永遠の片思い  4.境界


 今日もまた、電車の中で目蓋を下ろし、半覚醒のまま停車駅のアナウンスを聞き流す。そして惰性で立ち上がり、ホームに足を踏み入れる。
 定期券など出さず、人の流れに流されながら改札口から駅の外にでる。薄暗かった中から出たために、朝日がかなり眩しい。
 冷える朝は日光だけでも暖かいけど、佐々はマフラーに首を埋めながら通い慣れた通学路を進む。

「おはよう、佐々くん」

 昨日と同じ場所で、同じ挨拶で、塚本さんが現われた。
 きっともう彼女は自分を避けるはず。そう思っていたのに、彼女はそこにいた。
「・・・・・・おはよう、塚本さん」
「さっき、彼に告白してきました」
―――――― えぇっ?」
 思わず大きな声が出てしまった。彼女が現われたために立ち止まっていた佐々は、それだけでも同じ通学路を使う生徒たちに不審そうに、邪魔そうな目で見られていた。そこに突如大きな声を上げたものだから、今度は変な目でも見られる。
 慌てて携帯を取り出し、さも電話が掛かってきたかのように操作し、耳にあてた。
 たったそれだけなのに、視線の数が減った。けっこう有効な手なのかもしれない。
 ただ、手段を教えてくれたのも、こうしなくちゃいけなくなったのも、彼女のせいだけど。
「やだ、ごめんなさい! 場所を考えて言うべきだったよねっ? わたし、早く言わなきゃって、もうそれしか考えてなくって・・・・、本当にごめんなさい!!」
 眉を思いっきり下げて、焦った表情で何度も頭を下げる。
 そんな彼女の横を通り過ぎて、佐々は学校に向かう。だってずっと立ち止まったまんまなんて、誤魔化した意味ないだろう?
「・・・・告白って、どういうこと?」
 慌てて追い付いてきた彼女に問う。もちろん視線は前を見ていて、携帯は耳に当てたまま。
「あ、うん。一堂くんにちゃんと伝えてきたの、好きだって」
「でも一堂は・・・・」
 霊感のレの字もない男だ。あれは、一種の才能でもある。
「それでも伝えたかった。昨日はずっと考えて決めたから。佐々くんが言ったのは正しいって分かったから。・・・・・・本当は生きてる時に言わなくちゃ駄目だったんだよね。告白しても一堂くんには伝わらないけど、わたしの気持ちははっきりと口にできたから、すっごく心が軽くなったの」
 清々しい表情の彼女。昨日みたいな不安そうな顔よりもずっといい。
「佐々くんは自己満足だって言うかもしれないけど、でも、言えて良かった。自分の気持ちが無駄にならなくて良かった」
「・・・・・・そっか」
「わたしはわたしって言ってくれて、ありがとう佐々くん」
「アレは、怒っただけだから礼なんていいよ」
 気恥ずかしくて、視線を前から彼女とは反対方向にずらす。
「それでも、わたしは嬉しかったんだもん」

+++++++++++++++++++

 佐々の目に、人間と幽霊の違いなんてない。中身ならなおさらだった。
 恨みは、一筋もないのだろうか。
 彼女は事故で死んだと言った。どんな事故かは知らない。
 その事故に対して、何も思わない事はないだろうけど、そんな感情なんてまったくないように見える。
 むしろ彼女の悩みは思春期の女の子とまったく同じで、だからなおのこと、佐々は戸惑う。
 目の前に現われた彼女は、本当に幽霊なんだろうか。
 本当に死んでいるんだろうか。本当にみんなには見えないんだろうか。

 でも、彼女の指は佐々のシャツを擦り抜ける。

+++++++++++++++++++

 今日も裏門に向かう。きっと彼女もいるんだろう。
「お疲れ様、佐々くん。もう帰るの?」
 いつもより早い時間のせいか、そう問うてくる。
「図書館で調べ物。うちの学校、そういうのが多いんだ」
「図書館・・・・」
「そう。探すの手伝ってよ」
―――― 出来ないと思うけど」
「探すだけなんだし、何も代わりに課題しろなんて言ってないよ」
 不安そうにしてる彼女に笑う。
 彼女は、決して不安だったわけじゃなかった。ただこの時の佐々は彼女の事情を知らず、校舎の外で彼女と会うことだけを考えていたので、彼女の表情を取り違えた。
 彼女も、殊更何も言わなかったのもある。


