第1章 −6−


 ラニバは、菫の二歩後から付いてくる。王家の人間と一緒に並んで歩くことは、失礼にあたるからだ。菫自身はそういう意識がないので一緒に歩こうと言ったのだが、丁重にお断わりされた。どうにもならない事というのは、けっこうあるものだ。
 菫は黙って、ゆっくりと歩く。
 庭園はかなり広い。菫の知らない花や、見たことのない石像、テレビでしか見たことのないような人工湖。小動物が棲んでいる林。壮大な大自然。
 淡い色彩の花々たちは、菫の心を穏やかにしていく。
 ずっとここにいてもいいかなと、そう思わせるほど、すばらしい庭園だ。
「ねぇ、ラニバ。ここには、派手な花がないんだね」
「熱帯にならあります。ここは気候が涼しいものですから、どうしても、そういった花しか咲けません。姫さまは、はっきりした色の方がお好きですか?」
「花なら何でも好きだけど、こういうのも、好きだよ。小さい花とかさ」
「わたしも、ここの花たちは好きです」
 本当に花が好きなんだと、その声の調子から伝わった。
 可憐、という言葉が似合うラニバには、ぴったりの趣味だ。
「ラニバ、この花、なんて言うの?」
 菫は白い花を指差した。その花は、庭園の至る所に咲いている。
 花弁が何枚も重なったカーネーションに似た花。カーネーションと違って、一本の茎から、いくつもの花の固まりを付けて咲いている。手毬みたい。蕾のものが圧倒的に多い。
「それは、ライノムと言います。昔の言葉で、親愛と言うのです。そのライノムはとても寒さに強い花でして、一年の半分、花を咲かせています。もうすぐ咲き頃ですね」
「寒さに強い花か。何だか、雪みたい」
「ここでは滅多に降りませんけど、降ったら降ったで、大変です。ライノムは寒さには強いのですが、雪には滅法弱くて・・・・・・。ここにある花がすべて落ちるところは、見たくありません」
「不思議な花だね。雪を見ずに、逝ってしまうなんて」
 ラニバが、びっくりしたように菫を見た。菫は、首を傾げる。
 変なことを言っただろうか。
「なに?」
「いえ、その、前にも、姫さまと同じことを言った方がおりましたので」
「ふーん」
 懐かしむように、遠い目をするラニバ。心なしか、頬が赤い。
 好きな人だろうか。ラニバにも、そんな人がいるんだな。
 菫はそのことに関しては触れなかった。ラニバが、瞳に痛さを抱えていたから。切なそうに、思い出を見ていたから。邪魔はしたくなかった。
 静かな時間が流れる。菫はその場にしゃがみこみ、もっと間近にライノムを見る。
 とても良い香りがする。そんなにきつくない甘い香り。
 いつまでも眺めていたい。いつまでも、眺めていられる不思議な花。

