神様、もう少しだけ -4-


 わたしは今、神田さんと待ち合わせしている。
 最初、パン屋の店内でデートに誘われた時は何の冗談かと思ったけど、神田さんはしごく真剣だった。
「俺はさ、お前のクラスの委員長の・・・・扇だったか? あいつなんかいいんじゃないかと思ってる」
「は? え? 扇くん?」
 デートからいきなり委員長の名前を出され、思わず正気に戻る。
「だから、李の恋人だよ」
「は、ええっ!?」
「いちばん近いのがあの男だ。人望もあるし、人柄もいい。実際仲も好いみたいだし、恋人役としては申し分ないだろ? 恋を知るなんてさ、結局相手がいなきゃ何も始まらないんだから・・・・」

「ダメですっ!!」

―――― 李?」
 わたしの強気な否定は予想外だったのか、神田さんは目を白黒させた。それでも神田さんの容姿は見衰えないから、美形ってすごい。
「それだけは、絶対に駄目です。扇くんはすごく良い人なんです。そんな、わたしの願いなんかのために利用していい人じゃありません。そんな迷惑、かけられません。絶対に彼だけは、絶対に駄目です!」
 彼は、クラスでは少し浮いた感じのわたしにもよくしてくれて、いつもお世話になっている。
 クラスだけじゃないくて、学年を通しても扇くんは親切な人で、頼りになる。他のクラスからも相談事を持ち掛けられたりしているし、教師だって一目置いてる。
 だから本当は、生徒会長にだってなれた人だ。推薦があったし、立候補の人よりも人気があった。でも普段からそんなだから、いつも彼は忙しそうで、クラス委員長としてしか動けていない。
 だから、絶対に彼を巻き込めない。
 頼りにしたくない、というわけじゃない。
 わたしは今でも天使とか、神とか、信じていない部分があって、いまこの時でさえ、夢を見ているんじゃないかって思っている。
 そう思ってる時は、相談に乗って欲しいと思ってる。素敵な夢だねって、彼に断言してして欲しくもある。

 でも神田さんはここにいる。
 それはつまり、天使がいるってこと。

 そんな日常から離れたような部分で、扇くんの手は借りれなかった。負担になりたくないし、わたし自身が変な子とか思われたくない。
 扇くんには、今まで通りの、いつも通りの、わたしでありたい。

