4.事情の二乗



 つよしは、与えられた部屋で一人になった時、おもむろにソファの肘掛を爪で何度がコツコツと叩いた。それだけの動作だ。他には何もしない。しかしその瞬間、つよしの足元から黒っぽい靄が現れ、次第に明確な形を見せた。
 黒い靄は犬の形をしている。雑種の大型犬で、凛々しい体躯をしていた。
 黒い犬は、本物の犬のように、つよしの足元に鼻をすりつける。
 そこで初めて、つよしに柔らかい表情が生まれる。懐かしそうに、口元に笑みが浮かべられた。
「頼めるか?」
 ワン、と黒い犬は吼え、すぐさま壁をすり抜けて部屋から消えた。
 姿は消えたが、その気配は消えない。つよしは部屋にいながらにして、犬を媒介に城内を散策している。
 黒い犬は田所家・・・・というよりも、つよし自身に取り憑いている幽霊犬だ。つよしが中学生の頃まで家で飼っていた老犬だった。その後、つよしは老犬を呼び戻し、式として活用している。
 式の犬は霊感がある者にしか視えない。この場合は、主人であるつよしと、志紀の二人だけだ。ここの魔道士に霊感があるのかどうかは判らないが、志紀に伝わればそれで良かった。
 つよしは式を放っただけで満足し、そのまま香草茶を飲み干して、昼寝の体勢に入った。

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 頼りない感覚。スカートをはくのはこれで二度目。もう二度とないだろうと思われたドレスを、またもや身につけることになろうとは・・・・。
 志紀は鏡の前で、重苦しいため息をついた。
 鏡の中には、一人の少女がいる。どこかで見たことがある顔。それは自分自身だ。
「命が危ないとはいえ、何でこんな目に・・・・・・」
 つよしの口から志紀のことが漏れるかもしれないという憶測のために、変装することに異論があったわけじゃない。コスプレみたいで恥ずかしいが、ここでは志紀のような格好(ジーパンとセーター)の方がおかしいし、恥ずかしいのだ。
―――― ん? そういや、俺、宰相とかメイ ジェンとか、顔しらないぞ。どうやって逃げるんだよ」
「安心しろ。反対にあいつらもお前の顔なんて知らないから」
「そか。ならいっか」
 しかし、志紀はそこではたと気づく。自分が気づけないなら、向こうも気づけない? ならそれは・・・・、
「変装する意味、ないってことか?」
 それも『女装』なんて。
 ユースファは志紀が言いたいことに気付いた。そして話を逸らすように志紀の容姿を誉めだした。
 しかしそれは、志紀にとっては大変不服なものばかりだ。男が綺麗だの可憐だの清純そうなの、言われても困るし腹が立つし、かなり男としてのプライドは壊れ気味だ。
「着替える! 絶対に着替える!!」
「国王の息子に付き添う人間が、見窄らしくてもなぁ・・・・」
「ならお前の服貸してくれたらいいだろ!!」
「下賎に貸す服はない。もとより、サイズが合わない」
 哀れむように志紀の足元を見るユースファ王子。

(悪かったな、短足でっ!!)

 別に志紀の足は、断じて短くない。むしろ今時の青年らしく平均的に長い。むしろ変なのはユースファの方だ。平均以上に長い。頭も小さいし、余計に長く見える。しかもカッコイイとくる。

(不公平だ・・・・・・)

 片や女がほっとかない程のいい男で、しかも王子さまで、天が二物以上与えたような少年。
 片や・・・・男のくせして、しかも目の前の少年よりも年上なのに女装してる自分。しかもこれまた似合ってる。悲しいかな、鏡に映った志紀は女にしか見えなかった。
「顔を知られてないなら、別にいいじゃんかよ、女装なんて」
 ぶつぶつとぼやく。
「保険ですよ、保険」
 ウィディンが慰めてくる。もっぱら尻拭いは彼の仕事だった。志紀もさすがにウィディンにわがまま言う気になれず、しぶしぶと言うことを聞く。
 志紀は気付いていない。むしろわざと女装させられていることに。
 変装しようが女装しようが、ユースファの身近にいきなり見たことのない人間がいれば、考える迄もなくそいつが召喚されてきた人間だと瞬時に知れる。
 この事にユースファはもちろん、ウィディンも気付いている。そしてあえて本人には黙っている。
 変に隠して尻尾を捕まれるよりも、堂々と見せびらかして行動範囲を広げたほうが動きやすい。何よりその方が、守りやすかった。そして女装させれば、相手は女と思って油断してくれるかもしれない。そんな淡い期待。
「志紀さまも、ずっと部屋に監禁されるよりも、自ら動いたほうがまだマシでしょう?」
「そりゃま、そうだけどさ・・・・」
 自分の女装姿を見せびらかす恥ずかしさと理性をどう折り合いを付けるか。
 それが今の志紀の(大)問題だった。

