第1章 −3−


「こちらです、姫さま」
 シオンが進めるままに、部屋から出る。部屋の壁を打ち抜いたような廊下を長々と歩き、ときどき現れるメイド服をきた女の人に頭を下げられながら、菫は一際豪華な扉の前に立った。両開きの金と赤の扉の両脇には、鎧を着た門番までいる。
 何から何まで、異質だ。
 ここでは菫が異質になるのかもしれないが、どうも馴染めそうにない。
「王も王妃も、とてもお優しい方ですから、大丈夫ですよ」
「シオンは一緒にきてくれないのっ?」
 びっくりして尋ねた。
「ぼくは王家の人間ではありませんから、ここから先の立ち入りは禁止されています」
「でも、それならわたしだって」
「姫さまは選ばれた方ですから。大丈夫です。何も恐いことはありませんから」
 そう言って微笑むシオンに、菫は逆らえなかった。
 ほんの少しだけしか一緒にいなかったのに、すごく頼りにしてしまっている。
 菫はシオンに見送られ、門番が開ける扉の中に入っていった。
 扉の絢爛さとは違って、広間は金銀白を基調に落ち着いた雰囲気を醸し出していた。触れたら凍ってしまいそうな円柱が深紅の細長い絨毯を囲むように規則正しく並んでいる。
 その一本の道は、奥へと続いている。その奥には階段があり、階段の上には台座がある。
立派なそのチェアには二人の美形男女。シオンが言う、王と王妃だろうか。お揃いの王冠を頭に乗せ、お揃いの天鵞絨のマントを羽織り、お揃いの錫をもっている。
 菫は震える膝を叱咤し、階段下まで進んだ。礼儀なんて判らないから、そのまま頭をぺこりと下げた。
 王妃が、しっとりと微笑んだ。
「よくいらっしゃいました、姫君。わたしはこの国を治めているものです。突然こんなところに飛ばされて、驚いたことでしょう。ですが、それはもう少し待って頂きたい。すべてを、説明するのは簡単ですが、あなたがすべてを理解するのは、難しいことですから」
 言聞かせるような口調。
 どうやら、これは本当に現実の話らしい。今更もう夢だとは思わないが、でも、現実とも思いたくなかった。
 とりあえず、今の情況だけは知ろうと、菫は首肯いた。
「我がステファン王国には、言い伝えがあります。詳しくは端折りますが、代々王家の男子は、異世界である『チキュウ』から女子を嫁にもらうという、素晴らしい掟があるのです。あなたは、その花嫁に選ばれたのですよ、姫君」
 チキュウというのは、地球のことだろうか。
 そんなことを考えていたものだから、菫の反応は遅れる。
「ハ、ハナヨメッ?」
「すでにチキュウとの契約は成されました。予言どおり、王子の17の生誕、つまり本日、ヒトキシラ湖にあなたは現れたのだから」
 詳しい説明を端折りすぎだ。
「わ、わたし、違います! ただの一般人です。何かの間違いです」
「あなたは、花のお名前をお持ちじゃありませんか?」
「花っ?」
「言い伝えです。選ばれる花嫁は、いずれも花の名前を持つ女子だけです。あなたの名前は存じ上げませんが、どうですか?」
 菫は何も言えなくなる。
 間違いなく、菫は花の名前。偶然で済まされる問題じゃない。
 沈黙したままの菫の返事をYESと受け取ったのか、そこで初めて、王が口を開いた。
「王家はここ数代、女子しか生まれていません。男子はわたしたちの息子のみ。わたしどもも、どう接したら良いのかわからないのです。掟は絶対のものです。突然攫われた形のあなたには辛いことでしょうが、選ばれてしまった以上は、チキュウにはもう、戻れません。わたしたちを本当の親と思って、何でも頼ってください」
 慈愛に満ちた科白だ。けれど菫は、そう簡単には返事できなかった。
 突然攫われたのだ。しかもどうやら地球に。これが人間なら、何をしてでもどうにかしただろう。けど、相手は地球なのだ。しかもここは、地球ではないのだ。異世界なのだ。
