神様、もう少しだけ -3-


 神田さんが働いているベーカリーは、わたしが通う高校の通学途中にある。
 いったんバスから下りなきゃ買えないので、利用者は少ない。けれど李が通う学校の購買の一端を担うだけあって、その味は保証付。値は張るけど、その価値はあると、李は思っている。

 神田さんに出会って最初の日曜日。李は午前中からベーカリーを訪問した。
 昨晩、神田さんが来いと命令してきたのだ。いきなり携帯でそんなこと言われても困るけど、用事は何もなかったのでOKした。
 だから李は、朝食を食べずに尋ねた。ここのベーカリーは二席だけだけど、その場で食べられるようにテーブルとイスが設置されている。李はそこを利用して朝食を取ろうと思っていた。
 の、だ、が・・・・・・。

(この繁盛ぶりは何だろう・・・・・・?)

 ここ二年ほどお世話になってるけど、ここまでこのお店が客でいっぱいになったことがあっただろうか。
 お客の大半は李と同じ年ごろの女の子で、ちょっとだけOLとか大学生が交じってる。男の人は店の人だけ。
 別に新メニューが入ったわけでもなさそうだけど・・・・・・。
 人がいっぱいで中々前に進めないところを、李は必死にお目当てのパン目指して這い進む。李が好きなのはチョココルネだ。カロリー計算無視の甘さが、李は気に入っていた。そして明日の朝用にサンドウィッチをトレーに乗せる。
 さすがにお客がいっぱいいるだけあって、パンの数がない。どれを買おうか悩む必要がないのは楽だけど、淋しいものもあった。お目当てがなくて諦めなくちゃいけないのは、お腹が空いている今は、特に辛かった。
 それでも我慢して、長蛇の列に並んでレジに向かう。けっこうな時間をかけてレジに到着した時、レジの人が神田さんだと気付いた。神田さんもこっちに気付いた。
「何だ、李じゃないか。さっさと声、かけろよ」
「いま気付きました。忙しそうですね」
「そう、じゃなくて、忙しいんだよ」
 ハサミを使って紙袋にパンを詰める神田さんの手並みは、神業のように早かった。やっぱり神に仕える天使だからだろうか。
「はい、お釣り。92円ね」
「ありがとうございます」
 普通はレジの人が言うものだけど、李は自分からもお礼を言う。手間賃というより、お礼を言うのに口が慣れてしまったのだ。
「テーブルで食べるならコレも持ってけ」
 端っこのテーブルに向かおうとした時、神田さんが四角いものをこちらに寄越した。慌てて受け取ると、ピンク色のパッケージ。イチゴミルクだった。
「サービス」
「え、そんなっ」
 受け取れません、と言おうとしたが、お客の流れが激しいので言えなくなってしまった。
 李はテーブルに着くと、包んでもらったジャムパンとクロワッサンを取り出す。チョココルネは売り切れで、チョコクリームがトレーに付いているだけだったので、クロワッサンを選んだのだが、実を言うと神田さんの好意はありがたかった。
 クロワッサンの時、李は飲み物がないと食べれないクチだった。ここではジュース類を売っていないから諦めていたのだけど・・・・。
 人の流れを見ながら、李は遅めの朝食をとる。さすがにこんなに大勢の前で食べるのは恥ずかしかった。それにみんながこっちを見てくる。李は出来るだけ見られないようにと、小さくなって食べた。
 ジャムパンに手を伸ばした時、頭に何かを乗せられた。吃驚して見上げると、焼きたてのパンを持った神田さんが立っていた。頭の上に乗せられたのは神田さんの手だった。
「李、もうすぐ終わるから、もうちょっと待っとけよ」
「あ、はい・・・・」
 気を遣っている神田さんに、気にしないようにと、李は笑う。
 というより、神田さんがいるので周りの視線が強くなってきた。ここまできたら、さすがに李も気付く。注目されてるのは李ではなく、神田さんと仲が良い女の子だ。
 そうすると、この店の繁盛ぶりや客層が女の子だということも納得できる。
 みんなみんな、神田さんが目当てなのだ。

(つ、疲れる・・・・っ)

 神田さんの人気は、かなり高い。それは分かる。だって彼は美形なのだ。それもただの美形じゃない。上に超が付くぐらいの美形っぷり。
 背も高く、比例して足も長い。腰の位置もぜんぜん違う。細身のブラックジーンズとハイネックのセーターを着ている神田さんはかなりスマート。髪型も短らず、長からず、清潔なイメージ。涼しげな目元は鋭いが、その色には愛敬がある。かと言って優等生っぽいわけじゃなく、まるでファッション誌から抜き出たかのような一枚の絵。
 はっきりと言うならば、恥ずかしけど、神田さんはかなり李の好みに一致していた。夢の中でも思っていたが、神田さんは、天使に関わらず、黒がよく似合う。
 周りのみんなが騒ぐの、すごくよく分かる。
 そしてそんな彼の正体を知っている李は、ちょっとした優越感もあった。

「ふぅ、やれやれ」

 やっと客入りのピークが過ぎたのか、疲れた様子を見せて神田さんは李のところにやってきた。そして向かいに座ると、そのままテーブルに突っ伏す。
「ここまでハードだったとは・・・・」
「お疲れ様です、神田さん」
 至近距離に神田さんの寝顔がある。目を瞑っていても、彼の美形は下がらない。より端正な顔立ちが映える。肌も綺麗だし、さらさらしてる。
 女として羨ましい。
「資料じゃ、客入りはそこそこだって書いてたのになぁ・・・・」
「資料?」
「何も知らずに地上に出られるわけないだろ? 事前に調査があって、その報告に基づいて俺らは動くわけよ。エンマ帳じゃないけど、天国にも似たような本が人間一人に一冊あってな、そこにはそいつの過去がこと細かく書かれてるわけよ」
「ええっ?」
 つまり、自分の今までのことが全部? 恥ずかしいこともっ!?
 それが顔に出たのだろう、だるそうに見えてもちゃんと説明してくれた。
「安心しろ。普段は誰にも見られないし、一生見られないこともある。神に選ばれた人間の担当天使だけがそいつの過去を少しだけ覗けるんだ。全部は見れない。必要なことだけ、ちょっとだけな」
「か、神田さんは、どれぐらいわたしのことを・・・・?」
「ん ――― 、ちょっと詳しいプロフィールぐらいだな。履歴書並みたく、どこの学校を卒業したとか、そんなもん。このパン屋のことも書かれてたな」
「そ、そうですか」
 李自身が見て確かめないと、安心できそうもなかった。けれど最悪な展開だけは免れたよう。ほっと安堵の息をもらした。
「にしても・・・・人間の身体ってのは不便だな。なかなかうまく動けない。下界に降りるのはいいんだが、こればっかはなぁ・・・・」
 ぶつぶつと文句を言い始める神田さん。明らかに疲労が貯まってる。文句は天国の給料の安さに始まり、果てには神さまの思い付きアクシデントにまで発展する。
 天使がそんなでいいの? と、李が心臓を悪くするぐらい神田さんの愚痴は続く。さすがに聞くのもしんどくなってきた。
 李は愚痴を切るためにも、ベーカリーに呼び出された事を神田さんに思い切って尋ねた。

「あの、神田さん。昨日言ってた、用事って何ですか?」




04.11.21


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