永遠の片思い  8.雫


 その日は午前中は晴れていたくせに、午後から雨が降り始めた。
 こんな日の幽霊は、きっと昔話の怪談のように暗くてジメジメしていると思うだろう? でも、違うんだ。こういう日の幽霊は、とっても騒がしい。

「傘を持ってきていない奴が多そうだよな」
「朝からきちんと天気予報を確かめないからだ」
「朝からテレビ見るなんて、よっぽど閑人なんだな、一堂は。それとも食事しながら観てたのか? 行儀悪いな、一堂は」
―――― 貴様、何が言いたいんだ」
「別に何も?」
 たまたま一堂に用事があり、クラスに寄ったついでの会話だ。
「一堂は傘を持ってきてるのかい?」
「置き傘が生徒会室にある」
「引退したんじゃなかったのか?」
 思わず顔を向ければ、一堂は窓の外の空模様を眺めながら答える。
「持って帰るのを忘れていたんだ。帰りに寄って取ってくる」
「一堂でも忘れ物ってあるのか。意外な一面だな」
「さっきから妙に絡んでくるな。何かしたか?」
「お前は、きっと何もしてないし、何も覚えていないかもしれない」
「なに?」
「そういうところが気に入らないだけだ。忘れてくれ」
 憮然とした一堂の表情を見て、やっと溜飲を下げた佐々は、自分の教室に戻る。
 この頃、本当に一堂の顔を見ると腹が立ってくる。
 原因は判ってる。塚本さんだ。塚本さんの好きな男で、そして塚本さんの姿が見えない同級生だからだ。
 いい加減に気付いてやれよ。そこにいるんだぜ、お前のことが好きな女の子が。
 何度そう思い、告げようとしたことか。
 言ったところで一堂は幽霊の存在を信じていないから無意味だ。だからこそ、あの顔を見ると腹が立つのだけれど。
「本当に、今日はよく降るな・・・・」
 午前中はあんなに晴れていた。傘なんて持ってきていない。
 できることなら、帰るときまでに止んでいるか、小降りになっているといい。