 図書館は駅とは反対にある。市民図書館だが、他の図書館との繋がりがあるので、たいていの本は手に入る。それに古いのも新しいのも満遍無くあるので、子供の利用も多かった。
 うちの生徒も学校の図書室に行くより、まず図書館に行くほど。
「古典なんだけどさ、桜に関する短歌を集めろって。どうせなら有名じゃない短歌を集めてやろうと思って・・・・塚本さん?」
 横を歩いていた彼女が、唐突にその歩みを止めた。
 それはまるで、いきなり邪魔が入ったかのように。
「塚本さん?」
 自嘲気味に彼女は微笑む。そこには諦めと、悔しさが滲んでいる。
「・・・・・・ごめん、佐々くん。やっぱり行けないや」
「行けない・・・・?」
 彼女は指で、自分の足元に線を引いた。
「これ以上、向こう側には一歩も進めないの」
 じわじわと理解が広がる。つまり、そういう事なのか?
 彼女が学校に現われるのも、家に帰らないのも、つまり、そういう事?
「塚本さん・・・・」
「何かね、背中からゴムで引っ張られてるみたいに、これ以上前に進もうとすると抵抗にあって、学校側に引き寄せられるの。ここまでは頑張って進めるの。でもこれ以上は進めないの。ここが限界」
 自縛霊だ。自縛霊になってしまってるんだ。
 学校に・・・・いや、一堂に未練を残しすぎたせい? それとも家に帰らなかったせい?
 とにかく彼女は学校に捉われている。学校から離れた場所へは進めない。そしてその距離は、一日毎に少しずつ縮まる。
「最初はね、図書館にも行けたの。でもそのうち玄関すら入れなくなって、横断歩道も渡れなくなって、今日は、ここまでだった」
 まだ、図書館まではだいぶある。半分も行ってないんじゃないだろうか。

(そうだ。彼女はもう、生きていないんだった)

 だから世界は彼女たちを排除する。違和感を正常に戻す。ゴムが伸びても元に戻るように、彼女たちの行動範囲を狭めていく。ゆっくりと、それでも確実に。
「ごめん・・・・。何となく、言えなかった・・・・・・」
「そんな、謝ることじゃない。塚本さんが悪いんじゃないんだから」
 悪いのはきっと、気付けなかった自分だ。
 学校にいるのは、一堂がいるからだと思っていた。でも本当は違っていた。彼女は家に帰らないんじゃなくて、帰れないんだ。
 それなのに自分は、何度も家に帰れと、彼女に対して言ってしまった。

(自分のことしか考えてないのは、俺の方じゃないか・・・・)

 自己嫌悪で嫌気がさしていると、それを察したのか、彼女は慌てたように佐々を宥めてきた。
「気にしないでね、佐々くん! 別に不都合があるってわけじゃないのっ。これも自業自得だと思ってるし、その、気にしないで! 本当に大丈夫だから!!」
「そういう風に見えないよ、塚本さん。謝る機会ぐらいは作ってよ」
「え、そんな、佐々くんが謝ることないよ!!」
「謝らせて欲しい。知らなかったわけじゃないんだ。失念してた。考えなきゃいけないことだったのに、何も考えなかった。それは、君に対してもあるけど、自分自身でも許せない事だから。だから、謝らせて欲しい」
 何も言えずにいる彼女に、佐々は真摯な視線を送る。
「ごめんね、塚本さん。あと、気づかせてくれて、ありがとう」
―――― ううん。お礼は、わたしの方。協力して貰ってるから・・・・ありがとう」
 本当に、彼女はそこらの女子と変わらない。それどころか、それ以上に純朴で、素直だ。
 そんな彼女の未練は・・・・境界を越えられないほど深くて、重い。
「へへ、佐々くんには、教えてもらってばっかだね。ホント、ありがと・・・・・っ!?」
 彼女の表情が、声が、一変した。
 はにかんだような笑顔から、驚愕の表情へと。そして、視線が佐々が後方へと伸びる。
「塚本さ・・・・・」
 どうしたのかと、佐々は尋ねようとして言葉を切った。
 彼女が呟いた。聞き取れない程小さい声。しかし、彼女の姿が見れるほどの霊格がある佐々には、丸聞こえの言葉。

―――――― お母さん・・・・・・」

 確かに彼女は、そう呟いた。



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05.08.28

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