第1章 −5−
それから、すごく大変だった。ラニバが出してきたドレスは、到底菫には似合わない乙女ちっくなものから、大人っぽいシックなものまで十数種類。何から何までドレス。もちろんスカート。しかも足元が見えない。スカートなんて、制服以外にははいたことないから、すっごい違和感が付きまとう。
体に当てて鏡で見ているだけなのに、疲れが押し寄せる。男物はないのかと聞けば、ターヴィスに泣かれる始末。とりあえず、一番質素なものを選んだ。とにかく装飾が少なくって、動きやすそうな若草色のドレス。もうこうなりゃ、やけっぱちだ。
着替えが終わったら、今度はこの世界の成り立ち。ここはエタースという世界で、この国はステファン王国という。つまり、地球の中の日本ということだ。
布製の地図も見せてもらった。
エタースは内陸と外陸の二つに別れている。もちろん、内海や外海もある。内陸は七つの国で成り立っている。全体的にはクロワッサンの形に似ている。揺りかごが逆さまになったような形だ。その中にも色々な島がある。
ステファン王国は、外海の外陸に当たる。位置的には真ん中の方。内陸が地続きで繋がっているのと異なり、外陸は島のように一つ一つの国が外海で隔てられている。外海の方が国は多いから、地図に載切らないところもあるらしい。
その中でも、特に大きいのがステファン王国だ。
国内の年中の気候は一定で、常に涼しいぐらい。夏は存在しないらしい。驚いたことは、エタースの一年が地球と同じで365日あるということ。でも月は10ヵ月しかないみたいだ。今は六月とのこと。一ヵ月が36日あるので、ちょうど地球時間と同じになる。確か今日は七月一八日だった。試験明けなので、覚えている。
歴史の次は、作法。姫君に相応しい動作というものをターヴィスが体当たりで説明している。狭い歩幅。スカートのさばき方。頭の位置。話し方。座るときの順序。笑顔を維持する体力。視線の位置。返事の仕方。・・・・・・エトセトラ。
次から次へと注文を付けてくるから、何が何やら、もうさっぱり。唯一の救いは、テーブルマナーが元の世界よりも厳しくないこと。そして似ていること。ターヴィスもラニバも、これには及第点と笑顔をくれた。ちょっとだけ、一安心。
でも、女性らしく振る舞うのは性格上無理だし、とても嫌だったので、そこは我侭を言わせてもらった。こういうとき、権力って、便利だ。
婚約者であるファレル殿下のお下がりである服をもらって、日常はそれを着て過ごすことにした(シオンのを借りるつもりだったが、猛反対を受けた)。ボタンが多くて困るけど、でもふわふわのスカートよりはずっとましだった。マントも格好良いし。
ターヴィスは、最後までドレスを諦めきれなかったみたいだが。
「晩餐会の時に、ファレル殿下には会えますわ。その時には・・・・・・」
「ちゃんとドレスアップする。分かってる」
「それならば、いいです。では、わたしはこれで失礼しますわ」
ターヴィスが、唐突にお暇を告げた。
菫はびっくりして、ラニバが煎れてくれた香草茶を零してしまった。
「わ、ごめん! えと、ターヴィス、どうしてっ?」
ガーゼで濡れたところを拭きながら、菫は疑問を口にする。
ターヴィスは、菫の何が嬉しかったのか解らないが、笑顔で答えた。
「わたしはあくまでも教育係です。教育者は、憎まれ役にならなくてはいけません。ですから姫さま、わたしは姫さまのプライベートに入ることを由としません。あとはラニバと、楽しい時間を過ごしてくださいませ。時間がきたら、迎えにまいります」
そういうと、止めるまもなくターヴィスは部屋から去った。
戸惑っていると、ラニバが説明を加えた。
「姫さま、姫さまの世界にも、学舎というものはありますでしょう? そして、教師と生徒の二種類がいるはずです。教師が、一個人の生徒と深く関係を供にすることは、他の生徒に対して示しがつきません。それと同じことです。ターヴィスさんは、それをきちんと守っていらっしゃるだけなんです」
「まあ、理屈は分かったけど。でも、それは学舎内でしょ。外ならいいんじゃないの?」
「いいえ、それは違います。本人たちにとってはそうかも知れませんが、人の目から見れば、立派な教師と生徒です。これは、けじめなんです」
そうまで言われると、首肯かなくてはなるまい。
「じゃあ、ラニバの立場は?」
「わたしは、教師以外のことを姫さまと一緒にします」
「たとえば?」
意地悪な菫の質問に、ラニバは可愛らしい笑顔で答えた。
「色んなこと、です。姫さまがしたいことを、陰ながら見守る役目です。こうやって香草茶を楽しんだり、姫さまの愚痴を聞いたり、散策を供にしたり、色んなことです」
ラニバの綺麗な銀髪が、さらりと頬に落ちた。幻想的な絵だった。ここが異世界だと、思い知らされる場面。わたしはお姫さまなんだな、と菫はいまさらに痛感した。
ラニバの方が、菫よりも数倍可愛い。160を越える身長の菫は、自分の背の高さが一番嫌いだった。自分よりも背の低い人たちが、心底羨ましかった。その点、ラニバは、菫が憧れていたものをすべて持っている。菫よりも、お姫さまらしい。
平凡な容姿の自分は、さぞ滑稽だろう。友達がドレス姿の自分を見たらどう思うだろうか。否、思う前に大笑いしているだろう。そういう奴らだ。
「姫さま?」
ラニバが、心配そうにこちらを見ている。菫は、浮かんできた涙を振り払った。
「ラニバ、さっき言ってた、散策、しようか。庭園とか、行ってみたいな」
気付いているだろうに、ラニバは何も言わずに笑顔で承諾した。
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H15/06/25 |