人に限らず、身近な死を体験したのは初めてじゃない。
 それでも、この時ほど心が苦しくて、涙が止められなかったのは初めてだった。


0.繋がっているもの W



 頬が熱い。姉にぶたれたのは初めてじゃなかった。昔はよくイタズラをすれば、母ではなく、この姉が叱ってくれた。
 いつも姉にぶたれると痛かった。泣いて謝った。姉はそこで許してくれた。
 でも今は、もう子供じゃない。
 泣くことも出来ないし、素直に謝罪するほどの感性も持ち合わせていない。
「つよし、説明しなさい」
「・・・・・・祖父の封印した印を破りました」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・たぶん、あの妖は」
「たぶんはいらない。結果だけ答えなさい」
 姉が怒っている。真剣な顔をして、指先が白くなるほど怒っている。
「・・・・妖力のすべてをかけて俺を殺そうとしていました。結果・・・・、失敗して何の力も無くなった妖は、ワンコに噛み殺されました」
 ワンコがつよしと妖の間に入った。でなければ、あれほどの妖力の攻撃を、つよしの簡易結界のみで防げるわけがない。
 そしてワンコは・・・・・・最後の足掻きとばかりに力を失った妖を噛み砕いた。
 残留思念が大量にあるわりにあっさりと存在が消えたのは、そういう事からだ。
「祖父がどうにも出来なかったものを、何の努力もしていないお前にどうにか出来ると思っていたのっ? それは自意識過剰でも何でもない、ただの驕りよ!!」
 痛烈にその言葉は響く。

「ワンコを殺したのはあなたよ。そして志紀を巻き込んだ責任をきちんとはたしなさい!!」

 「もうあんたなんて知らないわ」、と姉はあっさりと告げると、母屋に消えた。兄に捕まってた志紀も同時に解放されたのか、目を赤くして泣いている。
 志紀は泣いている。涙を流してる。ワンコのために、涙を流せる奴なんだ。

―――― 原因である俺には、何も言わないんだ)

 志紀は、そういう奴なんだ。だから宝探しを提案した。
 志紀は、自分にとって大切な身内だから。

+++++++++++++++++++

 蔵のなかの嵐は去った。視界は完全に鮮明で、そこで起きた事件を、物語っている。
「ワンコ・・・・」
 もの言わぬ死体。
 血だらけで、足が不自然に放り出されて、口から長い舌が飛び出している。犬だとわかる形状をしているだけでも、幸いなのかもしれない。
 志紀は茫然と立ち尽くす。さっきまで一緒にいたワンコが、そこにいないのが不思議だった。
 ふらふらと蔵に入り、ワンコの傍らでしゃがむ。
 卓さん・・・・つよしのお兄さんから、自分たちで処分しろと言われた。言われなくても、自分たちのせいでそうなったのだ。自分の手で、ワンコを葬りたい。
「ワンコ、ごめんな。助けてくれて、ありがとうな」
 嗚咽で、うまく喋れない。呼吸もままならなかった。
 視界を遮るものは何もないのに、なぜか、見ているものが滲んでしまう。
 視界の端に動くものがある。つよしだと分かる。志紀は黙ってつよしを見る。
 つよしは、志紀が触れるのをためらったワンコを、造作もなく持ち上げた。そして母屋とも蔵とも離れた離れた場所にワンコを寝かせた。
「つよし・・・・、そこに埋めるのか?」
「燃やす」
―――― え? なん、て?」
「燃やして、その灰を流す」
 モヤシテソノハイヲナガス。
「な、なんでだよっ!?」
 なんでそんなことをするんだっ!?
「仮にも退魔専門の家のペットで、しかも霊感もあった。悪いものに悪用されないためにも、全てを消す必要がある」
「全てって・・・・おま、なん・・・・・っ」
「仕方ない」
 本当に、つよしの口調は、仕方ない、と言っていた。てきぱきと燃やす準備をしているつよしが、悪魔のように見える。
「俺たちのせいなのに・・・・、なんでそんなに冷静になれるんだよ・・・・・・っ!」
 悲しい気持ちが、次第に怒りに染まっていく。
 信じられなかった。ワンコは、志紀とつよしが拾ってきた犬なのに。ワンコは、誰よりも志紀とつよしに懐いていたのに。あんなに、一緒にいたのに。
「冷血漢! 馬鹿つよし! お前には情ってもんがねーのかよ!!」
 こんなに言っても、つよしの動きはよどみなく続く。マッチを磨って火をつける。定められた手順をこなしている。いつものように。何の感慨も浮かんでない無表情で。

 もうワンコはいない。出迎えてくれて、尻尾を振ってくれない。シャワーは嫌いなくせに雨とか雪とか好きで、天候が変わる度に脱走する癖には、つよしも志紀もうんざりだった。
 でももう、うんざりすることはない。すべて、つよしが消した。
 そんなつよしの前で泣くことだけは出来なかった。そんなのは志紀のプライドが許さない。つよしにワンコのことで泣かせない限り、自分だけ泣くのは許せなかった。

―――― 泣け」

 ぽつりと、つよしが言った。志紀は眦を釣り上げて反抗する。
「ふざけ・・・・っ」
「俺も泣くから」
 思わず見た。見てしまった。声をあげずに、泣いている幼なじみ。

 ―――― そうだ。思い出した。

 ワンコを拾った時、飼うのを諦めた志紀に、子犬を押しつけたのはつよしだった。飼ってくれるまで、ずっと頑固に家に入ろうとしなかった。
 ワンコは、つよしの飼い犬だった。志紀よりもつよしの方がワンコとの思い出が多い。一緒にいる時間がいちばん多い。そして、いちばん辛いのはつよしなんだ。
 平気なわけじゃない。淋しくないわけじゃない。ただ、それを表に出すことが出来ないだけで・・・・・。
 大切な友人を燃やして流すのも、あいつなりの優しさなんだ。
 悪用されたくないから。ちゃんと成仏させてあげたいから。その魂を守ってやりたいから。安らかに、眠ってほしいから・・・・きっとそうだ。
「馬鹿つよし・・・・っ。だからお前は馬鹿なんだ・・・・・・っ」
 そんな馬鹿な奴だから、志紀もこの幼なじみから離れられないし、放っておけない。
「馬鹿つよしの馬鹿野郎・・・・っ」
「馬鹿馬鹿うるさい」
「ばーか」
 つよしの背中を拳でこづく。間髪入れずにつよしの肘が志紀の鳩尾に入った。お互いに本気じゃない。それでも、今までの喧嘩よりはるかに痛い応酬だった。


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H16/10/10


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