花鳥風月 海の章 03



 驚愕の声。それがどこから聞こえてきたのか、認識する前に月湖は叫んだ。
「カヤノ、下!」
 同時に波が起こり、船が大きく揺れる。月湖は今まで以上に必死に船にしがみ付く。
 そんなに離れていないところから、ガチャガチャのカプセルを思わせる丸いものが、急上昇してきた。その透明の球体の中には、二人の男が入っている。二人とも海には場違いな背広を着ている。一見、サラリーマンのように見えた。

 ≪月≫の結界、『満月 』 だ。

 だから海中にいても平気だったのだろう。『満月 』 は物理攻撃も防ぐので、潜水の役目も果たせる。
「なぜ≪鳥≫のハンターが・・・・・・っ」
 突然の敵は、最後まで話させて貰えない。異常なほど長い滞空時間で、茅野の攻撃である幾つもの光弾が降るように『満月 』 に集中してしまったためだ。
 ≪月≫の結界がなければ、そいつらは間違いなく何かをする間もなく息絶えていただろう程の、激しい攻撃だった。
「はっ! 脆い、脆い!!」
 茅野は顔は、≪月≫の結界と茅野の攻撃のせいで陰影が強く、喜色満面だ。
 激しい攻撃とそれを往なす防御のせいでドーム型に輝く結界が、たゆんでくる。壊れるのも時間の問題だと思われた。

 ≪花風≫の敵対する組織、≪月鳥≫。

 ≪花風≫と同じように自然のことを考えているが、彼らは新たに自然を作ることを目的とした開発を求めているため、≪花風≫とは相容れなかった。
 ≪月鳥≫もその名の通り、≪月≫と≪鳥≫の聖霊の加護を受けたハンターたちが集う組織だ。これまた判りやすい。そして彼らは、敵である≪風≫の攻撃を受けたことはあったとしても、仲間である≪鳥≫の攻撃は受けたことはないだろう。いや、訓練の類で受けたことはあっても実戦では無いはずだ。その衝撃から隙を作り、一気に攻めるのが茅野と月湖の戦い方だった。

 茅野は、≪鳥≫のハンターなのだ。

 1年ほど前に≪月鳥≫から≪花風≫に寝返った、たった一人の≪鳥≫のハンター。
「けっ、その程度かよ」
 いつのまにか、月湖の隣に茅野が戻っていた。
 辺りは白光の熱と激しさの余韻で、水蒸気が立ち上っている。雨のように降ってくる海水が月湖たちを濡らす。いつもなら風で吹きとばすも、今はそんな余裕がない。
 船酔いの侵略が、パワーアップして戻ってきたのだ。
「・・・・・・・うっ」
 吐きそうになって口元を手で押さえると、茅野が怒鳴った。
―――― まだだっ」

 ドォォンっ!

「ひっ!」
「わぁぁっ!?」
 月湖と操縦の男の叫びが重なった。
 横から衝撃がきた。立ち篭める水蒸気の所為で気付けなかった。小型船はそのせいで海面に浸けられていた船底を相手に見せてしまう。
 操縦士は手摺りにしがみつき、茅野は寸前で跳び、海に落ちることを防いだ。そして相棒の姿が見えない事に気付いて悪態をつく。
「あんの、馬鹿っ!」
 茅野が舌打ちする。
 役立たずは、足手纏いにもなる。
 月湖は、見事に海の中に落ちていた。茅野は助けに向かうも、≪鳥≫の邪魔が入る。
「お前の相手は俺だ、茅野芳文」
 茅野はいったん視線を自分の拳にやり、それから満足そうに両足を開いた。相手をする気になったのだ。
「思い出したぜ、裏切り者! まさかお前が罠に引っ掛かってくれるとはなぁっ。あんたの首を持って帰れば、格が上がる!」
「ふん。その程度の安い挑発しかできねぇのかよ!!」
 転覆を免れた小型船の上で、二人の≪鳥≫のハンターが、殴り合いに近い闘いを始める。二人の両手が包むものは、似たような指貫の手袋。そして、白光。聖霊というグローブをはめ、白光という凶器を振りかざし、聖力を相殺し合うのだ。もちろん弱い方がダメージを負う。肉体的にも、精神的にも。


