『告白の定義』



 弥瑛学園西校高等部の本館である屋上に、三人の男女の姿がある。
 本館は西、東、北、の別館の中心に存在し、職員室や特別教室がある特別棟であった。その屋上は地学の授業か、天文部の活動でしか使わず、なかなか不便な造りになっていた。
 さらに、その屋上に行くためには梯子を上らなくてはならず、女子には不評であった。
 それでも、この屋上には男子二人と女子一人が居た。
 男子の一人は入り口に背を向けて立っており、女子はその男子の向かいに立っていた。
 そして残りの男子は、二人から隠れるように、入り口の建物の上に寝転がっていた。
 三人とも同じ系統の制服を着ている。
 男子も女子もタートルネックカラーの白の長袖に、紺のブレザーとズボンを穿いている。女子もスカートではなく、同じズボンを穿いていた。
 向かい合っていた男が口を開く。
「砂原さん、来てくれてありがとう」
「いいえ。えぇっと、北校の寿くん、だったよね? 何か用かな?」
 北校は、スポーツ校だ。
 寿くんは相手が自分のことを知っていてくれて嬉しかったのか、頬を赤くする。
 砂原さんと呼ばれた彼女は、この状況をわかった上で、相手に主導権を渡す。
「いきなりの呼び出しで、すごく戸惑ったと思うけど、少しだけ、聞いて欲しいんだ」
「うん」
――― 砂原さん、ずっと見ていました。好きです。俺と付き合ってくださいっ」
 体育会系独特の頭の下げ方で、寿くんは彼女に告白した。
 どういう理由で呼び出されたのかすでに分かっていた彼女は、慌てずにいつもの常套句を口にする。

「冗談なら付き合うよ。でも、本気なら君とは付き合えない」

 君はどっちがいい? と聞かれ、寿くんは呆然となる。
 何を言われたのか理解していない表情だった。
 彼女は、こういうことに慣れているのか、静かに寿くんの反応を待っていた。その間に、寿くんの容姿を観察する。
 剣道部に所属しており、北校二年生にしながら選手として選ばれているという彼のスタイルは、とても良いものだった。
 身体全体に理想的な薄い筋肉が覆っており、余分な脂肪は見当たらない。
 背は165センチの彼女よりも10センチは高い175センチ。男子としては低いほうだが、身体が細いので低くは見えない。顔の骨格はしっかりとしており、体育祭になったら、さぞモテるだろうというぐらいにはカッコイイ。
 寿くんのことを少なからず思っている女子は結構居るだろう。
 彼女は、少し優越感に浸りながらも、かなり憂鬱だった。
 何故なら、寿くんの反応は見慣れたものなので、この次の反応も予想済みのものだったからである。
 彼女は、入り口で隠れているもう一人の気配を覗う。
 彼の存在を知っているのは、呼び出した張本人である彼女だけだった。
 彼女にとって、彼の存在もまた、憂鬱の元だった。
 彼は彼女より1学年下の男子生徒で、三木乃真琴という。知る人ぞ知る、一年生にして弥栄高校の生徒会会長の座に治まった人物である。
 彼女は、寿くんに気付かれないよう、小さく溜息を吐く。これは演習であると、自分に言い聞かせる。
 そして、は寿くんの返事を待つ。
 そして寿くんは、彼女を見た。
「・・・・・砂原さん、冗談だよな?」
「わたしは何時だって本気だけど」

