焦茶色のオルゴール。
音のでない、オルゴール。
直せないことはないけれど、
直ることを拒否している、音奏でる機械。


自 鳴 琴


 眼鏡ケースと同じぐらいの大きさのそれは、自分のものではない。
 アンティーク調のそれは、一目みて、高価なもの。
 金の金具を角に張りつけ、自然の色に染め上げた見事な細工。細長い凹凸の出たパイプは、曲の長さと複雑さを、表わしている。
 中心にある鍵穴に鍵を入れても、蓋は開かないけれど。それでも分かってしまう、オルゴールの中身。
 男が持っていても、女が持っていても、違和感のない、それ。
 でも、本来の持ち主には、似合わない、それ。

 いつもの通りに、大野各務は夜の学校を歩く。目的地は、屋上。建物の中の、外。
 廊下の壁に設置されているコントローラーで屋上までの入り口をつくり、下りてきた梯子を上って、外に出た。梯子は見つからないように、元の位置に戻しておく。
 夜の空気が、濃厚になっているのが分かる。朝方辺り、雨が降るかもしれない。
 一歩、屋根のないところを、踏み出す。気配は消していない。音も、大きく響いている。
 何かに蓋をするような、パタン、という空気の抜ける音とぶつかる音がした。
「大野、帰って」
 先客が各務に向かって言った。姿は見えない。声は各務の頭上から聞こえた。女子の声。聞き慣れた声。
 貯水タンクの、さらに上に、彼女はいる。
「今は、誰にも会いたくない」
 何の感情もない、いつもの通りの声。
 それが、不自然だった。いつも彼女は、感情を無くすように努力している声を出す。
 言う通りにしていいものか、各務は迷って、立ち尽くす。
 明らかに、彼女の体調は悪そう。昼間、学校で見かけた彼女は、顔色が非常に悪かったように思える。
「先輩」
 各務は声をかけた。
 答えは返ってこない。
 各務は、彼女の言うとおりに、屋上から下りた。

++++++++++++++++++++
「先輩」
 昼休み終了間近、各務は生徒会室に立ち寄った。ノックをして、相手の返事をまたずにして、ドアを引く。
「おや、大野くん。もう、お弁当は済んだの」
 室内には、副生徒会長の砂原唯香しかいなかった。いつもの取り巻き ーーー 生徒会仲間たち ーーー は、幸いにもいない。
 軽く首肯いて、各務は中に入ると、きっちりとドアを締める。
 この部屋は防音になっているので、外からも中からも声はお互いに届かない。
「一応、関係者以外立ち入り禁止なんだけどね」
 生徒会役員との会議に使う大きな長方形の机の上に座りながら、唯香は何かのファイルを読んでいた。ここにあるファイルはすべて同じものを使っているので、中身は分からない。中身に興味はなかったので、各務は無造作に彼女に近寄った。
 見られてはいけないファイルだったのか、唯香はタイミングよくファイルを閉じた。
「なに?」
 各務は、きちんと布に巻かれた長方形のものを、取り出した。
 唯香は、中身がわかっているのか、そちらのほうを見ようともしない。
「忘れ物です」
「落とし物デショ」
「2年前のものです」
 唯香が、ため息を吐いた。そして、各務をみて、微かに笑った。
「そういえば、転校生が来たね。一年四組。君のクラス」
 各務は首肯く。事実だから。
 生徒会役員というだけでなく、彼女は、弥瑛西校に起こる色々なことを知っている。
 生徒会長と副会長にだけ持つことを許されているケイコン。正式名称(?)は携帯コンピューター。簡単に言うなら、ただの検索システムだ。全校生徒の能力の分類と、部活動、学年クラス番号、顔写真、そして、生徒には知りえない情報が色々と詰まっている。
 故に、小学校から弥瑛に通っているものは、このケイコンを恐れている。しかし、彼女はめったにケイコンを表に出さない。出さずとも、知っていることが多い。
 各務は、ただ、首肯くだけだ。
「彼の特技を、君はもう知っている?」
「はい」
 『特技』という言葉を流行らせたのは、唯香だ。なぜ、そういう言葉使いをするのかは分からない。
 彼女は、普通と違うことを嫌う。
 自覚があるのかないのか、彼女自身特殊な人間で、特に目立つ存在なのに。
「放課後、初めて顔合わせするんだけど、八条くんは来るのかな」
「いいえ」
「特別扱いって聞いたけど。なんだ、ちゃんと親離れしてるんだ」
 長テーブルの上にのった眼鏡ケース状の物。
 あくまでもそれを視界に収めず、受け取るのを長引かせている。
 彼女にとって、これがどういう物なのか、各務には分からない。
 捨てたのではない。忘れたわけでもない。ましてや、落としたものでもない。
 まるで、忘れたいために、誰かに委ねるようにして、置いてあった。
「先輩」
 各務は、あの時のように呼び掛ける。夜の学校。濃厚な空気。違和感の付きまとう、彼女の声。
 今回も、答えはない。
 つまり彼女は、あの時のままで、時を止まらせている。二年も経っているのに。
 各務は絹の布を取り払う。
 中から現われたのは、小さなオルゴール。焦茶色の、音の出ないオルゴール。
「先輩」
「わかってる。これが、ただの甘えだということは」
 初めて、唯香の視線がオルゴールに向けられた。
 その瞳に、なつかしむ色はない。それは、訓練された、無感動な瞳。

