第1章 −2−


 次に菫が目が覚めた時、そこは柔らかいシーツの上だった。
 やっぱりさっきのは夢だったのかと、安心して枕の下に手をやる。そして寝返りを打つ。
 スプリングが効いている、というよりも柔らかすぎるそのベッドは、まるで羽のような手触りで、とても気持ちがいい。まるで自分のベッドじゃないみたいだ。
 菫は眉間にしわを寄せた。嫌な気がしたのだ。目蓋をあげるのが、すごく恐い。
 思い切って、目を開けてきた。
 飛び込んでくる光沢。真珠色のシーツ、羽毛のクッション。クッションが柔らかすぎて、頭が沈んでいるために部屋の様子が真珠色に隠れて見えない。チラリと視線を上に向ければ、凝った細工模様の天井。それも結構な高度。それは自分の部屋以上にある。
 恐る恐る上体を持ち上げる。

「ここ、どこ・・・・・・」

 見たこともないような色調の高い部屋。菫の部屋の数倍はある。天井だって高い。よくよく見てみれば、天井だと思っていたものはベッドの天蓋だった。本当の天井は、もっと高い。大理石だろうか、そんな感じの模様。
 どうしてわたしはここにいるんだろう。これも夢の続きなんだろうか。
 困惑が広がる。さっきまで森の中にいたのに。それ以前はちゃんと自分の部屋にいたはずなのに。
 誰か、説明できる人はいないだろうか。わたしが納得できるだけの説明ができる人が。
 菫はベッドの中から這い出て、絨毯のうえに立った。裸足だった。実際、自分の家にいる間は、冬以外靴下は履かない主義だ。
 季節を思い出した途端、寒気が襲った。キャミソールからでた二の腕に、鳥肌が立った。
 今は夏のはずなのに、どうしてここはこんなに寒いんだろう。空調をいれている気配はない。そもそもそんなハイテク機械、ここにはなさそうだ。
 天蓋付きのベッドの傍には、サイドテーブルがついている。その向こうには鏡台。さらにその向こうには衣裳入れ。どれも人目で高価だとわかる品物。シリーズものなのか、すべて同じ細工だった。水仙の花に似た、きれいな細工。
 すべてがうまく調和されている。なのに、自分だけが異質の存在。
 それともこれはわたしの願望なのだろうか。お姫さまになりたいという。
 すぐさま菫はそれを否定した。乙女チックなものが苦手だというのに、それだけは絶対にない。
 手触り。視界。匂い。聴覚。
 すべてがこれは現実だと言っている。
「誰か、いませんか」
 この部屋には、もちろん扉がついている。けれどその扉を開ける気にはなれなかった。
 開けたら最後、戻れないような気がするのだ。
「おーい、誰か!」
 二度目の呼び声に、扉が少し、動いた。
 自分で呼んだくせに、何かしらの反応が返ってくるとどうしたらいいのか分からない。
 恐くなって、シーツを強くつかむ。
 扉が、ゆっくりとだが、確実に内側に開かれていく。
「・・・・・・お目覚めになりましたか、姫さま」
 扉の向こうから現われたのは、二十歳前半ぐらいの男の人だった。柔和そうな顔に、人が良さそうな表情を張りつけている。その笑顔は、なぜかこちらまで安らいでしまう。
 しかし、彼の言った言葉と彼の着ているものが、それを拒否した。
 男が着ているのは、こざっぱりとした服。どう説明すればいいんだろう。まさしく、ファンタジーみたいな服装なのだ。歴史の教科書の、農民の人が着ているような、ああいう服。インドの人が着ているような格好だけど、インドという感じじゃない。
 何よりも、その真紅の髪が、普通じゃなかった。
「姫さま、お加減はどうですか?」
 何の反応も示さないわたしに、その男は心配そうに近寄ってくる。
「姫さまって、誰のことっ?」
 男が近付いた分だけ離れて、菫は問い返した。
 男は納得したように、何度も首肯く。そして、安心するように笑った。
「大丈夫です。ここはステファン王国の王宮内です。姫さまが森の中で倒れているところを、ぼくが見付けて、こちらに運びました」
「そんなこと、聞いてない。姫さまって、誰のことって聞いてんの!」
 否定したがっている頭のなか。
 混乱しっ放しで、一番大したことのないことを何度も聞いている。
「姫さまは、貴女さまのことです。申し遅れましたが、ぼくはシオンといいます。この王宮で働かせてもらっています。王が広間で待っておりますので、どうぞこちらへ」
 扉を大きく開けて、促すシオン。
 王って何。姫さまって何。王宮って何。広間って、何。
 次から次へと疑問が湧き出てくる。単語の意味はわかっても、なぜ、そんな言葉が出てくるのか、それらを日常的に使っているように話せるのか。
 菫は警戒心を強めて、首を振った。
「行きたくない」
「ですが、何も分からないままここにずっといるわけにもいかないでしょう? 王が、すべてを説明してくださいますから、どうか、一緒にきてください」
「嫌だ。信用できない」
 シオンが、顔を曇らせた。悲しそうに瞳を細めてしまう。
 それを見たとたん、罪悪感が菫を襲った。
「わ、わかったわよ。行く。行けばいいんでしょ」
「ありがとうございます!」
 花が咲いたような笑顔。見目がいいだけに、引き付けられる。
 思わず菫は見惚れてしまう。顔が赤くなるのがわかった。
 信用してもいいかな、と思う。シオンだけは信用してもいいと、菫は思った。こんなにきれいな笑顔を見せられる人に、悪い人なんていないと思うから。



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H15/05/23

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