 家族の顔が、次々に浮かんで来る。浮かんでくるのは家族の顔だけではなく、今までの思い出と共に表れる。死ぬわけでもあるまいに、走馬灯のように思い出す。
「わたし、家に帰れないんですか?」
「召喚士がおることにはおるのですが、まず、無理だと」
 聞くんじゃなかった。自分で自分を追い込んでどうするというのだ。
 菫は眦が熱くなっていくのを止められなかった。人前であるにもかかわらず、涙を流れるままにする。
 生きていれば、いつかは逢える。
 同じ地球上にいればそれも通ったかもしれないが、ここは地球じゃない。たとえ生きていたとしても、もう会えない。一生、会えない。
 王と王妃は、菫に泣く時間をくれた。だから菫も、泣くだけ泣いた。
 泣くだけ泣いたら、悲しみは鳴りを潜め、理不尽な怒りが菫のなかに募っていった。
 なぜわたしだけがこんな目に合わなくてはならないのか。どこの誰とも判らぬ男とこの年で結婚しなくてはならないのか。
 わたしはまだ16歳だ。私立高校に受かって、ひぃひぃ言いながら授業を追っ掛けていて、満員電車で痴漢に遭いながらも毎日休まずに学校に行っていた。学校での生活は楽しいものばかりじゃないけれど、少なくともあそこには友達がいた。友達に会うために学校に行っていたと言ってもいい。
 そんな生活を、何の権利があって壊すのか。
 被害者は自分だけじゃない。でも、この人たちには捨てるものがない。
 そう思うと、こちらを心配そうに見ている夫婦の姿が、憎たらしく見える。
「いきなり過ぎて、びっくりしたでしょう。召喚には気力を使います。あなたが気付かない疲れが、きっとあります。今日はもう、休んでください。息子には、日を改めて紹介しましょう」
 息子の花嫁だと疑わない科白。掟に反抗心を抱かない王。
 菫は決心をした。
 自分をこんな目に合わせてくれたのだ。頼れというのなら、頼りましょう。不自由のない生活を保障されてなきゃ、やってられない。
 下町生まれの貧乏性。立ち直りは早い。
 さっそく菫は、涙を拭き取って、真っ正面から王たちを睨んだ。
「ここでの生活は、すべて保証してくれるんですよね」
「も、もちろんです。あなたは、皇子の大事な姫君ですから」
 菫のきつい視線に押されたのか、王が吃って言った。
「お願いも、聞いてくれますか?」
「どうぞ」
「わたしがいた部屋が、わたしの部屋ですよね。出来れば、もう少し小さい部屋がいいんですが。欲を言うのなら、風通しのいい部屋に」
「何か、気に入らぬことでもありましたか?」
 不安そうに、目の前の夫婦は顔を見合わせている。
 ブルジョワめ、と菫は心の中だけで吐き出した。
「いいえ。広い空間に慣れていないだけです。なんせわたしの家は、狭かったですから」
 嫌味を言ったつもりだった。
 なのに、何も気付かずに王妃が大きく首肯く。
「直ちに人をやって、部屋を用意いたしましょう。他にも何か不都合があれば、遠慮なく申し出てください。わたくしどもが出来るのは、これだけですから」
 その声を聞いた途端、菫はひどく後悔した。
 辛くて人に当たってしまったけど、そんなこと、この人たちにはお見通しだったんだ。
だから、菫の八つ当りもすんなりと受け、すべてを受けとめようとしている。
 ちゃんと菫の気持ちを解ってくれている。
 菫は、じっと二人を見る。感謝の気持ちで。
 それが解ったのか、二人も微笑んでくる。母のような、父のような目で。
「よろしく、お願いします」
 自然と、頭を下げていた。
 王と王妃という人に、自然と頭が下がった。曲がりなりにも王様なんだなと、菫は感心した。そしてこれが『礼』というものかと、ひどく感激した。


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H15/06/05

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