わたしは恋を知りません。
恋と呼べる、切ない気持ちになったこともありません。
神さま、お願いです。
わたしに、恋を教えてください。
神様、もう少しだけ -1-
真っ白なところだった。
まるで雲の上に漂っているような、綿菓子に乗っかっているような、そんなふわふわとした、暖かい感覚だった。
わたしが着ている服は黄緑のラインが縦に入ったストライプのパジャマ。夏用なので、半袖になっている。肌に直接触れる空気は、甘かった。
どうしてこんな所にいるんだろう。
唐突に思った。思ったとたん、これは夢だと自覚した。
自覚したとたん、嬉しくなった。
夢の中で「これは夢だ」と自覚すると、目が覚めると言われていることを思い出したからだ。
でも、わたしは目を覚ましていない。今だに雲の上にいる。
自覚したなら好きなことをやろうと思ったが、真っ白なだけで何もないこの場所で、何をしようかとわたしは悩む。
でも悩んで目を覚ますのが嫌だったから、寝転がった。
寝転がって、気付いた。
異様なそれに。
「―――――――――― 何あれ?」
天井というか上空には、人のお面が張り付けられていた。壁なんてない、際限ない場所なのに、浮いてるわけでなく、張り付いているように、固定された面。
目を瞑った端正な顔立ち。金髪が額にかかり、白い肌は絹のようにきめ細かい。まるで女性のような柔和な表情だった。
西洋系の顔立ちだった。それも見たことない、かなりの美形に位置する顔。
お面にしてはリアルすぎる。まるでそのまま剥がして張りつけたみたいに・・・・。
その考え方にゾッとして、慌てて顔を伏せる。けれど気になって、また上空を見てしまう。
いくら眺めても、飽きない。
それどころか、どれだけ眺めても足りないぐらいだった。それだけ、その表情は美形だった。
辺りは上下左右真っ白で、唯一ある色が上空の顔だった。
頭の下で手を組み、寝転がる。背中に触れる雲の布団は柔らかくて、暖かくて、気持ちが良かった。
そのまま目を瞑る。
視界が閉じた途端、それ以外の感覚が敏感になって襲ってくる。
あまりの心地よさに眠ってしまいそうになる。
「眠ったら駄目ですよ。呼び出した意味がなくなってしまいますから」
「―――― キャっ!?」
突如聞こえた男の人の声に、わたしは目をあけて飛び上がる。
「起きましたか。狛倉李さん」
目の前には、真っ暗、という表現しかねる単語しか浮かばないほど漆黒のコートを着ている二〇代前半の男の人。コートから出ているスーツも漆黒で、これまた黒い髪に黒い瞳をもった、日本人にしか見えない美形だった。
散髪したてのような短い髪から見え隠れする、その形のいい白い耳には貝殻を模したピアスがある。
「初めまして。わたくし、神の使いである、観多里信之介と言います」
「・・・・・・カンタリ、シンノスケ?」
「観る多くの里で観多里。信じると書いて信之介です。ちなみに某幼稚園児キャラとは別物です。比べないでください、あんなのと」
にっこりと害のない笑顔で言う観多里という男の人は、笑っても美形だった。
もちろん、上空の美形よりは劣る。
でも上空の美貌は規格外の美しさゆえ、むしろわたしは彼のほうに好感を持った。
別の言い方をすれば、「見惚れた」かもしれない。
「えーと」
「何ですか、狛倉李さん」
フルネームで呼ばれて、やっぱり、と思う。
「わたしの名前、何で知ってるんですか?」
すると、観多里さんは不思議そうな顔になった。
「何故って、貴女が望まれたからでしょう?」
「え・・・・と、何を?」
「神に、望まれたでしょう」
「えっ?」
観多里さんは上空の仮面に視線を上げた。そして微笑む。
「彼です。彼が『神』です。そして、わたくしがその使いである『天使』です」
「天使・・・・・・」
突拍子のないキャスティングだった。それに観多里さんの格好は、下から上まで真っ黒なのだ。
どちらかというと、天使よりも死神と言ったほうが良かった。けど夢だと思いなおし、すんなりと信じる。
「残された時間は、もうありません。いいですか。ちゃんと理解してください」
「え・・・・・・?」
観多里さんは、何かを言った。
けど、わたしには聞こえない。いきなりの無風が声を塞いでいる。
無風だと思ったのは身体に風を感じなかったからだ。視界に映る黒衣の天使が突然、波状に揺れたからだった。
「何ですか? 聞こえません!」
自分の声さえ、耳には入ってこない。
それどころか、あたり一面に色彩が生じている。
真っ白だった世界が、パレットを引っ繰り返したように、いろんな色に染め上げられていく。
目覚めが近いんだ。
唐突に、わたしは理解した。
「観多里さん!!」
どうしようもない焦燥感に、わたしは観多里さんに手を伸ばす。
なぜか、ここで離れちゃいけないと、強く思ってしまった。
手を延ばし、彼のコートをつかむ。そこで、やっと彼の言葉が耳に届く。
「・・・・・・忘れないでください。わたくしが、いつだって貴女のお側にいることを」
