いたほうがいいな。しょせん、客といっても余所者だ」
「王子」
 王妃が、ここで初めて声をだした。母親としての声ではなく、国を支えるものの声。
 自分が呼ばれたわけでもないのに、菫は身体を緊張に固まらせる。
「王妃は黙っていただきたい。これは、私たちの問題ですから」
 王妃もそう言われるとどうしようもないのか、口を紡ぐ。
 ファレル殿下はそれを満足そうに見ると、改めて菫の方を見た。
「伝説の花嫁殿、何か、言ったらどうかな?」
 庭園であった時とは違って、やけに他人行儀な話し方。菫はさっきから、それが妙に鼻について気に入らない。体調の悪さと相俟って、不快さ倍増だ。
 しかし菫は、耐えた。
 最初から喧嘩腰に向かうのは、まわりの自分の評価に繋がってしまう。ここは大人しく、女の子らしく、静かにしている方がいいだろう。とりあえず、自分が引けば、この場はこれで終わる。
 一瞬で考えをまとめ、菫は頭を下げた。
「差し出がましいことをしました。申し訳ありません」
 さっきから、吐き気が繰り返し繰り返し、菫を襲っている。
 顔色も無茶苦茶悪いだろう。塗りたくった厚化粧のおかげで周りにはばれていないだろうけど、長く今の状態が続くのは、さすがに耐えられない。
「失礼ついでに、下がらせて頂きます。本当に、済みませんでした」
 王たちに、そしてここにいる人たち(ファレル殿下は除く)に、心からの謝罪だった。
 菫の気持ちが伝わったのか、王と王妃は、ゆっくり休みなさいと伝えてきた。
 自然と曲がる腰。そして下がる頭。
 頭を戻したとき、ファレル殿下の顔が目に入った。彼は、目を細めて睨んでいた。すでに目は霞んでいるので、その目に何が浮かんでいるのかは分からない。
 が、むかついたのは事実。
 手を延ばして水の入ったグラスを持ち、勢い付けてファレル殿下にぶっかけた。
「な・・・・・・っ!?」
 呆気に取られて、情けない顔を披露しているファレル殿下。
「失礼、手が滑ってしまいました。それにしても、水も滴るいい男というのは、今のあなたのことを指すんでしょうね、殿下」
 それだけを言うと、菫はファレル殿下の反応を見ないうちに食堂から出た。食堂の扉の両端には、広間の時のような騎士が二人付いている。
 壁が分厚いのか、中からは何も聞こえない。中の様子も兵たちには分からなかったようだ。笑顔で菫を見送ってくれた。
 菫はそれに曖昧な笑顔で答え、与えられた自室へと急ぐ。今すぐにドレスを脱ぎたい。戒めを解きたい。ベッドのうえにダイブしたい。
 赤い絨毯で敷き詰められた長くも広い廊下を、急ぎ足で進む。均等に表れる出窓からは、暗い外しか見えない。廊下も、蝋燭の灯りがなければ真っ暗だろう。
 転びそうになるのを何度も堪えて、廊下を曲がる。曲がったそこは、階段があって、それを登れば自分の部屋があったはず。
 なのに、そこに階段はなかった。



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H15/07/11

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