 一方、海に投げ出された月湖は暢気に溺れていたわけではなかった。
 船酔いで思うように身体が動いてくれなくても、充分、月湖は海に落ちることはなかった。意識しなくても、風が月湖を空中に止まらせるからだ。
 だけど、月湖はそれを拒んだ。
 自分のことよりも、つくしの精霊のほうを優先させた。風は投げ出されたつくしの精霊を包み込み、≪月鳥≫の手が届かないところまで押し上げた。
 次に、茅野を風で包んだ。特に両手に、台風のように風を纏い付かせた。
 これで茅野が放つ拳は、ストレートでありながらも、回転の加わったコースクリューパンチを打つことが出来るのだ。その代わり打つたびに風は削られていくので敵のハンターが強ければ強いほど、比例して数回しか打てなくなる。ちなみに、パンチの名前は茅野に教えられた。
 この二つのことを個性派な潮の中で行い、維持させる。その上、自らの呼吸を維持させるために風の結界を自分の周囲に張った。≪月≫の結界ほど上等ではないけれど、自分一人ならば、これで充分だった。
 閉塞感は、我慢できないほどじゃない。
 そして今、海の中で月湖は≪月≫のハンターと向かい合っている。
 もちろん≪月≫にも空中戦はできるが、≪風≫ほどではない。故にそれに付き合って海中戦を行なう。自分のことながら、なんて人が好いんだろうと、しみじみ思う。
「ハズレくじを引いたな。ま、茅野芳文は外浦にくれてやろう。どうやら、闘いに慣れていないようだな」
 海の中だが相手の嘲笑は、はっきりと聞こえる。生の声ではなく、聖霊の感覚で聞こえているのかもしれない。
 そして月湖は気付いた。敵が茅野の名前を知っている。茅野の正体がバレたのだ。
「そうでもない」
 月湖の声も、相手にはっきりと伝わったようだ。負け惜しみにでも聞こえたんだろうか、ますます相手は調子に乗って笑いだす。

(本当のことなんだけどな)

 月湖はそう思ったが、口にはしなかった。言ったとしても、信じないだろう。それどころか馬鹿にするに違いない。だったら、思い知らせてやるだけだ。月湖は外見から大人しく見られるが、一般人でもない人間相手にハンデをくれてやるほど正義人間でもなかった。
 ≪月≫のハンターは、よく見れば三十代後半のおじさんだった。≪風≫のハンターが傍目に見ても女子高生なら、偉そうになっても仕方がないかもしれない。
 ≪月≫のハンターの両手に、白光が灯り集約する。そこに現れたのは、小さな盾だ。結界の一つ、『半月 』 だ。半月そのままに満月を半分にしたそれは、ハンターの手によって、手裏剣の要領でこちらに向かってきた。攻撃にも防御にも使える厄介な技。
 月湖は身体の前に扇を構える。扇の指にもつ方ではなく、端を持って半分だけ回転させる。それだけだ。それだけでも月湖には充分で、終わりだった。
 扇を中心に、水中に渦巻くものが出現する。迫る『半月 』 の手裏剣は、渦巻くものによって進行方向を変更させられる。眉を潜めた≪月≫のハンターは数回 『半月』を放ち、それから驚愕に目を見開いた。
「ば・・・・っ」
 月湖が何をする気なのか早々に気付いた≪月≫のハンターは、顔色を蒼白に変える。
「馬鹿な。そんなことをして、身体が保つわけが・・・・・・、ひぃぃっ!」
 大量の水泡で白く見える渦巻きは、早くも月湖の身長を越えている。≪月≫のハンターは逃れようとして間に合わず、無力な小魚になって飲み込まれ、渦は尚も大きく成長していく。そして、月湖のコントロールで持って、進行方向を上方へと昇っていく。

