花鳥風月 海の章 02



 真正面から、潮風が激しく月湖の髪を吹き上げる。サイドも後も同じ長さの髪は、短いながらも後方になびいている。月湖は制服から海と同色の動きやすい服装に変わっている。いわゆる青ジャージと言われている代物だ。
 月湖だけではなく、茅野の髪やバンダナ、ジャケットも同じ現象を起こしている。彼が珍しくサングラスを身に付けていたのも、潮風に眼をやられないためだったんだろう。
 船上には月湖と茅野の他にもう一人いる。小型エンジンボートを操縦しているのは、同じ組織である≪花風≫に属している男だ。
 操縦だけを任されている彼は、無駄口を叩かずに機能や前方を見続けている。
「月湖」
 茅野が顎で遥か前方を示した。
 彼は船縁に片足をかけ、船の揺れなど感じていないかのようにしっかりと立っていた。
 月湖は慣れない船に、早くも酔い始めているところであった。だから、茅野の示すものが何なのか、一瞬、頭が付いていかなかった。
 数瞬後に、今回の指令を思い出す。

 ―――― 海上に縛り付けられた精霊を、救出してほしい。

 何者かが陸で暮らす精霊を攫い、海上にその存在を縛り付けたらしい。悪質な悪戯である。そして、誰が何のために、そんなことをしでかしたか、理解できる行動だった。
 だからこそ、茅野と月湖のコンビが選ばれたのだろう。≪花風≫の中でも、特に戦闘能力に特化した特殊なコンビに。
 ≪花風≫のハンターは、≪花≫と≪風≫の加護を受けた者しかいない。だから組織名も≪花風≫と判りやすいものになっている。そして≪花≫と≪風≫の二人で一つのコンビを組む決まりになっている。
 月湖は、≪風≫のハンターだ。
 攻撃、防御ともに優れた能力だ。しかし実力は≪花風≫の中でトップでも、ハンターとしては優秀ではない。月湖の性格が反映されるため、才能はあっても技術がないせいだった。それでも月湖はトップだ。技術力をカバーできるぐらいに能力が高すぎるせいで。
 反対に≪花≫のハンターは、防御というか、まあ、掩護射撃程度の能力である。どちらかというと、戦闘向きではない。あくまでも≪花≫は、≪風≫を支える後方部隊だ。
 だから役に立たない、というわけじゃなく、ある方面に滅法強く、必要不可欠な存在だった。聖霊が単体のことも多く、人間に憑くケースは半分ぐらいだ。