――――ラニバっ!」

 ライノムの垣根の向こうから、男の声で誰かがラニバを呼んだ。
 菫はラニバを見上げる。ラニバは、びっくりしたようにその場に立ち尽くしている。
「ラニバ?」
 声ををかければ、ラニバの硬直は直ぐ様消えた。そして、蒼い顔をして前に出る。
 菫は、こちらに近付いてくる妙に近い足音に、不穏なものを感じて立ち上がった。
「うわっ?」
「わっ!?」
 立ち上がった途端、固いものがぶつかってきた。その衝撃に、菫は不安定な態勢でいたために柔かい地面の上に倒れる。
「姫さまっ」
 ラニバがすぐに駆け寄ってくれて、手を取ってくれる。
「どこかお怪我は?」
「ドレスだったら、やばかったかも。ありがとう」
 マントが間に入ってくれたので、擦り傷一つない。
 菫は自分にぶつかってきた相手を見る。かなり上の方に頭がある。
「殿下、ご無事ですか?」
「大丈夫だ。それより、こいつは誰だ?」
 こいつ呼ばわりに、カチンと来る。しかも、謝りもしない。
 菫はさっさと立ち上がると、相手の男を睨み付けた。藍に近い黒髪に黒瞳。菫が首を曲げなければならないほど、見上げなくてはならない相手。
「ラニバに聞かなくっても、自分で答えられます。わたしは上坂菫といいます、殿下。さっきは、不注意に立ち上がってしまって、申し訳ありませんでした」
 嫌味のスパイスを振り掛ける。
 それに気付いたのか、殿下と呼ばれた男の顔色が変わる。
「お前、女か?」
「それが何か」
「女のくせして、男の格好してるなんて、お前、馬鹿だろう」
「なんですってっ!?」
「姫さま」
 一発触発のその空気を制したのは、ラニバの穏やかな声だった。
「この方は、ステファン王国の正統な後継ぎであせられる、ファレル殿下です」
「えっ」
 こいつが、わたしの婚約者!?
 驚きで声がだせない菫から視線をファレル殿下にうつし、ラニバは菫を紹介した。
「ファレル殿下。こちらが、伝説の花嫁であせられる、スミレさまです」
「なんだとっ?」
 ファレル殿下も驚きのせいか、目を剥いている。そして、まじまじと菫を上から下まで観察する。菫も、遠慮なくファレル殿下を観察する。
 背は高い。一八〇近くあるだろう。細身に見えるが、筋肉もそこそこ付いていると思われる。見た目は黒騎士風。上から下まで見事に黒一色で決めている。そして、幸いなことに、彼は、顔がよかった。カッコイイ系の顔。
 もしかしなくても、菫の好みのタイプだった。
 ファレル殿下も菫のの観察は終わったのか、いったん空を見上げた。
「この男女が、俺の婚約者ということか。ついてない」
 心底嫌そうな声だった。
 こちらを見た顔も、嫌悪の色が隠さずに見えた。
「な・・・・・・」
「おい、カミサカスミレとやら。悪いことは言わない。女らしいドレスをきて、厚塗りの化粧をして、見事に変身してみろ。そしたら、声ぐらいは聞いてやるよ。それまでは、俺の前に姿を見せるなよ。お前は良くても、俺は駄目なんだよ」
「な・・・・・・」
「ラニバ、後でシオンを労っといてくれ」
「は、はい」
 言いたいことだけを言うと、ファレル殿下はまた、垣根の向こうに消えた。
 菫は、今まで感じたことのない、怒りを感じていた。
 ファレル殿下の差別発言に関してではなく、彼の最後の科白が、菫を縛っていた。
「お前は良くても、俺は駄目ですって? つまりそれは、俺みたいないい男を夫に貰えてお前は良いかもしれないが、お前みたいなブスを貰わなくてはならない俺のことも考えてくれよと、そういうこと? つまり、そういうことってわけっ!?」
「ひ、姫さま。深くお考えにならないほうが。ファレル殿下は、確かに口は悪いですけど、とてもお優しい方なんです。きっと、照れていらっしゃるんですよ」
「全然そうは見えなかったけどねっ!!」
 指に触れたものを、菫は強く握り潰した。よくよく見れば、それはマントだった。
 マントを見たとたん、この服があの男のものだと自覚した。自覚すると、この服があの失礼男のように見えてくる。菫は、強く強くマントを握り潰す。それだけでは飽き足らず、両手で左右にひっぱる。やわらかい素材のくせして、妙に手強い感触。
「姫さまっ」
 何をしようとしているのか判ったのか、ラニバが慌てて菫の両手に自分の両手を重ねた。
「いけません、そんなことをしては。姫さまの手が、傷付いてしまいます」
 ラニバの懸命な説得に、菫は仕方なくマントから手を放した。名残惜しい。
 明白にほっとするラニバに、菫は八つ当りしたことを詫びた。
「いいえ。それがわたしの仕事です。姫さまは、存分に愚痴を言ってください。心に蓄めてしまっては、身体にも悪いですから」
「うん、ごめん。ありがとう、ラニバ。ラニバは、すごい良い子だね」
 ラニバは、頬を赤くして否定した。その姿がすごく可愛らしくて、少し羨ましくなった。

(ファレル殿下は、ラニバみたいな子だったら、あんなこと言わなかっただろうな)

 ラニバに対しては、偉そうだったけど、どこか紳士的なところがあった。
 やはり、自分も女の子である。散々文句は言ってたけど、皇子さまとの結婚話は正直嬉しかった。子供の頃読んだ、シンデレラみたいな境遇に憧れなかったといえば嘘になる。
 男っぽいことは自覚している。
 収まりの着かない髪は、母親の遺伝の所為で多く、余計に黒々しく重たい。今の時代じゃ、背が高くっても昔ほど苛められない。背が高いほうが羨ましがられる環境にあった。
 でもここでは背が高いのは、いけないことなんだろう。
 菫よりも背の高い女の人なんて、まだ見ていない。
――――ラニバは、小っちゃくていいな」
 本音が、ポロリとでる。首を傾げる可愛い娘。男なら、絶対に放っておかない娘。
「わたしも、可愛くなりたいなぁ」
「充分、姫さまは魅力的ですよ」
「・・・・・・ありがとう」
 でもそれって、体のいい文句だよね。
 菫は懸命にも、その科白を口に噤んだ。言えば、後悔する。ラニバは許してくれるかもしれないが、心のなかでは、自分を恨むだろう。
 ラニバとは、主従の関係ではなく、友達としていたい。
 菫は本気でそう思った。


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H15/06/25

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