―――― ァハ」

 月湖の口から酔ったような無邪気な声が漏れる。が、表情は明らかな嘲笑が浮かべられていた。
 身体の奥から沸き上がってくる衝動。背中がぞくり、と震える。船酔いとは違う、別の陶酔感。幾度も感じた、解放感。
 月湖は素直に感情赴くまま、力を放出し続ける。そうすることでしか、沸き上がってきた欲望は解放されない。閉じる気もしない。
 月湖自身も、渦巻きによって持ち上げられる。
 数秒後、月湖は太陽と空気を胸いっぱいに吸い込む。


 ≪月鳥≫の≪鳥≫のハンターは、≪月≫と同じく三十代だった。しかし、こちらの方が幾分か若い。そして、戦闘能力も申し分なかった。茅野の知らない顔なので、きっとここ一年で選ばれた新顔に違いなかったが、センスは悪くなかった。
 茅野には、遠く及ばないものの。
「くそぉっ」
 破れかぶれのような攻撃を仕掛ける。茅野はワンステップで難なく避ける。
「無駄無駄ぁ〜。てめぇごときじゃ、俺は倒せねぇよっ」
 「よっ」で茅野は≪鳥≫のハンターの鳩尾に、拳をめり込ませた。ただの拳ではない。≪鳥≫と≪風≫の二重攻撃なのだ。
「かはっ!」
 胃液とも、血ともいえない液体が、喉にせり上がり、口元を濡らす。茅野は相手の体液が身にかかる前に、避難していた。
 すでに≪鳥≫のハンターの姿はぼろぼろだった。高級そうな背広も、すでに黒い布切れと化し、整えられていただろう髪は、乱れに乱れている。反対に茅野は、まったくの無傷だった。服の損傷はいっさいなく、風に乱れているばかりだ。
 実力差は、圧倒的だった。あまりにも一方的な暴力だった。
 ≪月鳥≫のハンターとしての経験は一年あるかないか。が、実力は≪月鳥≫でもトップクラスであり、実践を重ねるごとに急激に成長してきた彼としては、かなり屈辱的な敗北だ。
 戦闘のレベルだけじゃなく、才能も、茅野はトップにいる。さらに、茅野の拳を包んでいる≪風≫の渦。これ気付かなかった時点で、負けは決まっていたのかもしれない。
 それでも、負けは認められなかった。
 ≪鳥≫のハンター、外浦にとって、自然とか共存とか、そんなものはどうでも良かった。それはつくしの精霊を封印した乱暴な手口からも言える。
 急に手に入った跳躍した能力。しかし発揮できる場は限られており、そのために組織に入った。実力を上げたのも組織や聖霊のためでなく、だんだんと強くなっていく能力に魅せられたため。≪花風≫相手にその結果を得られる満足感を得たいがため。
 そして今、裏切り者の茅野を潰すことで、外浦は大義名分すら手に入れられるのだ。
 それなのに。

 ―――― それなのに、この様はいったい何だっ!!

 外浦に残されているのは、負けたくないというプライドのみ。
 戦闘の意を示す代わりに、拳に白光を灯す。左手はすでに潰れていたから、右手しか言うことを聞かない。
 それを見やった茅野は、苛虐めいた笑みを顔に浮かべた。
「へぇ・・・・・・。まだ、楽しませてくれるってか?」
「こんなところで・・・・、お前みたいな奴に・・・・っ!!」
「面白れぇっ!」
 一発触発の、最後の闘いになるだろう時、小型船が、大きく傾いた。海の上だと言うのに、地響きのような振動まで起こる。
「なにっ!?」
「けっ。やっとかよ」
 思わず振り向くは、そこで外浦は自分の目を疑った。信じられない光景が、そこにあった。目の前に、展開されていた。
 間近でみる水柱。
 それは最初、大渦だった。人工的に起こされた大渦は、すでに創造者の手を離れ、自らですべてを飲み込もうと、息巻いている。
 その大渦の中心に、巻き上がっている竜巻。それは意志を持っているかのように、激しくのた打っている。まるで龍が暴れているかのその光景は、いっそ、清々しいまで美しい反面、恐ろしさもある。
 身に掛かる激しい豪雨のような水飛沫。
 茅野のことや自分の致命傷な痛みも忘れ、見惚れている≪鳥≫のハンターの耳に、その時、少女の哄笑が聞こえてきた。
 男にはありえないその声を聞いたとき、外浦の頭に浮かんだのは、海の中に飲み込まれ、相棒が相手をしているはずの≪風≫のハンターだった。
 哄笑はまだ続いている。出所は、水柱の上に立つ人間からだった。
 扇を片手に、海中にいたにも関わらず一切海水に濡れていない青ジャージの少女が、腰に手を当ててこちらを睥睨している。

