愛に従う少年と、愛に殉ずる神の奴隷。 02


 あんなに急いていた気持ちが、今度は心臓に刺激を送る。手のひらでぎゅうっと握り締められたみたいに、息苦しくなった。
「あ・・・・」
 彼が自分に気付いた。気付いて笑みを浮かべ、こちらに近付いてくる。
「はい」
 何かを差し出された。近付くのを茫然と見ていた香也は、戸惑いながら視線を落とした。
 彼が両手で持っていたのは傷だらけのサッカーボール。香也が忘れ、置いていったボールだった。
「なんで・・・・」
「サッカーボール、忘れただろう。きっと取りに来ると思ったから」
 初めて聞く声は柔らかく、耳に心地よい。静かに話す口元は、常に笑みがある。

 天使ではなかった。年上の男性だった。男性にしては線が細い人だけど、確かにこの地に足を伸ばして生きている、人間だった。
 何度も何度も繰り返し今朝の光景を想っていたせいだろうか、思っていた以上に今朝の邂逅を神聖化していたことに気付く。

「・・・・ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
 ボールを受け取る。拭いてくれたのか、目立つ汚れが綺麗になっている。
「あ、洗ってくれた、んですか?」
「駄目だった?」
 困ったように尋ね返され、慌てて首を振る。
 そんな顔は見たくない。最初のような笑顔が見たい。
「重ね重ね、ご迷惑を・・・・」
 自分らしくない、重っくるしい感謝の言葉。慣れていないのが相手にも伝わったのか、クスクスと笑われる。
 話題を変えるために、頭を何度も掻いた。
「えっと、名前、聞いてもいい?」
 敬語を使うべきだとは分かっていた。けれど何となく大丈夫な気がして、友人と接するように話し掛けた。
 それは当たっていたらしく、少しだけ彼は微笑んだ。
「寺岡美史」
「みふみ?」
「美しいと史実の史で、美史」
「へぇ・・・・美史かぁ・・・・」
 女の子みたいな名前。だけど彼には合っていた。美しいという文字が、史という柔らかい文字が、美史に合っていた。
「君は?」
「おれ?」
「君の名前は何て言うの?」
 まさか聞かれるなんて思ってなかった。勢い良く答える。
「香也! 宮原香也。カオるナリって書いて香也。呼び捨てでいいよ!」
「香也・・・・って?」
 微笑を深くして名前を呼ばれた。
 自分の名前は、両親がいちばん多く呼んでいる。香也という名前を自分は自分の物として自覚している。
 なのに今、高揚している自分がいる。自分の名前は『香也』だったのかと、吃驚している自分がいた。
「じゃあ僕も、美史でいいよ」
「美史・・・・」
「うん」
 目の前にいる人が美史。美史という人間。
 その名前を口にするだけで、その名前が自分の耳に届くだけで、奇妙な心地よさが脳内を痺れさせる。

 唐突に思った。
 自分はこの人が好きだ。恋をしている。愛を募らせている。

(相手は男だ。それだけは違う)

 否定の言葉は空々しく、むしろ否定するたびに想いが強くなる。
 試合前の高揚感。緊張と合いまったあの感覚に似た、それ以上に激しい想い。
 他愛ないことを喋る。喋った端から忘れていく。自分が何を喋っているのか、何をしているのか、どうして彼を笑わせているのか、まったく分からない。
「こんなに笑ったの久しぶりだよ。香也って、学校でもこうなの?」
「美史が笑いすぎるんだよ。でもこんな楽しいの、俺も久しぶりだ」
 笑いすぎたのか、目元の涙を拭う美史。やっぱり男なのに、見惚れた。女じゃないのに、触れたいと思った。
「遅くなっちゃったね。楽しすぎて、時間なんて忘れちゃったよ」
「うわっ、もうこんな時間。やべー、腹減ってきた」
 その台詞に、また美史は笑う。
 そうさせてるのは自分だ。妙に誇らしくなって、思わず笑ってしまう。
「じゃあ香也。今日は楽しかったよ。遅くまで付き合わせて、ごめんね」
 立ち去ろうとしていたその背中に思わず声をかけた。
「あの・・・・っ」
 彼はゆっくりと振り向く。ほんのわずかに首を傾げ、香也を見つめてくる。
「あの、いつも、ここに?」
「月曜の朝以外は、毎日通っている。月曜日は朝から大学に行くから」
 午前中はずっといるのだ。ずっと会おうと思えば会えるのだ。
―――― 会いたい」
「え?」
 気付いたら口にしていた。思い止まっても、この想いと口は止まってくれない。
「俺、あんたが好きだ」
 彼の瞳が大きく開かれる。そこに同性に告白された嫌悪は存在しない。ただ純粋に驚愕だけが彩っている。それに背中を押されて、香也は言いつのる。
「朝からずっと美史のことばっか考えてた。頭から離れてくれなかった。そんで今は、美史から離れたくない。また会いたい。ずっと一緒にいたいって思ってる」
 言葉にするほど、自分の想いが薄っぺらく感じられた。もっと違うものなのに。もっと強いものなのに。
 分かってもらいたくて、さらに言葉を重ねる。
「一目惚れした。美史のこと何も知らないし、俺のことだって美史は知らないけど、でも、でも、好きなんだ。すごく好きなんだ。きっと美史のこと知れば、もっと好きになるよ。好きになってとか言わない。あ、でも嫌いにもなってほしくないし、出来れば好きになって欲しいけど!」
 感情のままに、頭に浮かぶ言葉を羅列する。もっと国語の勉強、しておけば良かった。どうしよう。ぜんぜん足らないよ。ぜんぜん、伝わらない。
「だから美史、俺・・・・っ」
「ま、まって」
 待てと言われて待てたなら、告白なんてしてないのに。
「香也・・・・、僕は、僕はクリスチャンなんだ。分かるだろう?」
 なんてひどい言い訳だろう。
「男だからって言われて振られたほうがよっぽど嬉しいよ。ねぇ美史。俺は美史がクリスチャンなんて今知った。知っても俺の気持ち変わんない。ねぇ、どうしよう。好きって気持ちが大きくなった」
 同性の恋愛は駄目だから、美史は香也を振った。駄目だと言われたから振った。駄目と言われなかったら、むしろ推薦されたら、美史は香也を振らなかっただろうか?
「香也・・・・それは、駄目だよ」
 美史は苦しそうに答える。そんな顔を見るだけで香也は心が張り裂けそうになる。
 この気持ちを伝える言葉。良い言葉。相応しい言葉。
 思いつく単語はすべて嘘臭い。でも、でも、それが最上の言葉だと言うのなら。色んな言葉があふれる中で、その中でもいちばん強い言葉というのなら。

「愛しているんだ、美史・・・・っ!」

 貴方に、伝える。



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06.11.12


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