神様、もう少しだけ -5-


 天使の観多里さんが、人間の神田さんになって、一週間が過ぎようとしていた。
 神田慎という非日常を、わたしは受け入れ、毎日を楽しく、時には胸をハラハラと騒がせながら、過ごしている。
「いいか、李。男ってのは、とにかく簡単なんだ。女が思ってるほど、難しくねぇ」
「それって神田さんの意見?」
「男としての意見だ」
 憮然とした表情の神田さんは子供っぽく見える。わたしの好きな表情の一つだ。
「だからそんなに緊張するな。上手くいくものも失敗する。リラックスだ、リラックス」
「はあ・・・・・・」
 別に、本当に恋人のことなんてわたしはどうでも良かった。
 でも神田さんは毎日色んな本を読んでたりしてて、よく勉強している。おかげで、ますます内緒にしている動機が話せなくなった。心苦しくなるけど、けど本音は、神田さんとはこのまま、楽しくやっていけたらいいな、と思うだけだ。
 恋人も、出来るときには出来る。別に今に限らなくてもいい。そう思っていた。

+++++++++++++++++++

―――――― え?」
 最初、わたしは自分の耳を疑った。
「神田さんと狛倉さんって、仲が良いよね」
「幼なじみだし・・・・うん、そう、だね」
 朝のHRの時間、先生が来るまで、わたしは扇くんと話していた。他愛の無い、記憶にすら残らない会話だったはずなのに。
「よく二人でいるとこ見るし、放課後も、ときどき一緒に帰るだろ? まるで兄妹みたいだなって思ってたんだ」
「兄妹っ?」
 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。それだけ言われた単語は寝耳に水だった。
「僕は弟がいるんだけど、だから羨ましいよ。お兄さんって憧れるよね。狛倉さんは、一人っ子だったよね?」
「ああ、うん・・・・。一人」

 吃驚した。本当に吃驚した。
 他人から自分たちがどう見えるかなんて、考えたこともなかったのだ。

(兄妹みたいに、見えるんだ・・・・・・)

 それは何だか擽ったいようであり、それでいて、何故か胸が苦しくなる。
 神田さんは、設定どおり、兄として接している。環境設定としては近所の幼なじみのお兄さんだし、確かにそれはそれでいいんだけど・・・・・・。

(神田さんがモテるのを忘れてた・・・・・・)

 手紙を貰ったこともあれば、携帯ナンバーも貰っているらしい。
 けど神田さんはそういうのは丁重にお断わりしている。自分が天使という職業なのもあるけど、自分が地上に下りている間、なるべく自分がいたという痕跡は残したくないそうだ。

 いずれ、天上に戻るから。

 試験が終われば、地上からは消えるから。
 来週にはもう、ここにいない。パン屋からも、学校からも、自分からも。

 ズキンッ!

「あ・・・・・・」
「狛倉さん? どうしたの?」
 不思議そうに扇くんが尋ねてくる。
「ううんっ、何でもない・・・・っ」
「そう・・・・?」
 何か問いたそうな彼を、わたしはあえて無視する。
 自分がいま覚えた痛みを、悟られたくなかった。
 自分がなぜ、痛みを覚えたのか、自分でも判らなかったから。
 だから、何も知られたくなかった。

+++++++++++++++++++

 昼、わたしは食堂に行かなかった。
 まだ、扇くんとの会話で覚えた痛みに引きずられていたからだ。そんな状況で神田さんがいる購買には行けないし、食堂にも行けなかった。
 会えばきっと、自分は訳の判らない事を言い出すに違いない。
 そう思って、学校を抜け出してコンビニに走った。コンビニのパンは購買のものより高くて美味しくないけど、この場合は仕方ないと思う。

 神田さんには、神田さんの時間があるんだから。

 そういつも、わたしにばかり構ってはいられない。
 神田さんは天使なんだから、忙しいんだ。邪魔は、したくない。

「おいコラ、李。こんな所で何をしている」

 屋上でモソモソと美味しくないサンドイッチを食べてたら、いきなり頭を捕まれて、無理遣り仰ぎ見るような形にさせられた。首がグキって言ったけど、やった本人は知らぬげにわたしを睨んでいる。
「商売敵のコンビニに行きやがって。おかげで今日の売り上げは最低だぞ」
「神田さん・・・・」
 わたしと同じように壁に背をあてて隣に座る神田さん。
 首を痛め付けたらそれで恨みも消えたのか、持っていた紙袋を手渡してきた。
「ほら、お前の好きなチョココルネ。死守しといたんだから、片せ」
「神田さん、でも」
「デモもストもあるか。それは奢ってやるから」
「あ、ありがとうございます」
 神田さんは、一度言えばテコでも動かない。ここは自分が折れるしかない。
 それに・・・・やっぱり神田さんに会えないのは淋しかった。こうやって時間を作って会ってくれるのは、本当に嬉しかった。さっきまで悩んでいたことも、神田さんの顔を見たらどうでもいいやと思えた。
「やっぱり、ここのパンがいちばんですよね」
「そーだろ、そーだろ」
「神田さんが作ったわけじゃないくせにー」
「なに言ってるんだよ。この頃は簡単なものは焼かせて貰ってるんだよ」
「ええっ? 本当?」
 それは初耳だった。
 だって神田さんは、パン屋で働いているけど、実際に店で働いている時間は短い。働いていない時は、たいていわたしと一緒に街に出歩いているからだ。(出歩いている理由に関しては何も言いたくない)
「本当。まだ売り物にはならないけどさ、でも自分でも旨いと思うぜ。お前も店に来いよ。俺の食わせてやるから」
「はい! 絶対に行きます。うわあ、楽しみ」
 扇くんとの会話で覚えた痛みはなかった。今までどおりの自分たちがそこにあった。