「だぁーかぁーらぁー、そうでもないって、言ったのにさぁ?」

 見事なまでの豹変ぶりであった。のんびりゆったりとした口調はなりをひそめ、闊達とした喋り方をしている。
 大人しく無気力であった少女が、胸を反らして自信満々に背筋を伸ばしている。無害そうな唇は艶を含み、黒目がちな瞳はキラキラと無邪気に輝いている。性格が変貌したせいか、背筋も伸びて体つきも大きくなった感じだ。
「ちぃ、あの二重人格め」
 茅野の声色が、変化した。
 ハンターと遣り合っているときでさえ余裕をもってあしらっていた茅野の目は、真剣に染まっている。ギリリと歯軋りが聞こえてきそうなほど、きつく月湖を睨んでいる。まるで、その女こそが敵だとでも言うように。
「あははははっ!」
 心底楽しいと、本当に思わせる笑い声だった。
「あんたの相棒、へぇーたぁーれぇー。本気になれるわけないよーっ?」
 子供の口調に、大人の立ち振る舞い。幼さと妖艶さを同居させた少女は、不安定な魅力を撒き散らしている。
「な、なんだと!?」
「なに、潰してほしいー?」
 水竜の支配下を解いた少女は、大量の海水と共に落ち、海面に降り立った。大渦だけが存在している。大渦に巻き込まれず、その中央で浮かんでいる月湖の足元に、同じように浮かんでいる男の存在があった。
 男は≪月≫のハンターだった。意識を失っているので、ぐったりと動かない。海水に飲み込まれ、全身が濡れて、顔色が悪くなっていた。
「藤末!!?」
 悲鳴に近い叫び声が、外浦の喉からでる。
 その悲鳴を聞いて、さらに月湖は楽しそうに頬を歪めた。茅野とは違った、苛虐に満ちた壮絶な笑みだった。
「もう、聖霊の加護は消えちゃった」
 そんなことは、言わなくても一目瞭然だった。
 ≪月≫のハンターだった男からは、何の力の波動も感じられない。何かを感じたとしても、それは彼を包む≪風≫の波動だ。≪月≫の波動じゃない。外浦の能力への欲望を組織のためになるならと黙認し、一年近く相棒を務めてくれた、慣れ親しんだ感覚は、もう存在しない。
 絶望感に外浦は包まれた。
 こんなはずではなかった。こんな風に負けるなんて、思いもしなかった。罠に掛かったのが、まさか裏切り者がいるコンビだったなんて。よもやこんなにも攻撃的な、最低最悪なコンビにぶち当たってしまうなんて。そして自分の能力にどれだけ酔ってきたか。
 強制的に認めさせられるよりも辛い、自覚。
「てめぇも、潔く諦めな。命ばかりは赦してやってもいいぜ」
 茅野の声が、頭上から聞こえてきた。
 いつのまにか≪鳥≫のハンターは膝を折り、舟底に両手を付いていた。体中が恐怖で震え、今更に濡れた身体が冷えを自覚した。
 両手を付き、憑きものが落ちたように肩を下ろす。

 それが、答えだった。



| BACK | NEXT |


09.01.04

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送