「どこがっ?」

「本気なら付き合わないって言っているじゃない。分からなかった?」
「冗談なら付き合うって・・・・・っ!」
「つまり、そう言うことなのだけど。ねぇ、どっちにするの?」
 彼女は、寿くんを挑発するように小さく呟いた。
 寿くんは、信じられないとばかりに目を大きく開く。
 相手の本気に対して、そういう冗談を言うような人だとは思わなかったのだ。
 耐えられなく、侮蔑の言葉を目の前の彼女にぶつけた。
 それを聞いた途端、彼女は、まるで女神のように艶やかに笑った。唇の端を軽く上げただけのその微笑に、寿くんは金縛りにあう。
 得体の知れないものに取り憑かれた様に、寿くんは立ち尽くした。
「・・・・・それは、お断りの返事として受け取っても良いのね?」
 何故か嬉しそうに、そう告げた。
 訳が分からず、寿くんはその場から動けなくなる。
 寿くんにとって、始めて会った時から彼女は、手の届かない憧れの存在だった。
 彼女は西校生徒会副会長を務めており、会長代理としていろいろなところで活躍している人だ。
 頭が良いだけではなく、演劇部のヒロインとしての活躍や、その類まれない容姿と、子供っぽい性格の危うさというものが、人気を呼んでいた。
 もちろん、反射神経も良く、剣道部の交流試合などに駆り出されることも多々あった。
 その試合で、寿くんは彼女が自分にとって雲の上の人ではなく、自分と同じ人間だったのかと自覚する。
 それに気付いてからは駄目だった。
 何時も何故か、彼女を探している。練習に身が入らないほど考えている。
 そういう状況がどう呼ぶものなのかは、早い段階で分かっていた。
 だから寿くんはここにいるのだ。なのに、彼女は寿くんが考えているような人ではなかった。
 寿くんは彼女に失望した。
 何故自分はここにいるのかと、寿くんは自分を恨み、原因を恨んだ。
 この場合、原因は砂原唯香さんだった。
 寿くんは、彼女を強く睨んだ。
「何であんたみたいな人が生徒の代表なんかをやってるんだっ」
「教師があたしを選んだから」
 何を当たり前の事を、と言うみたいに寿くんを見る。
「この学校の生徒会役員構成が、どうやって決められたか、知ってはいるでしょう?」
「・・・・・・・・・・っ」
 寿くんは、言い返せなかった。
 否、反論はあったものの、目の前の人に対して何も言えなかった。
 この学校は、小、中、高校と、生徒会役員になるための条件というものがあった。

 一つに、三学年合わせて特に優秀だった者。
 一つに、体力・能力に優れている者。
 一つに、時の運を持ち合わせている者。

 この三つの条件に合った者だけが、生徒会役員になれる。
 詳しく言うと、この条件だけでは生徒会役員には選ばれないのだが、この場はこれで充分だろう。
「ま、性格までは条件の内には入ってないからね。寿くんの言うことも当たっているかな。それで、君はどうしたいのかな? 結局、あたしと付き合うのか、付き合わないのか」
 憧れの人の言葉に、寿くんは顔全体を歪ませた。
「いい加減にしてくれよ。そんなこと言われて、付き合うとでも思ってんのかよ。俺は、そんなに落ちた人間じゃないっ」
「そう・・・・・」
 砂原は、にっこりと笑った。
 寿くんはそんな彼女から身体ごと視線を逸らし、入り口であるドアに向かって歩き出した。
 彼女は、それを黙って見ている。
 隠れていた三木乃くんは、身体全体を小さくして、寿くんから姿を隠す。
 寿くんはドアのノブを回し、出て行こうとするが、その場で降り返り、彼女に一言を小さく、しかしはっきりと告げた。
「最低だな」
「・・・・・・・・・・光栄だね」
 寿くんはドアの向こうに消えた。
 砂原さんは、途端にその場にしゃがみこんだ。


「真琴、出ておいで」
 三木乃・・・・真琴・・・・は、素直に砂原・・・・唯香・・・・の前に降り立つ。
 そして不可解そうに、呟いた。
「本当に、あんなことを言っていたのか?」
 以前唯香と交わした会話を覚えていた真琴は、唯香に確認の意味で尋ねた。
「本気と冗談のやつ?」
 真琴は肯定し、唯香と同じように、その場に座り込んだ。
「制服汚れるよ」
「構わん。制服とはそういう物だ」
 先輩である唯香に対して敬語を使わない真琴は、教師に対しても敬語は使わなかった。
 生徒会長という立場でありながらも教師の信用のない彼の事が、唯香は好きだった。
 もちろん、恋愛感情ではない。
 ただ、人間としてとても尊敬していた。
「真琴。君が教えてって言ったんだ。だから呼んだんだよ。どうだった、告白現場は?」
「案外と、つまらないものだな」
「後で寿くんに謝っておきなよ。ああいう事、人に見られるのって恥だよ」
「言わない方が良いんじゃないのか?」
 見られていたと自覚すればもっと恥だ。
 真琴は、その場に寝転んだ。腕を頭の下にやり、目を閉じる。
「眩しい」
「昼間だからね」
 唯香はもう制服のことなど何も言わず、彼のために影になってやる。
 色素の薄い真琴は、肌が焼けない代わりに、肌が真っ赤に火傷する。その痛みが分かるから、影になる。
「何で外に出てきたの。生徒会室で寝れば良いでしょ。ソファがあるんだから」
「あそこは外の音が聞こえない」
「ふぅん?」
 唯香は、優しい笑顔で頷いた。
 昼を食べた後なので、とても眠い。昨夜徹夜したらしい真琴は、もっと眠いだろう。
 一体、どうして告白が見たいといきなり言い出したのか。
 唯香は、笑顔のままで溜息をつく。
 自分の影の下で眠る真琴は、何の悩みもなさそうに見える。

