神様、もう少しだけ -2-


「お。気付いたか、李」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 目の前に、観多里さんがいた。
 ということは、ここはまだ、夢の中ってこと?
「びっくりするの何の。いきなり目の前で気絶するんだから。ま、そういう反応には慣れてるけどよ」
「・・・・・・・・・・?」
「まだ分からない? これ、現実の話」
 現実・・・・・・。
 わたしは、キョロキョロと辺りを見渡す。
 消毒の匂いがする。日当たりもいい。清潔そうなシーツ。
 ここはわたしが通う高校の保健室だ。
 利用したことはないけれど、どこの学校もこういう雰囲気な場所は保健室しかないと思う。
「理解したか? 理解したところで、俺の名前、言えるか?」
「観多里さん・・・・?」
 夢の中で教えてもらった名前を、たどたどしく発音する。
「そう。観多里信之介。名門出のエリート天使さま」
「・・・・・・天使」
 反芻するように、声にだして確かめる。
 目の前の人は、今朝の夢の中に出てきた天使、その人だ。
 真っ黒な格好といい、天使と名乗るところといい、長い名前といい・・・・・・。

 でも、本物だろうか?

 わたしはまだ、夢の中にいるんじゃないだろうか。
 観多里さんは夢の中と違い、確かな質感をもって存在している。
 夢の中の観多里さんは、確かに存在したけど、存在感は皆無だったと言ってもいい。
 それに、話し方が違う。もっと丁寧だったし、柔和そうだった。
 でも目の前の人は、少々乱暴な口調だし、子供っぽい元気さがある。
 まるで、姿が同じ違う人を見ているみたいで・・・・・・。
「あ。それと、ここでは俺、観多里信之介じゃなくって、神田慎だから」
「かんだ、しん?」
「一応、俺の正体は李以外の人間には秘密だから」
「え、っと、何故です?」
「ていうか、お前、俺が天使だって、信じてる?」
 信じる信じないという問題ではなく、すでに理解するのを放棄している。
「ちゃんと李には夢で教えておいたからそれだけのパニックで済んでるけど、他の人間だと、ちょっと難しいからな」
 これでも色々とあるわけよ、と観多里さんは苦笑しながら続けた。
「俺はこの学校専属のパン屋のアルバイトという立場にある。お前の今までの人生で、いちばん多く出場しているのがそのパン屋だからだ。周りの人間には暗示をかけて、俺の素性は完璧に信用されている。お前が下手なことしたって、疑われないぐらいには、な」
「はあ・・・・」
「よし、理解出来たんなら、次だ。李、好きな奴は?」
「はあぁ??」
 突拍子のない質問に、目を点にする。

「お前が願ったんじゃないか。『恋を知りたい』って」

 観多里さんは、子供みたいに笑いながら言った。
 反対にわたしは、どう反応したらいいのか、検討もつかなかった。
 だって、恋人が欲しいとかも、思ったことないわたしが、『恋』なんて・・・・。

 そこまで考えて、思い出した。
 わたしは確かに、願ったことがある。

「でも、あれは・・・・」

 思わず口に出してしまい、願ったことがある事実に、観多里さんはニヤリと笑った。
 色んな恋愛ドラマや、漫画や映画がある。憧れないと言えば嘘になる。
 でもしょせんは作り物。現実にあんなこと、一部だけだ。わたしに限ってあるわけない。
 目の前にいる『天使』という現実外の存在を忘れて、わたしは観多里さんに話し掛けた。
「理由は判りましたけど・・・・、でもどうして天使が願いを叶えに来たりするんですか?」
「よくぞ聞いた。それこそが天使の仕事」
「はあ・・・・」
 気のない返事をするわたしを無視して、観多里さんは何故か偉そうに説明する。
「神に限らず、人間っていうのは色んなものに願いをする。星だったり、お守りだったり、好きな人だったり? そういうものの存在自体を、俺らは『神』と呼んでいる。そして、そんな神に仕えるのが俺たち天使だ。神は全能だ。全能だけに、出来ることが限られる。だから、そんな神に代わって人間の願いを叶えるのは天使の仕事なんだ」
 全能なのに、やることが限られる・・・・・・?
 そんなこと、あるんだろうか。何でも出来るんだから、限界なんて無いに等しいと思うけど。