 今、あえてそれをする必要性は?

 各務には分からない。
 初めて会った時から、こうやって話すようになっても、彼女にとっての『特別』になっても、唯香の考えていることが分からない。
 表面上の感情はたやすく読ませてくれるのに、その深いところまでは潜らせない。
 そもそも、『特別』ってどういう意味だろう。
 各務は、いま、はっきりと苛立っていた。
 彼を知る者 ーーー 柊、飛水、清雅のいつもの面々 ーーー がその様子をみれば、ひどく大きく驚くほどに、今の各務は感情を押さえ切れずにいた。
 唯香の前に立つと、しばしばこうなる。
 いつだって無気力に生きていた。それが当たり前だった。
「大野くん」
 名字を呼ばれた。
 タイミングよく、こちらの気を削ぐように。
「あのね、大野くん。わたしは君が思っているほど、立派じゃない」
 目を伏せた唯香を、各務は、見た。
 言葉では弱気を吐きながら、その目はいつものとおり他人には読ませない色で、心の奥の言葉を聞かせないで、それらしく振る舞う。
「捨てても良かったのに」
 そしてまた、こちらの気を削ぐように呟く。
 唯香は、オルゴールを手にする。
 いつも手に持って眺めていたように、違和感ない、自然な動作。
 彼女の物だ。彼女の手に戻ってこれたのだ。それは当然のことである。
「・・・・・・大事に持ってくれたんだね。なんで、今になって返すの?」
 各務は首を傾げた。
 理由はない。ただ、返さなくちゃと、昨夜、唐突に思ったのだ。
「まったく大野くんは、いつもわたしの予想を裏切る行動に出る」
 苦笑。
 唇を少し、持ち上げただけの皮肉気な笑い。
「時間が過ぎただけのことはあるかな。もう、これを見ても何も起こらない」
「・・・・・・泣いてた」
 屋上で、貴女は、泣いていた。
 泣き声や嗚咽は聞こえなかったけど、そういう風に感じたのだ。
 あの時感じた空気が抜ける音。無機質な蓋が閉まる音。
 あれは、オルゴールの蓋を閉じたものだった。
「これ、鳴らないでしょう。昔は、きれいなメロディを奏でていたらしいよ」
 クラシックなんだけどさ。
 他人事のように言うと、オルゴールをテーブルの上に置いた。各務とは反対の場所に。
「ありがとう。おかげで、後悔をしなくて済んだ」
 各務が言った言葉を無視して、彼女は続ける。
「捨てられなかった。誰かにあげることも考えられなかった。もちろん、預けることも。でね、手許に置いておくのも、辛かった」
「聞いても良いですか」
「駄目」
 簡単に拒否された。
 まだ彼女は、何かにこだわっているのだ。
「言わなくっても、判るでしょ。君のことだから、たぶん」
 首肯けなかった。認めたくなかったから・・・・・・。
 彼女が屋上に登るのは、いつだって仕事を終えた時。反省や達成感、自分なりの評価を出すために、唯香は屋上に昇る。
 各務は、いつもその聞き手。仕事の内容は、聞かない。唯香も言わない。
 弥瑛が能力者ばかりを集めるのは、能力者にもチャンスを与えるため。けれどもう一つ、隠されている事実がある。
 弥瑛西校は、一学年四クラス。一クラスには約三五人。全学年で一二クラス。全校生徒は約四二〇人。その一割は、能力を使用しての『仕事』を命じられている。
 『仕事』は、ある『組織』から出される。『組織』から受けた命令を『本部』が解読し、それに見合った人名の名を弥瑛西校に送る。そして、学校側から公欠の書類を提出するよう、指名された人物は職員室に行かされる。
 そういう人たちを、各務たちは『出張組』と呼んでいた。出張組は他の西校生徒専用の寮と、同じように生活している。違うのは、部屋の造り。他の寮生よりも簡素で狭い部屋に住んでいる。その全員が、『組織』に属している。
 唯香は、その『組織』の一員だ。
 特に優秀な者は、滅多に学校にこない。他の学校に転校しているか、いつも空を飛び回っているかのどちらか。どちらにしろ、自慢できる仕事内容のものは少ない。
 各務は、いつも唯香の愚痴を聞いていた。出張組でもない各務が内情に詳しいのはそのためである。
 決まって屋上で、唯香は一人でいる。
 いつの頃からそれを続けているのかは知らないけれど、中学校に入ってすぐ、すでに各務は彼女の横にいた。彼女の横で、彼女と同じように寝そべり、星を眺めていた。
 それは、各務の好きな時間だった。
 各務自身、もう自覚はしている。
 自分は、唯香に惹かれている。唯香を自分のものにしたいと、願っている。
 自分からは行動に移さないけれど。一人前に、今の関係を壊したくないと思っている。何かを言って、彼女が自分から離れていくのは、嫌だった。