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 帰るときまでに止んでくれ。そんな願いは天に通じず、それどころか勢いが増すばかり。身を包む空気が冷たく、マフラーをして校舎のなかにいても肌寒い。
 傘を持った生徒は一気に人気が急上昇している。しかし大半は濡れる覚悟を決め、外へと飛び出す生徒ばかり。中には部活のタオルやバッグを頭に乗せる連中もいるけど、横殴りの雨には通用していなかった。
「僕も覚悟を決めるか・・・・」
 佐々はマフラーをきっちりと結び、授業で使ったタオルを片手に玄関から飛び出す。そして廂から廂へと、走っていく。そうやって裏門まで進み、最後の廂となった自転車置場で立ち止まり、次の廂がある建物を思い浮べる。
 そこへ、
「佐々くん、びしょぬれじゃないっ」
 と、塚本さんが現われた。人気は少しあったが、この豪雨と霧のせいで話声は聞こえなくなる。佐々は濡れてるマフラーを口元によせ、苦笑をもらす。
「たったこれだけの距離だけどね」
 次の廂があるコンビニまで、何メートルあるだろう。これはもう、歩いても同じかもしれない。
「佐々くん、受験生なんだから傘ぐらい持ってなきゃ」
「受験生だからこそ、参考書や辞書のせいでタタミ傘がはいる隙間がないんだ」
「学校に置いておくとか・・・・」
「傘って、こういう時にしか使わないから」
「だから今、必要なんだと思うよ」
 他愛無い会話を交わし、二人は廂から流れ落ちる雨を見つめる。
「わたし、雨って好きなの」
「そうなの?」
「うん。だって、雨が上がった後の景色って、キレイだもん。匂いとか・・・・濡れてるのが好き。だからね、雨に当たるのも好きなの。よく制服を濡らして帰って、絶対に後悔しちゃうんだけど、止められなかったなぁ・・・・」
「へぇ・・・・」
 けっこう子供っぽいところもあるんだな。
「僕は雨は、好きじゃないなぁ・・・・。なんか全体的に寂れるっていうか・・・・。そうだな・・・・気持ち悪いぐらいに独りになるって言うか・・・・」
「えー、よく解らないよ、それ・・・・」
「んー・・・・、つまり、淋しいってことかな」
「淋しい・・・・」
 灰色に染まった空模様を眺め、うん、と彼女は頷いた。
「景色が暗くなるもんね。朝でも教室の電灯をつけて、しかもそれが眩しい。そういうのって、確かに寂しいかも。雨の音は静かだけど、でも確実に聞こえていて、自分たちは声を潜めて、いつもは外に出る男子が教室で騒ぐ。なのに、どこか静かで暗い。そういうところが寂しいね」
 彼女はよく観ている。佐々以上にこの世を見ている。
 彼女に説明してもらって、やっと不確かな寂しさの理由を知った。
 窓側の席の佐々は、常に太陽の明かりと熱を感じている。しかし、雨の日は特別だ。室内との温度差で出来た窓の露。冷たく流れてくる空気。そして教師の声よりも身近に感じる雨音。
 いつもと違う世界に入った感覚。
 それは、幽霊と同じ立場に入ったかのような錯覚。
「そうだ!」
 ぽん、と手を打ったように塚本さんが雨を吹き飛ばすような明朗な声を出した。
「わたしが傘になればいいのよ!」
―――― 意味が判らないんだけど」
「わたしが佐々くんの傘になってあげる。そしたら佐々くんは雨に濡れないで帰れるのね。だってわたしは雨に濡れても平気だもん」
「塚本さん。悪いけどそれは・・・・」
 また、前回の二の舞をするはめになるよ。
「わたし、幽霊やってるだけあって、空も飛べるから」
 その言いように、思わず苦笑。だから、できるだけ軽く、佐々は伝える。
「塚本さん、雨は君を擦り抜けるよ」
 はっ、とした表情の彼女。そして後悔の色が過り、努めて明るくしようとわざと大声を出す。
「でも、気分的に違うかもしれないよっ?」
「かもね」
 どうして、ここまで塚本さんのすること、予想できるのかな。予想どおりのことを、彼女はするんだよね。
 それって、どうしてかな。
「塚本さん、一緒に帰ろうか。一緒にずぶぬれになろう」
「・・・・・・いま、擦り抜けるって言ったばっかだよ」
「でも、気分的に一人よりマシだろう?」
 誘うように言えば、彼女は吃驚して佐々を見た後、楽しそうに笑った。
「雨の日に一人は、淋しいもんね」
「塚本さんと一緒なら、楽しいかもしれないよ」
「佐々くんってホント、言うようになったよね」
「君も、だんだんと僕に慣れてきたよね」
「それって遠慮がなくなったって意味? せめて親しくなったって言ってよね」
「だから、一緒に帰ろうって誘ってるんだよ」
 それは道の途中までしか適わないけど、けど塚本さんのことだから、佐々が駅に入るまで、その姿が見えなくなるまで、電車が通過するまで、きっと見送ってくれる。
「じゃ、覚悟を決めて安全地帯から飛び出そうか」
「濡れるのは同じだから、もう歩こうよ。視野も悪いし、危ないよ」
「それもそうだね。じゃ、覚悟を決めて歩こう」
 塚本さんの雨の日の思い出を教えてよ。
 雨が降るたび、思い出すよ。雨よけをしてくれた幽霊の女の子のことを。
 これから先、思い出すに違いない。


 雨は降る。夜中まで降り続け、空気はさらに冷たくなる。
 この雨は、きっと塚本さんの涙だ。
 雨に濡れることはないけれど、雨の夜の淋しさを独りで過ごさなくちゃならない彼女の。

 ―――― きっと、涙の雫だ。



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05.12.03

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