「神は何よりも平等だ」

 またも心を読んだように答える観多里さん。
 でもその答えは、適切であっても満足のいくものじゃない。
 それでも、何故か悲しそうにしている観多里さんを見て、聞くのは憚られた。
 男の人のそんな顔を見るのは初めてだった。
 だから視線を自分の手元に落とした。
「さて、お前は神に選ばれるという幸運を手に入れた。だから頑張れよ」
 陰気な空気を吹き飛ばすように、観多里さんは笑う。
「まずは、お前は神に選ばれた人間だと言うことを理解しろ。たとえ神の気まぐれであろうと、それは何億分の一という確率なんだ。わかるか? 奇跡が何億分の一だぞ。それだけで奇跡の二乗どころか奇跡中の奇跡なんだ。自信もって立て」
 観多里さんの言葉には、不思議な力が宿っていると思う。
 何が起きているのかはっきりとは理解できていないわたしだけど、その科白を聞いて、どうにかしなくっちゃ、という気分にさせられた。
 確かに、わたしはまだ『恋』を知らない。だから知りたかった。でもそれには事情があった。知ることができるのなら知りたい。その程度の事情が。

 だったら、今回のことをきっかけに知ることができる。

 奇跡中の奇跡とまで言われちゃったら、引くに引けないもの。
 憂鬱な儀式でしかない日常が、それで変わることになるのなら。
「じゃあ、恋を知れば、いいんですか?」
「そ。二週間以内にね。その期間を過ぎたらもう干渉出来ないから」
 天使は二週間しか下界に留まれないから、と。

 そうして、『神田 慎』のプロフィールをつらつらと述べてから、観多里さんは保健室から出ていった。
 どうやら仕事(パン屋)が忙しいみたい。昼時だもの。当然よね。
 そして入れ替わるように、委員長の扇くんがやってきた。そういえば、彼と一緒にいる時に倒れたのだと、思い出す。
「狛倉さん。大丈夫? 吃驚するよりもまず、アセっちゃったよ。いきなり倒れちゃうんだもん。具合悪かったんなら、無理しちゃ駄目だよ?」
 心配してくれる扇くんに、わたしは申し訳ないやら恥ずかしいやらで、ちょっと俯く。
「あっと、その。ただの貧血みたいだから、もう大丈夫。ちょっと、睡眠不足だったみたいで・・・・・・。心配かけて、ゴメンなさい」
「でも、まだ顔色が悪いね。先生には早退するって言っておいてあげるから、今日はもう帰った方がいいよ。売店の人が助けてくれたといっても、頭を打っているかもしれないし」
「売店の人?」
 もしかして、それって・・・・・・。
「購買の新しく入ったバイトの人。神田さん、だっけ? 狛倉さんの知り合いっぽい人。・・・・・・どういう関係か、聞いてもいいかな?」
 本音を言うと、聞いてほしくなかった。
 でも心配をかけたのは事実。さっき観多里さんが言ってた素性を思い出し、なるべくボロが出ないように説明する。
「かん・・・・ださんは、地方から来てる大学生で、わたしの幼なじみのお兄さんなの。昔、家が近所で・・・・。でもつい最近、大学に入るためにこっちに戻ってきたみたいで・・・・・・。実を言うと、わたしも驚いているの。まさか、こんな所で再会するなんて、思いもしなかったから」
 最後のは、本音。
 わたしもまさか、夢の中で出会った天使に、もう一度会えるなんて、思いもしなかった。確かに、もう一度会ってみたい(夢を見たい)と思っていたけど・・・・。
 押し黙ってしまったわたしに、、気遣いを見せる扇くん。
「あっと、ごめんね。辛い時に変なこと聞いてしまって。もう俺はクラスに戻るから、狛倉さんはゆっくり養生してて」
「ごめんなさい、心配かけて。お言葉に甘えさせてもらいます」
「先生にはちゃんと言ってあるから、辛くなったら素直に言うんだよ」
 お母さんみたいなお小言は、何故かわたしに安らぎを与えてくれる。
 彼の気持ちが嬉しく、自然と頬は緩み、笑顔を浮かべる。
「ありがとう、扇くん」
―――― お大事に」
 扇くんも笑い返してくれる。とても小さい笑みだったけど、扇くんは嬉しそうだった。
 扇くんが保健室からいなくなると、静寂が耳を打つ。
 目の前が真っ暗になって失神するなんて、初めて経験だった。それだけわたしに与えられた衝撃は、大きかったのだと思う。
 今もまだ、心臓がドキドキしている。頭のなかで、観多里・・・・神田さんの言葉がリフレインされる。何度も、何度も、繰り返される。

 奇跡なのだと、言っていた。

 漆黒の天使は、わたしの前に舞い降りた。





03.12.26


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