(気のせいだったのかも。扇くんに対してずっと嘘を言ってるようなものだしね)

 神田さんが天使のことや、実は幼なじみのお兄さんじゃないことは、絶対に言えないことだから。
 だから、嘘を吐いている自分が嫌になっただけ。
 きっとそうなんだろうと。
 それはとても、納得できる理由だった。

「それでな、李。こっからが今日の本題なんだよ。なのにお前ときたら今日に限って購買に来ねぇし」
「か、神田さん。それについては謝ります。だから本題に早く入って下さい」
 止めなきゃ永遠に愚痴が続くかもしれない。
 そんな過去にもあった出来事を思い出し、わざとらしくても話を変えた。
「んー? おう、そうだな」
 幸いにも、神田さんは愚痴を止められたことには怒らなかった。
「実はな、途中経過を『上』に報告しなきゃいけねーんだ」
「途中経過?」
「そ。今までの事を報告書に纏めて提出。及び、健康診断」
 前半はともかく、健康診断って何だろう。
 そんな疑問が顔に出てたのか、神田さんは説明してくれた。
「最初の日に、保健室で説明しただろ? 地上は天上と違って空気が悪いんだ。天使は地上の空気に対して免疫も抵抗力も持ってないから、一週間に一度は戻る決まりになってるんだ。で、そのついでに報告書を提出しろって事。つまり書類は二の次だな」
「神田さん・・・・、どこか具合でも悪いの?」
 心配して声をかければ、苦笑を返された。
「人間がかかるような病気とはちょっと違うんだ。天使には羽があるんだが・・・・それが、汚染されるような感じ。判るか?」
「真っ黒になっちゃうってこと?」
「そこまではいかないが。んー、そうだな、光沢がなくなるような感じ。本来は明るいんだけど、汚染されるとスイッチが入ってない電球みたいな」
「輝きがなくなるんですか?」
「それも違うんだよなー。使い始めの電球の明かりと、使い終わりの電球ぐらいの差もないし、人間から見たら対して変化はないように見える。ようは、内面なんだよな」
「よく判りません」
 本当に判らなかった。何となく、明るさが減少するのかな? とは思うんだけと。
「天使ってのは、精神的なものに左右されやすいからな。早い話、幽霊みたいなもんなんだよ。見える奴には見えるけど、見えない奴には見えない。そして見える奴でも、その幽霊の実力が判る奴と判らない奴といるわけで。・・・・・・って、この説明で判るか?」
「幽霊と天使を一緒にしている時点で判りません」
 むしろ正反対のような気がする。
「あーじゃ、説明は終わり」
「そんなー。余計に判らなくなりますよ」
「んじゃ結果だけな。羽を汚染された天使は、人間になるしかないんだ」
―――― え?」
 人間になるしかない?
「羽は汚染されると重くなる。重いと飛ぶ事が出来ない。つまり、天上には戻れない事を指す。となると、もう人間として生きる道しか残されてないわけだ。天使はな、人間なんて地上を這いずり回ることしか出来ない下等動物としか見てない。だから、人間になるって事は天使にとって最大の屈辱を与える極刑になるんだよ。だから、そうなりたくないために、天上には必ず戻らなきゃいけないわけだ」
―――― 神田さんも、そうなの?」
「そりゃあ、天使だもんな」
―――― 神田さんも、人間のこと、そういう風に考えてるんだ・・・・・・」
「え・・・・って、ち、違うぞ、それは!!」
 慌てて自分が何を言ったのか自覚して、発言をとり消す神田さん。でもわたしは、もうそんなの見えていない。
 見えていたとしても、それは偽りにしか見えなかっただろう。
「もういい! どうせ神田さんだって、面倒だって思ってるんだし!」
「李! ちが・・・・っ」
「さっさと天上に戻ったらどうですかっ!? そんなに体に悪いなら、もう戻ってこなくてもいいです!!」
「李!」
 言い募る神田さんに、しかし李は怒鳴った。

「わたしだって迷惑だったんだから!!」




05.08.12



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送