注意 → 番外編の『繋がっているもの』を読んでからの方が判り易いです。
1 その傍らには
閉じていた目蓋を持ち上げれば、そこは見知らぬ異世界の城。そして城下は一つの国家。
ちょっと前 ――― 正確には前日だが、暇な正月休みをつよしと言い合いして時間を過ごしていたところを、水に引きずられて異世界エタースに召喚された。
普段から幼なじみの怪奇現象に慣らされた志紀は大してショックはなかったが、後から後悔やらの連続だった。
思わず、今までの人生を反芻して、重苦しいため息が漏れ出る。魂すら飛び出してしまっているんじゃないかと思うぐらい、志紀の人生は良くない。毎年厄年みたいだ。
あれから一日も経っていないのに、もうずっとここにいるような気がする。
「つよし・・・・」
探していた幼なじみがそこにいる。志紀が名前を呼んだことで、ウィディンも王子も、目の前の男が異世界の人間だと知れた。それ以上に、この世界ではありえないオーラと、見たこともない服を身につけている。
王子は目ざとく目の前の男の右腕に填められた腕輪に注目する。細かい細工が入ったそれは、紛れもなく見知ったもの。
「お前・・・・志紀と同じ地球からやってきた人間だな。お前を連れ出した奴はどこにいる?」
「―――――― あんた、誰?」
王子の詰問を軽く流すつよし。額に血管が浮き出る第二王子。それに仲裁に入ろうとするものの、異様な空気になかなか入れないウィディン。そして慣れないドレスのスカート姿を見られて今だに立ち直れない志紀。
これで目立たないわけがないし、注目を浴びないわけもない。
「そこで何をしておられますかなっ!」
侮蔑さえ感じさせる怒鳴り声が割って入ってくる。その瞬間、つよしは振り向きながら手をあげた。
「お久しぶりです。イーガーさん」
親しげなその口調。
志紀から見れば胡散臭いことこの上ないが態度だが、付き合いが短いこの世界の連中は、どうやら騙されているらしい。
イーガーと呼ばれた恰幅のいい中年男も、完全につよしを信じきっているのか、まるで志紀たちがつよしを呼び出した、みたいな感じに睨んできた。
「第二王子殿。いったいこれは何の騒ぎですかな。もうすぐ第一王子の継承の儀が行なわれるという大事な時に、そのような得体の知れない娘を連れて・・・・。いったいどこの貴族の娘です?」
王族とはいえ、中枢を担う貴族を敵に回すような発言は出来ない。しかしイーガーは言う。なぜなら必要な貴族の一族は全員、頭の中に入れてあるからだ。利用価値のない人間の記憶は彼の中にはない。ゆえに、記憶にない娘に対して、このような強気な発言が出来た。
反対に腹が立ったのは志紀だ。女装している自分がとやかく言うのはともかく、こんな親父に『得体の知れない娘』呼ばわりされるような人生は送っていない。
むしろイーガーの方が得体のしれない人物だった。
「この国は可愛い人や綺麗な人が多いですね。さっきもナンパしたんですけど、なかなか回りの人が手ごわくて」
可愛いっ?
綺麗っ!?
ナンパしたっ!? つよしが、ナンパっ!? それもそれって、自分かっ!?
志紀はほんの少し、あまりの衝撃に立ちくらみがした。なんて幼なじみ似合わない単語の数々。
「ナ、ナンパっ?」
でぶっちょイーガーも、目を白黒とさせている。それはたいへん、愛嬌のある顔だった。
そんな彼の混乱を逆手にとって、つよしは強引に前に出る。
「なんか、迎えに来てもらったみたいで、どうも。メイジェンさんにも心配かけてるだろうから、戻ります。あ、なんか腹減ったな。甘いお菓子もいいですけど、硬いものも食べたいな。ここって、何か名物とかありますか。土産になにか、色んなもん、欲しいですねー。土産話もいいですけど、やっぱその土地にあるものを送ったほうが・・・・」
ベラベラと語るつよしに、さらなるショックに襲われる志紀。長い付き合いだが、ここまで親しみ溢れ、溌剌とした発言を続ける幼なじみを、志紀は知らない。
「それじゃあ、そちらのお嬢さん。またお会いしましょう」
止めてくれー。止めてくれー。お嬢さんって、誰だよ。そしてお前は本当に誰なんだよ。
異世界に放り出された以上のショックでまともに思考力が動かないうちに、さっさとつよしはイーガーを連れて消え、志紀はウィディンに連れられてまた部屋に戻っている。
呆然と立ち尽くす志紀の後頭部に衝撃が走ったのは、その瞬間だった。
「おい、志紀、辛気臭い顔で俺を見るな」
目の焦点は合っていなかった。視線上に王子がいただけだった。なのに後ろから叩かれた。
「うるさい、馬鹿王子」
志紀はいま、それどころじゃないのだ。王子の皮肉な挑発に乗ってやれるほどの余裕はない。
昔を、思い出していた。中学生時代の、ある事件を。
あんな幼なじみと今まで付き合ってこれたのも、あの事件のおかげだ。
「―――― つよしの奴・・・・」
エタースで、この城で、つよしに出会えてしまった。足元には忠実なワンコの姿。
中学校時代の、あの悲しい事件の後、ワンコは家に戻ってきた。生前は霊感を持ってた犬だった。だから、霊魂として戻ってこれたのかもしれない。所説はいっぱいあるけど、ワンコが戻ってきた。それだけで志紀は嬉しかった。
その後は、つよしはワンコに力を与え、姿を与え、式神としてこの世に留ませた。
でも、志紀にはその姿を視ることは出来なかった。志紀にはまったく霊感がなかった。ワンコの姿は、絶対に見たくても視れなかった。
なのに・・・・・・さっき、ワンコがいた。それが分かった。つよしを守るように四肢を力強く踏んでいた。
それはまさしく、記憶にあるワンコそのもので・・・・・・
「・・・・・・お前、また、何を泣いて・・・・っ」
王子が嫌そうな顔してる。指摘されて気付いた。自分が涙を流していることを。
「あ、おれ・・・・」
慌てて袖口で拭う。でも後から後から溢れてきて際限がない。
まるで乾くのが嫌みたいに、壊れたみたいに泣けてくる。
「―――― ったく、今度は何なんだ? そんなに・・・・あの男と会えて嬉しかったのか・・・・・・っ?」
奇妙にも真剣な問いがなされた。志紀は自分の中にのめり込み・・・・、
「―――――― うん」
と、志紀は素直に頷く。
その返事に王子の顔が強ばったことには気付かない。俯いているせいもあるが、涙で視界が滲んでよく見えないのだ。
「うん・・・・。会えて良かった。元気そうで、いつもどおりで、安心できた」
最初から分かってたはずだ。
あの幼なじみは、いつでもどこでも、どんな状況だろうとも、いつだって自分を見失わない。本当に憎たらしいほどマイペースなのだ。
(それに・・・・ワンコもちゃんと付いてるし)
つよしなんかよりも、よっぽど役に立つ番犬。あんなに不安だったのに、この安堵はいったい何だろう。
例え異世界でも、何とかやっていけそうな気がするから不思議だ。
もう悩む必要はないと、気楽に構えている自分がいる。やっと、肩の緊張を説いて、全身を脱力させて・・・・心から安堵している。
変なことが起きても何とかなるんじゃないかって思わせる。
自分ひとりだったら、きっと泣いてるだけじゃ済まないだろうな。
そう思いながら、かすかに軽くなった心と、かなり重くなった深刻な状況に、思わず笑みが漏れてしまっても、仕方のないことだった。
05.09.04
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