「そんなことはない」

 いきなり、真琴の口が開いた。
 人の頭を覗かないで欲しいと、唯香は呟いた。
「まだ起きていたの」
「まだ謎は解決していない。何故、人は告白するのか。人を愛するのか。断るのか。受けるのか。一緒になるのか・・・・・」
 瞼を閉じたまま、彼は続けた。
「人の気持ちは、絶対に分かりはしない。例えテレパシストだとしても、人の奥底なんて見えるものじゃない。彼らが見ているものは、ほんの表面的なものだけだ。勘が良いというだけだ。……どうしてだろう」
「難しい謎だね。だから真琴は悩んでいるのか。真琴も人間なのに」
「だから分からない。人は、人を好きになるなんておかしい。それなら女は女に、男は男に好きになるものだろう?」
 もはやその眼は見開き、唯香のもっと奥の方を見つめている。
 唯香は、何もいう事ができない。
「何故、裏切られると分かっていながらも、人は人を愛することを止めないのだろう」
「・・・・・独りぼっちになりたくないからじゃない? だから傍にいる人を求める」
「僕は一人でいい。人は面倒だ」
「じゃあ、何であたしといるのさ?」
「唯香が勝手に僕の隣にいるんだ。僕は知らない。何故唯香は僕の傍にいる?」
 なかなか難しい質問である。
 何故と言われても、唯香自身、分からないのだから。
 ただ、人は一人で生まれ、一人で死んでいく。その摂理は双子という例外を除いて、絶対のものである。だからこそ、一人にはならないために家族はあり、友があり、仲間がいる。
 時にそれは動物だったり、植物だったりする。
 女の子は特に顕著で、ぬいぐるみを抱いて眠る子がほとんどである。
 こういうことを言葉で説明するのは難しい。
 この感覚を、感覚として真琴に伝えることが出来たならば、どれだけ良いだろう。
 でも、いくら唯香でもそれは出来ない。
 だから、伝わることのない言葉で、紡ぐしかなかった。
「一人ぼっちが嫌だからよ。だから人を好きになって、告白するの。例え断られたとしても、その人の中に自分が残る。もう、それだけで人は独りぼっちじゃなくなる」
―――― それはエゴじゃないのか?」
「エゴだよ。人を好きになること自体がエゴなの。だって、自分のためだもん。そうでしょう? そう思うよ、あたしは」
「そうか」
 真琴は、頷く。しかし、納得したようには見えない。
 唯香は、真琴の影を止め、その隣に同じように寝転がる。
「なんだ、あんまり眩しくないじゃない」
 曇りではないものの、入道雲が太陽を遮っているので、空の蒼さだけが冴え渡っている。
 まるで、平和そのものだ。
 午後の授業はこのままサボろうかと決意させるほどに平和である。
「唯香」
「あん?」
「地球も独りだな。だから僕たちは生きているのか? 僕たちは、地球に生かされているのか?」
「・・・・・・・変なことを考える奴だね、お前さんも。でもま、それは当たっているかもね」
 今のところ、生物が生きていける星なんて、地球だけだし。それに、宇宙は広いからね。
 唯香は、そう言って嬉しそうに笑った。
 真琴も、一緒になって笑った。
 真琴は決して納得したわけでもなかったが、それでも良いかなと思うぐらいには今の状況を気に入っていた。
 そんな状況をわざわざ壊すまでもない。
 真琴は、唯香を忘れて、食後の昼寝に身を任せていった。
 忘れ去られた唯香は、真琴が寝入ったことを確かめると、不機嫌になりながらも、今現在の状況を嬉しく思った。
「真琴は恋人としてじゃないけど、仲間としてなら、安心してあたしと一緒にいられるってことだよね?」
 だからあたしの隣で寝れるんだよね、と。
 唯香は、真琴と同じく、目を瞑り、夢の中へと流れていく。
 弥瑛学園西校高等部の今日は、平和だった。


(H15.01.29)




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