「だから、絶対に扇くんは駄目なの」

+++++++++++++++++++

「お前が扇は駄目だって言うなら、ナンパしかない」
 いったん家に帰り、午後になって待ち合わせた場所。サングラスをかけて、さらにカッコ良さに磨きがかかった神田さんが、遅れてきて開口一番がそれだった。
「神田さん・・・・・・」
「心配するな、李。俺が後ろでレクチャーする」
「レクチャーって・・・・あの、神田さん、わたし、別に恋人とかいりませんから・・・・」
 そう言うと、不機嫌そうに神田さんが見下ろしてきた。
「はあ? じゃあどうやって恋を知るんだ? 言ってみろよ、ほら」
 エリート天使に口答えするつもりか?
 そんな声が聞こえてきそうなほど、神田さんが笑ってない目で笑ってくる。
 わたしはそんな神田さんが恐くて、ビクビクと上目で様子を伺う。とてもじゃないけど、意見を言える雰囲気じゃない。
 そんなわたしを察したのか、気まずそうに神田さんが横を向いた。
―――― 悪い。この手の仕事は初めてでな。イライラしちまった」
「あ、そうですか・・・・」
 いつも自信まんまんのエリート天使。
 初めての仕事内容で緊張していたみたい。ほんの少し、神田さんに近付けたみたいで、わたしはクスリと笑う。
「あ! なに笑ってんだっ。普通はこういう時、誰にでも初めてはありますもんね、とかフォローするもんだろう!!」
「あ、痛い痛い〜〜っ」
 こめかみに神田さんの拳が置かれ、グリグリと回してくる。それも両方に。とたんに襲う頭痛。
「許してーっ。いたい〜っ、神田さーん、ごめんなさーい」
 謝ると、神田さんは「よし!」と言って攻撃を緩めた。
「俺は寛大だからな。で? 李は何を言おうとしたんだ?」
「う ――・・・・」
 恨めしそうに神田さんを睨むわたし。だって本当に痛かったんだもん!
「さっさと言わねーと・・・・」
 またもや中指の間接を立てた拳をつくり、グリグリする格好をする神田さん。慌ててわたしは飛びのいて、パン屋さんで別れた後に考えたことを言ってみた。
「だ、だから、別に片思いでもいいんじゃないかって思うんです!!」
「・・・・・・はあ?」
 分かって貰えなかったみたい。わたしは言葉を重ねる。
「恋を知るんですよね。なら、別にそれは両思いじゃなくても、自分じゃなくてもいいんじゃないかって・・・・。例えば、誰かの経験を聞かせて貰うとか、そういうのもあるんじゃないかなって、思って・・・・」
 だって、恋人とかって、恥ずかしいもの。
 確かに漫画とかドラマみたいに、あんな風な彼氏欲しいなって思う時はある。でもそれは憧れから出なくて・・・・実際に自分が体験するのとじゃ、やっぱり違う。
 憧れるけど、自分にはまだ早い気もする。
 人見知りが激しいわたしは、女子ならともかく、男子とはまともに顔も合わせられない時がある。クラスの男子の名前だって、まだ半分も覚えていない。扇くんは特別だし、隣の席だったから話せているけど・・・・。だから、初恋だってまだなのに・・・・・・。
「それに、わたしが恋を知りたいと願ったのは・・・・」
 その先を言うのを、わたしは少し躊躇する。一生懸命頑張っている神田さんを見ていると、『恋を知りたい』と思った動機を口にするのが躊躇われた。
――――――
 神田さんは黙したまま。何も喋らない。その沈黙は重たい。
 本当のことを言うべきだと思う。今の段階なら話しても怒らないと思う。
 でも、誰にも話していない自分の趣味を、神田さんに告げるのは恥ずかしかった。
 まだわたしたちは、待ち合わせ場所から離れていない。近くにベンチもあるけど、こんな状況だから、一人では座れなかった。
―――――― 李」
「はい・・・・」
 思考が終わったのか(?)、神田さんがサングラスを外しながら言った。
「結論から言うと、確かにそうかもしれない、と俺は思った」
「そ、そうですか・・・・っ」
「が ――― 、お前は『知る』の意味をはき違えている」
「意味・・・・?」
「そう。知識には二種類ある。本や辞書、耳や目で知る知識。それが一つ。お前が言っているのはこっちだな。で、俺が言いたいはこっちだ。経験による知識。たとえば、目の前にパンのレシピと材料がある。もちろん、初めて作る。この場合、お前、読んだだけで完璧に作れると思うか?」
「そんな・・・・・初めてだから・・・・絶対に失敗する・・・・・・」
 何となく、神田さんが言いたいことが判ってきた。
「お前ならそうだな。本から得る、脳にたたき込む知識だけだと、そうなる。でもな、失敗しても一度でも作っていれば、レシピだけの知識よりも深く理解できているだろう? それが経験による知識だ。身体が一連の動きを覚えた知識。音楽家とかでも、楽譜は覚えていないけど、指が覚えている、ていうのあるだろ?」
「うん・・・・。つまり、わたしは自分の恋を知らなきゃ駄目なんだ・・・・?」
「そーゆーことだ。で、片思いとか両思いとか言っていたが、確かにその通りだ。どれも恋のうちだ。けどな、出会いすらない状況でどうやってそれを知る? かつ、恋をしたなら、成就させたいと願うだろう。片思いのままでいいなんて、言えるようなものは恋じゃないと思うぞ」
 そこまで言ってから、急に神田さんは恥ずかしくなったのか、またサングラスをつけた。照れ隠しはその口調からも伺える。
「と、とにかく。その出会いを今から模索する。好みのタイプがいたら即アタックだ」
「で、でも!」
 そんなのは恥ずかしい。
「でもじゃない!」
「でもやったことないし・・・・っ」
 自分から知らない人に声をかけるなんて、そんなの絶対に無理! それも道を尋ねるとかじゃない。口説くのだ。
「じゃあ・・・・あれだ。いいのがいたら報告しろ。天使の能力をめいっぱい奮ってその男の素性を探ってやる。駄目な奴ならこっちから願い下げだ。それならいいだろ」
「そ、そういうことじゃ・・・・ないんだけどな・・・・・・っ」
 けど神田さんは聞こえなかったみたいで、次々と通り掛かった男性を薦めてくる。
 そのたびにわたしは四苦八苦して断る理由を思いつくままに告げた。中には彼女がいる人もいて、本当に困った。そのうち神田さんも、携帯電話を見ながら男性を薦めてくることが減った。
「神田さん、その携帯、どうかしたんですか?」
「これに知りたい人間の情報が入ってくるんだ。けどさ、李。言いたくないが、扇以上の奴は滅多にいないぞ。妥協なんてしたくないだろ? 一生もんかもしれないからなー」
 そしてその日は、ずっとそれだけを夕方まで続けた。結局、神田さんのお眼鏡にかなう男性は現れなかった。悔しそうにする神田さんを慰めつつ、わたしは内心、安堵の息をはいた。
 夕方になって神田さんと別れた後、わたしは疲労困憊でベッドに倒れこみ、夕食も食べずに眠った。
 こんなのがデートというのなら、もう二度としたくないと思いながら。




05.05.22


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