「おいっ、いい加減にしろ」

 怒りを抑えた声で、茅野は月湖を振り返った。
 船は止まっている。先程までの荒々しい動きはなく、ただ、波に揺られていた。
「お前がいなきゃ、あそこまで行けねぇんだぞっ」
「うん。もうちょっとだけ、うっ、休ませて・・・・・・」
 酔いが身体中に回る。胸はむかむかとし、喉には何かが詰まっているような感じもする。船は動いていないのに、三半規管が壊れたように目の前が大きく揺れている。潮に濡れた髪が、額や頬に張りつく。服も潮でベタベタする。それが気持ち悪いのだが、動けない。
 自分が船に弱いことを、月湖は初めて知った。
 知ったところで、どうしようもないことであったが。
 月湖の目にも、はっきりとそれは映し出されていた。精霊は普通の人には視えない存在だけど、聖霊の加護を受けた月湖には、目に視えるだけでなく、存在自体を感覚で認識している。目蓋を閉じていても、その存在は判る。聖霊の目で、外界を視ているのだ。
 前方50メートル、海上から2メートルほど中空辺りに、精霊が浮いていた。小さな小さな精霊だ。姿形は白雪姫の七人の小人に似ている。月湖がそう思ったとき、それがつくしの精霊だと認識できた。月湖自身視たことはないけれど、月湖の中の聖霊が教えてくれた。
 つくしの精霊を縛っている鎖も視えた。海の中から三本生え、幾つもの錠前がついた鎖が絡めとっている。重力に反する意味不明な光景だが、この世界ではすでに日常だ。それにしても悪戯がすぎる光景だったが。
 そのせいなのか、それとも潮に弱いのか、精霊は蒼い顔で気を失っていた。すでにその精霊個人の生気は、微かしか感じられない。きっと本体である植物から離されて、時間が立ちすぎているのだ。精霊は本体である植物から一日も離れてしまえば死滅してしまう。ましてや目の前の精霊はまだ子供。それも強引に引き剥がされ海上に固定されたんだろう。無理が生じているのだ。
「お前だけで充分だな」
 茅野は早くも戦線離脱している。戦えなくて惜しそうでもない。無駄なことはしないのだ。
 そして確かに、これは茅野の仕事じゃない。月湖の仕事だ。
 船酔いは続いていたが、月湖は気力を振り絞った。
 月湖の右手に、車内で茅野が見せた白光が灯る。白光が消えたとき、月湖の手には扇が握られていた。そこらに売っている扇子ではなく檜の薄板を重ねた桧扇だ。複雑な式での作法などをメモする目的で用いられたり、女性の場合は他人の視線から咄嗟に顔を隠す場合に重宝したシロモノ。六色の紐を両端に蜷結びしてある。見た感じ、豪華だ。
 右手だけで、慣れた仕草で、扇を開く。
 意識を集中させる。
 普段なら、そんな必要はない。だが今は船酔いの真っ最中だ。さらにここは海上だ。
 風は、どこにあっても同じだ。けれど、海の上では違う。海の風は、とても荒々しく、個性的だ。その力強さは、他者を飲み込んでしまう。≪花風≫の実力者である月湖でも、制御を越えるときがある。
 扇を中心に、風が渦巻く。
 言葉にしなくてもいい。頭で考えなくてもいい。どうすればいいのかは、風が教えてくれる。風が誘導するままに、月湖は扇を顔の前に伏した。
 ≪風≫は扇を離れ、一直線につくしの精霊に向かう。
 聖霊の力を使うとき、聖霊はその姿を変化させる。風の場合、それは扇だ。扇を媒介に、月湖は聖霊の能力を引き出し、行使する。それはあくまでも『能力 』 を引き出すだけで、『力 』 は引き出さない。『力 』 を引き出すのは人間のほうだ。自分の気を聖霊の気に変換して、使用する。聖霊の変身はその変換のためにある。
 錠前なんて関係なしに旋風が鎖を鋭く断ち切り、つくしの精霊を優しく包み込む。そしてそのまま、船まで運んだ。これで、頼まれた仕事は終えた。
 操縦を携わってる男が、それを見届けてエンジンを入れた。うるさい音が波を通して聞こえてくる。
 また行きの苦しみを味わうのかと、月湖はうんざりとため息をついた。
 茅野はそんな月湖に嫌気がさしたのか、眉を寄せてそっぽ向いている。サングラスに隠れて見えないが、たぶん、そうだろう。茅野は月湖の一挙一動が気に食わないのだ。
 つくしの精霊は、長いこと繋がれていたせいか、身体が冷えきっていた。魂の輝きも常よりも淡く、儚い。
 聖霊が憑いている自分たちは実体の持たない精霊にも触れることができる。けれど、それはこういう時、とても歯痒い。
 毛布で暖めてやりたくても、毛布は精霊の身体を擦り抜けてしまうのだ。
 月湖に出来ることといえば、風の結界で潮風を防ぎ、精霊の周囲を無風の状態にするぐらいだった。茅野も、やることはない。あとは、精霊個人の生きる気力のみ。月湖は見守るしかない。自分がまともなハンターなら、茅野が付いてなければ、と思うことはすでに放棄している。無い物ねだりは、してはいけないことだ。そして、しても無駄なことだ。