(だから、本当は、聞きたくない・・・・・・)

 仕事で転校するとき、いつも彼女はその学校での恋人を作る。その方が、いち早く学校に馴染めるし、何よりも、友人を作らなくてもすむ。
 屋上では、いつも彼女の白羽の矢に立った恋人の話を聞いていた。
 彼女が各務を拒否したのは、何の話もしなかったのは、ただ一度だけ。
 二年前の、あの時だけ。
 いつもみたいに、考えないでいたらいいのに。どうして、考えてしまったんだろう。
「執着する大野くんを見るのは、初めてかもしれない。大野くんが見た目以上に仲間思いなのは知っていたけど、その中にわたしが入っているなんて、思いもしなかった」
 本当にそう思っていることが、その表情でわかる。どうしてこういう時だけ、心の深いところまで読めてしまうのか。それは事実だと、分かってしまうのか。
 なんて、残酷な一言。
 いつだって自分は、彼女のことを見ていたのに。
 彼女は、何も知らない。
「・・・・・・大野くん、あの時わたしが言った言葉、覚えてます? 二言しか言わなかった。だから、覚えているはず」
「―――――」
 ちゃんと覚えている。

「大野、帰って」
「今は、誰にも会いたくない」

 一語一句、貴女の言葉なら、忘れられない。その時に流れていた風だって、覚えている。
「なら、わたしが言いたいことも、判るね」
 唯香は机から降りると、真っ直ぐに各務を見て言った。
「用が終わったなら、さっさと戻れ」
 はっきりとした拒否。
 すでに各務は、関係者じゃなくなっているから。
 先輩としてじゃなく、生徒会役員としての命令に、各務は従うしかなかった。

++++++++++++++++++
 授業開始直前、各務は教室に辿り着いた。自分の席に着いたとたん、授業開始の音楽がなった。
「珍しいな、リーダー。居なくなるのはいつものことだけど、今日はちょっと遅刻気味じゃん。予想外のハプニングにでも出会ったか」
 飛水が、上機嫌で尋ねてきた。席の前では、柊が同じようにしている。
 各務は首を傾げるだけで、返事をした。もう、言葉すら、発するのが面倒だ。
 みんなの前では、いつもの自分だ。冷静に、聡明に、波紋すらない湖面のように、各務の存在はそこにある。
 それが、各務のすべてだ。
 生徒会室での出来事など、すでに各務の中には存在しない。
「なんや、大野くん、元気あらへんな」
 そんなことを言ったのは、すでに聞き慣れてしまった関西弁。京都寄りのその発音は、大阪弁とは全然違う。なのに、凛のなかでは一つになっている。
「具合悪いんやったら、放課後、付きあってくれんでもええよ? 心の準備はバッチシやし。一人でも大丈夫や」
 真ん中の清雅を越えて、尋ねてくる。清雅も、心配そうに見ていた。
「一緒に行く」
 各務の意思表示。言葉にした以上、各務は約束を翻さない。
 何よりも、自分の知らない彼女を、誰かに見られるのは嫌だから。我慢できないから。
「せやったら、嬉しいけど」
 いいんかなー、と清雅に聞いている凛に、各務は一人首肯いた。
 飛水と柊が、何を思ったのか、額を突き合わせて喋っていた。

 音のでない自動巻機械。
 一目で高価なものだと判る、品の良いそれは、彼女の手のなかに戻った。
 それは、当たり前のことなのに。
 なぜか、しっくりとこない、イメージがある。

本当にあれは、彼女のもの?