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変な夢を見た。
夢というのはどこかしら説明が無理なご都合主義なものだけど、今日の夢もそれに通じるけれど、説明できない無理さがあった。
けれど、気分は良かった。朝はたいてい気分が優れないものだけど、今日は違う。
今まで見たこともないような美形を拝めたのだ。不機嫌でいろというほうがおかしいし、仏頂面も保つのが難しい。
学校に行くのも、授業を受けるのも、いつも憂鬱な儀式だった。だけど今日はあの夢のおかげか、嫌いな授業もあっという間に過ぎて、もうお昼の時間だ。
お昼はたいてい購買で買ってくるか、食堂ですませる。
お弁当は体育祭とか、遠足とか、そういう行事の時しか持たない主義だ。
作れないというわけじゃなく、面倒なのだ。お弁当を作る時間があれば寝ていたい。
作ってくれる人は、いない。
とは言っても、親がいないというわけじゃなく、わたし以上に不精な人なので、期待するだけ無駄なのだった。
すでに、期待することは小学校の途中から諦めた。
「ねぇ、購買のバイトの人、変わってた! すっごいカッコイイ!!」
「うそ、マジっ!?」
「すっごい人気! アタシ、明日から購買にするっ」
クラスの女子が騒いでる。
ちょっと嫌な気分。
だって購買は倍率が高いから、毎日売れ残りはほとんどないって状態。購買に行く人が増えたら、必然的に何人かは食堂に行く羽目になる。食堂は味が薄いから、不評なのに・・・・・・。
学校に通うという日常の中で、唯一の楽しみがお昼である。
わたしは胃下垂のせいか食べても太らず、予想以上に食べて驚かれることがある。
平凡な自分が唯一注目を浴びる瞬間だったりするので、下らない感情だと判っていても、食事に執着してしまう。
うんざりとした気分で学校指定の茶色の手提げバックから赤い財布を取出し、わたしは教室を出る。
「あ、狛倉さん」
「扇くん」
廊下から教室に入ろうとしていた扇 夏生くんとぶつかりそうになるが、反射神経の良い彼が引いてくれたので大事に至らなかった。
「ご、ごめんなさい」
「いや、僕も不注意だったし。購買?」
わたしの手のなかにある財布を見て、尋ねてくる。
「今日は、購買で済まそうと思って」
「じゃあ、ちょっと待ってて。僕も購買で買いたいものがあるんだ。一緒に行こう」
そうして、わたしたちは揃って購買のある地下に向かった。
扇くんは、わたしと同じクラスで、学級委員をしている。
頭も良くって、さっきみたいに運動神経も良くって、人柄も素晴らしい人なんだ。だから男女ともにすごく人気があって、先生たちの受けもいい。生徒会に入ってないのが不思議な程。
そんな人と、わたしは仲良くできて、けっこう嬉しいかったりする。
さっきまでの気分悪さも、なくなったみたい。単純なわたし。
「狛倉さんは、何パンが好きなの?」
「わたしは・・・・、チョコ系とかアップルパイとか、甘い菓子パンが好きなの」
「へぇ。僕は定番の焼きそばパン。紅生姜が好きでさ」
「人気あるもんね。でも滅多に手に入らないから」
「そうなんだよね。今日はもう、残ってないだろうなぁ。コロッケパンは妥協したみたいで嫌だし」
「えー? コロッケも人気あるよ?」
そんな他愛無い会話が、いちばん大切だと思う。何より、相手は扇くんだから。
地下への階段を降り、わたしたちは食堂に辿り着く。
「うわ、今日はまた、いっぱいだな」
「残ってるかな・・・・」
「アンパンの一つでもあれば、恩の字だな」
わたしたちはさっそく、購買に群がっている集団に突っ込んだ。
そのとたん、
「―――― すももっ!」
そう名前を呼ばれて、声の進行方向だろう先に視線をやる。
男の声。異性に自分の名前を呼び捨てにされる習慣はなかったので、吃驚してキョロキョロと見渡す。
「李っ! やっぱり来たな。どれにする?」
購買カウンターの向こうにいる男の人が、わたしを見ていた。そして話しかけていた。
「・・・・・・・・・・」
「李。早く決めろよ。もうめぼしいもんは、売れ切れてるぞ」
知り合い? と扇くんが横で言っているが、目の前の人の声しか聞こえなかった。
(なんで?)
そこにいたのは、カッコイイ美形。見惚れてしまった美形。
夢のなかと同じように黒い格好をしているけど、カジュアルな黒シャツ、その上からさらに黒いエプロンを羽織っている。
「・・・・・・李?」
これは夢だ。まだ夢を見ていたんだ。
いつもより混雑している地下のせいだろうか。酸素ができない。
「李っ!? おい、李っ!!」
わたしの名前を呼ぶその声だけが、クリアに残ったまま。
―――― 暗転。
+まえがき+
08.05.11改訂。
ヒロイン李にある設定文を一行、付け加えました。それに合わせるように他の部分を変えたり、増やしたり、しました。内容的にはあまり変わりませんが、ヒロインを動かしやすくなりました。
03.10.19
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