「うぅ・・・・・・っ」
 また、目の前がぐるぐると真っ暗になった。やるべき事をやって安堵して気が抜けたら、また酔いが出戻りしてきた。
 吐き気が連続して襲ってくる。吐ければいいのだが、寸前でそれができない。
 何度も何度も深呼吸を繰り返す。
「欝陶しいっ。さっさと吐いちまえ!」
 フラストレーションがたまっているのだろうか。確かに、今回茅野の出番はない。血気盛んな彼にしてみれば、八つ当りしたくなるのも道理かもしれない。無駄なことはしない男だけど、戦える現場で何もせずに帰るという、最も無駄なことをやらされているのだから、イライラしてもしょうがない。
 でも、どうして茅野は船の揺れが平気なんだろう。船に乗る前、月湖同様、初めてだと言っていたのに。
 不公平な気がして、月湖は思いっきり茅野を睨んだ。
「何か言いたそうだな」
 片眉を上げ、茅野は嗤った。
 人を馬鹿にしたような笑いだった。茅野はたいてい、こんな笑い方をする。誰にでも、偉そうに振る舞う。性格も最低で、傲慢だ。そしてそれ相応の実力と経歴もある。そして、誰もが知っている彼の≪花風≫での特殊な立場。それこそが、月湖がまともではないと示している証拠。
 だから、彼には組織内に親しい友人がいない。まともに会話を交わすのは片手の人数ぐらいで、彼と一緒に行動をするのはたった一人だけだ。それはコンビを組んでいる月湖のことだけど、たぶん、コンビを組んでいなくても連んでいたと思う。月湖自身、茅野ほどじゃないけれど、≪花風≫のハンターに受け入れられていない。誰だって、自分に似たような奴に同情して、慰めて、自分より下の立場を見て、心の平成を保つのだ。
 正直、茅野の言動に腹を立てることはしょっ中だ。
 でも、いつもさっきみたいなことを思って、文句は心の中にしまう。茅野は、それが嫌で、色々と言ってくるんだろうけど、月湖はいつも最後まで言えない。
 茅野は、月湖の最高のパートナーだから。
「けっ」
 厭きたのか、諦めたのか、茅野は月湖を無視した。
 隙なく、辺りを見回している。その鋭い目付きは、猛禽類を思わせた。
 サングラス越しでも、その迫力は伝わってくる。ピリリと、静電気が走ったような緊張感が船上を覆う。
「おい、止めろ」
 操縦者に茅野は声をかけた。
 男は何も聞かず、言う通りにエンジンを切った。わずかに小型船は進み、それから完全に止まった。
「・・・・・・茅野」
「いつもの仕事を熟せ。今のおまえには何も期待していない」
 ならいつもは期待しているのかといえば、そうでもない。
 が、いまは彼が正しい。今の月湖は、正真正銘、ただの役立たずだ。船酔いはさらに激しく月湖を責め立て、まともに座ることもできずにいた。船のヘリから放り出していた片腕の先に淡い白光が生まれる。光が消えた後には扇が握られていた。
 首肯く代わりに、閉じていた扇をパチンと開いた。それだけだ。それだけでも、茅野は満足そうに首肯いた。
 足場をしっかりと踏み、底がキュッと鳴る。両方の拳を脇に固め、舌舐めりをせんばかりに、にやりと笑う。
 見ていて、恐ろしく思うも、生き生きと楽しそうだ。
「やっと、らしくなってきたぜ」
 船の中は、凪のように無風が続いている。
 突如、三人の頭上で派手な火花が散った。≪風≫によって作った結界に、何者かが放った攻撃が衝突し、弾かれたのだ。
 すぐさま茅野は攻撃の出所を計算(野性の勘?)し、両膝を屈伸し、溜めていた力を解放するように跳んだ。一気に十数メートルを跳び上がり、両手に灯る白光を海上に向けて放った。
 茅野の滞空時間は、普通じゃ考えられないぐらい長く、高い。
 茅野の放った光弾は波立った海の表面を摺り鉢状に変化させ、光弾の衝撃と熱によって、周囲に大量の水蒸気を撒き散らす。衝撃で船は大きく揺れ、月湖は悲鳴を呑み込み、船のへりに強くしがみ付く。

―――― ≪鳥≫だとっ!?」

 水蒸気の向こうから、驚愕の声が上がった。



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+なかがき+

 えー、付いて来れていますか? 説明不足な部分があると思うのですが・・・・。
 判りにくかったら教えてください。これは誰の台詞だ? とかでも良いですしね。ま、他の小説にも言えるんですけどね。

08.12.20

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