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 つよしから別れた式神の黒犬は、場内の人間に視られることなく、疾風だけ残して歩き回った。
 ふんふんと匂いを嗅ぎ、いつもご主人さまと一緒にいた人間の懐かしい匂いを探す。
 しかし、あれからけっこう時間が経っているというのに、一向に見付けだせない。初めての場所ということは関係なく、まったく違う異世界の匂いに、黒犬は惑わされてばかりいた。
 しかし、ふと懐かしい匂いが鼻を掠める。ほんのかすかな匂いだが、間違うはずがない。その匂いはある青年から流れてきた。白いマントを靡かせながら廊下を歩いている人物。黒犬はその青年の匂いに嗅ぎ覚えはなかったが、たしかに青年から懐かしい匂いが流れてきた。
 黒犬はふんふんと彼に近付き、そして一本の道を見付けた。たたた、と小走りに進むと、豪奢な扉の前に辿り着く。閉じられてはいるものの、霊体である黒犬には関係なかった。そのままするりと扉を潜り抜け、部屋の中に入る。
 そして見付けた。ご主人さまが見付けたがっていた人物を。懐かしい匂いの元を。
 志紀が黒犬を認識する前に黒犬は即座に取って返し、部屋で眠るご主人さまのもとへ走る。その際に大きな旋毛風を作ってしまい城内の人間に不審に思われたが、そんなことは黒犬には関係なかった。

 ―――――― わんっ!

 一声、吠える。ご主人さまが眠る一人掛けのソファの足元に、黒犬は鎮座する。
「・・・・・・ふあぁぁ」
 黒犬の「誉めて」攻撃に欠伸で返すご主人さま ―――― 田所つよしは、腕を伸ばして背中の緊張を解いた。
「見付けたか。案内できるか?」
 尻尾を激しく振りながら黒犬はワン、と吠える。そして立ち上がった。早く行こうと急かしている。
 それに「まぁ待て」と手で制し、つよしはゆっくりと屈伸運動する。傍目から見ても、緊張感がない男だった。実はこれでも志紀のことを心配している。だからこそ式の犬を動かしたのだし、すぐに行動に移そうとしている。

 ただ、それが表に出てないだけで。

 黒犬は、そんなつよしと十年来の付き合いがある。つよしが小学校の頃からで、それは志紀とつよしの付き合いよりも短いものだけど、それでも志紀より知ってることはあった。
 本当は志紀のことが大事で、唯一の幼なじみで親友だから、手放したくないし、こんな状況に落ちてしまえば誰よりも先に助けだしたいと思っているとか。
 本当は今すぐ走って行きたいけど、慌てて感情を表に出してるところなんて見せたくないから我慢してるけど、でもけっこう指が震えてたりとか。
 さっきまで眠ってたけど、志紀を失うのが怖くて眠った気がしなかったとか。
 そういうこと全部、黒犬は知ってたし感じていた。
 だから、黒犬はつよしにだけ視える式神のはずなのに、志紀にも視えるのは、つよしが心のなかで志紀のことを己と同じように認識しているからだ。
「さぁ、行くか」
 やっとその気になったご主人様を守るように、黒犬はつよしの前に立ち、胸を逸らした。

 黒犬は、つよしのことを考えて、ちゃんと廊下を進む。壁を突き抜けないで、ちゃんとつよしの歩くスピードを保っている。その後ろをつよしはのんびりと付いていく。本当に緊張感がない男だった。
 さっきから見知らぬ格好をしたつよしを不審そうに見る者もいる。けれど悪役魔女メイジェンから貰った腕輪を見せると、みんな納得して消えていく。どうやら通行証というか、証明書みたいなアイテムらしい。
 日本に持ちかえればどれだけで換金してくれるかと、つよしは本気で考えている。
 ふと、つよしは何かに呼ばれたように顔を上げた。回廊の角。黒犬が立ち止まってつよしを待っている。
 角の向こうから人の気配がする。見知らぬ気配だが、その内の一つはつよしが探していたもの。けれど、その気配は荒れている。志紀はいつも怒っているが、ここまでの感情の乱れは久しぶりだ。この乱れは・・・・高校時代、志紀が演劇祭で姫役を演じることが決まった時のような・・・・・・。
 まさかな、とつよしは思う。が、角から曲がってきた人物たちを見て、つよしは自分の勘が正しいことを知った。
 そこにいたのは、漆黒の瞳と髪の色をもつ少年。そして月の光のような淡い髪の色をした美しい青年。そして、貴族の娘と思われし愛らしい少女。
 一見して、城の中では違和感ない三人組。しかもここは異世界。
 しかし、三人目の少女が顔色を変えたことで、つよしは安心して力が抜けた膝が笑わないようにするのが精一杯だった。だから、どうしても口に出す言葉は平べったくなる。

「お前、そんな格好で何やってんの?」

 そのことでさらに表情を変える少女・・・・一条志紀は、怒りに染まった頬をもてあます。ここで怒鳴り散らすわけにはいかないから。
 そしてお互いに見つめ合い、どちらともなく呟いた。

 ―――――― 最悪だ。


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04.06.27

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