 まるで、誰かからの贈り物のように。
 大切な誰かの、形見のように。
 愛おしそうに。
 硝子細工を扱うみたいに。
 壊れやすいものを注意深く、手に取るその様は。

いったい、誰に恋しているの?


++++++++++++++++++
「薄々そうじゃないかと思っていたんだが、大野の奴、生徒会長に惚れてないか?」
 飛水がそう言えば、柊は半信半疑で首を傾げる。
「カガミが、ユイカっちを特別扱いしてるの、知ってる。けど、そこまでは考えたことない。何かの、間違い?」
「いいや、絶対にそうだね。だって、大抵いつも家で鍋パーティする時は生徒会長の隣に座るだろ。おれ、今まで生徒会長の隣に座ったことないぜ」
 各務の作る鍋料理は、特上の一流品である。
 よって、週末は各務の実家で鍋パーティをするのが暗黙の了解で決まっている。その鍋パーティに、唯香はときどき顔を出しているのだ。
 ダイエットをしている人は、来ないほうがいい。頭で拒否しても、箸を持つ指と口が、勝手に動いてしまうのだ。限界まで食べてしまうから、この鍋パーティに女性が来ることは、ほとんどない。
 それなのに唯香はくる。文句を言いながら。各務は、その文句を直に聞いているのに、いつだって彼女を呼ぶ。
「そういえば、オレっちもないかも」
「な、な、な、そうだろ? おい、八条!」
 飛水は清雅を呼ぶ。凛の相手をしていた清雅は、呼ばれて前を向く。
 すでに授業は始まっているが、この四人はいつだってマイペースだ。
 教壇の前で教師が唸っているが、そんな声は一切、聞こえていない。唯一凛が気付いていたが、ノートを写すのに必死で、注意するどころではない。
「鍋パーティの時、生徒会長の隣に座ったことってあるか?」
 あくまでの各務に聞かれないために、小声で話す。
 小声に何かを感じたのか、清雅は口を開かずに、黙って頭を振った。
 それを見て、やっぱりな、と飛水は笑う。
「それだけじゃ、あてにならない」
 どうやら、柊は飛水の説を受けとめられないらしい。
「ユイカっちはお客さんなんだから、カガミの隣なのもおかしくない」
「そういう考え方もある。須磨が信じられないって言うんなら、それで良いぜ。おれは、大野各務の生徒会長片思い説を信じる」
 二人の言い分を途中からしっかりと聞いていた清雅は、くだらなそうに息を吐いた。それを凛が見咎める。
「どしたん、清雅。ため息なんて吐いて。幸せ、逃げちゃうで。はよ、吸い込み」
「凛、そういう意味じゃない」
 肩の力が抜ける凛のことばに、清雅は脱力する。
 そんなもう片方の会話を聞いていた、もう一方の二人も、脱力する。
「若生のあれってさ、天然だよな」
「関西人って、なんでボケとツッコミをしなきゃ、気が済まない?」
「若生がボケで、八条がツッコミ? それ、笑えねー」
 ボケとツッコミをしている二人を頭の中で想像してしまったのか、飛水は頬を痙攣させながら呟いた。
「シュールだ」
「ヒスイはツッコミタイプだから」
「じゃ、おまえボケな」
 早々と立直った飛水は、柊を指差した。
「行儀悪い。ヒスイはセイガを見習うべき」
 指差された柊は、飛水の手を振り払って言う。
「ブルジョワと一緒にすない」
 飛水は言葉で言っている割りには機嫌良く、笑った。柊も、授業を壊さない程度に笑う。
 全てを聞いていた各務は、窓の外を見て、無関係を貫き通す。
 結局、このメンバーから離れることは出来ないんだけれど。とりあえず今は、必要とされていないようだから。
 呼び掛けられるまでは、一人でいようか。


〜了〜
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 イケメン5の話はここで終わりです。続くかどうかは、言波の気分次第。
長々と他愛無い小説を読んでくれて、有難うございました。


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