仮 想 夢  前編


 辛い体育の時間がおわり、その日、三ノ宮飛水は眠りにつく。
 程好い空調に、教師の聞き取りにくい子守歌、そして、ある種の期待を持ちながら。

 眠りは、いつも気付かないうちにやってくる。
 何時の間にか寝ていて、何時の間にか朝がきている。子供の頃はそれが不思議で、すぐにきている朝が疎ましかった。記憶にない時間が、もったいなかった。
 でも今は、高校生になった今は、違う。
 訂正。
 彼女に出会ったその瞬間から、眠りの時間が自分の現実。
 夢のなかでしか会えない、自分だけの恋人。綺麗で可憐な恋人。
 なぜ、夢のなかでしか会えないのだろう。
 なぜ、夢はいつも中途半端に覚めてしまうのだろう。
 子供の頃と同じ苛立ちは、大人になってから、さらに厄介なものになっていた。

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「あれ、三ノ宮くん、寝てるで?」
「そのままにしとく。寝ているときのヒスイは、狂暴」
 若生凛の言葉に、須磨柊は何でもないように言った。
 現実的に、授業中のはずだが、注意する者はいない。弥瑛は自立をモットーとした学園なので、自分で責任を取らなくてはならないのだ。
 真面目な凛は、どうやら飛水が気になる様子。
「リン。大丈夫」
 柊の自信満々な様子に、凛は渋々黒板に向く。
 古文の慣用句や、和訳がずらりと書かれているのを見て、慌てて凛はノートを写りだす。
 凛の隣の席であり、飛水の後の席である八条清雅は、肩を竦めて飛水の背中を見た。

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 照りつく太陽。大きな入道雲。突き抜けるような空。肌はじりじりと焼け、熱をもつ。
 白い砂浜には、飛水一人分の足跡が、点々と追い掛けてくる。
 視線を横にすれば、大きな水溜まり。
 それは海という、名前をもつもの。寄せては引き、寄せては引く。塩水が通ったあとは黒くなり、塩水が染みこんだと思ったら、また水が寄せ、その部分だけは乾かない。
 生きものの気配はなかった。蟹も、貝も、ヤドカリも、フナムシだっていない。
 そう、人間も。
 飛水以外の人間の気配は、まったくない。
 右は丸い水平線。左は丸い地平線。上は永遠の青。
 気付けばそこにいた。

(影はないのか、影は)

 とても熱い。
 それは当然だ。現実ではすでに夏の気配を帯びているのだから。

(これは夢だ)

 飛水は自覚していた。夢の中で「これは夢だ」と自覚すれば、人間は目を覚ます。昔、そんな言葉が流行った。
 嘘っぱちだ、と思った。現に、飛水は自覚し、しかし夢は覚めない。
 この状況を、飛水は何度も経験していた。経験から、期待が膨らむ。
 この世界は、飛水以外の人間はいない。
 この世界が認めた人間以外は。

「    」

 飛水は、名前を呼ぶ。
 何度も呟き、何度も呼び、慣れ親しんだ恋人の名を。
 蜃気楼。
 空気が揺らぐ。
 冷たい風が、飛水の髪をもてあそぶ。
 砂浜の細かい砂が、散り行く。海が、そよ風に押される。
「・・・・・・飛水」
 目の前に、飛水と同じ制服を来た女の子が立っていた。
 アイボリー色のとっくり型ネックのサマーセーターの胸元には、弥瑛の校章が付けられている。スカートは、規定の長さのもの。夏らしい、上と同じ色。
 弥瑛の制服には特徴がある。
 制服に見えないこと。それが特徴。
「カリ。やっと会えた」
「名前を呼んでくれたら、直ぐに来たのに」
 甘い声。滅多に聴けない、夢のなかでしか聴けない声。
 飛水は、彼女に近付く。
「カリも、昼寝?」
「うたた寝。飛水と違って、ワタシは想像主だから」
 そう、彼女が宣言したとたん、それ迄の痛いまでの暑さが掻き消えた。
 景色はそのままだ。波の音も変わらない。
 温度だけが、変化する。快適温度へ、涼しいぐらいに。
 仮想現実の世界。
 それは彼女の能力。
 夢を媒介に、現実世界と寸分違わぬ異世界を作り出し、自由に操る。
 操られる自分。
 昔の自分なら、無茶苦茶に反抗しているだろう。型に嵌められるのは嫌いだから。
 でも出来ない。
 彼女に惚れているから。目の前の綺麗な彼女に、イかれてしまっているから。
「カリ、いつになったら、現実の君に会える?」
 凛がそこにいたら、卒倒するぐらい、飛水は現実と違った。
 現実の三ノ宮飛水は、茶髪にピアス、制服をだらしなく着た今時の男子高校生。実家が裕福だから、高価なシルバーアクセなんかも無造作に、ジャラジャラと身につけている。
 ナンパこそはしないが、それなりにモテるし、経験だってある。
 そんな彼が、純情な子供みたいにふるまっている。
 カリは、そんなとき、いつも困ったように笑う。
「いつか、ね」
 ソバージュの長い髪が、ふわりと揺れた。

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 そこで飛水は目が覚めた。
 目覚めてしまったんだなと、飛水は諦めたようにため息を吐く。
 机に覆いかぶさるように寝ていたから、腰が軋んだ。
 あと10分ほどで授業がおわる。40分近く寝ていたらしい。
 夢のなかでは、10分程度のことだったのに。
 飛水は、ムクリと上体を起き上がらせると、椅子に座ったまま左右に背伸びをする。
「三ノ宮、邪魔だ」
 斜め後ろの席の清雅が、迷惑そうに呟いた。
 飛水は、後ろを見ずに手を軽く振るだけで謝った。
 何時ものことだ。
 何時も、彼女がいる夢から覚めると、この現実世界が、夢のように思えてくる。
 現実的な清雅の言葉は、飛水の夢をいつも打ち砕く。
 机に肘を突き、顎を乗せて窓の外から空を見る。
 入道雲は、そこにはない。
 突き抜けるような空は、そこにない。
 潮の匂いも、当然ながら、ない。
「みじめー」
 そっと呟く。
 いちばん後ろで窓側の特等席に座った大野各務が、飛水の独り言につられて、外を見た。
 何かを確かめるように見たあと、飛水のほうを見る。
「空は、どこにいても同じもの」
 飛水と同じぐらい小さな言葉。
 聞こえたのは、言った本人と飛水、そして、異常に聴覚が発達している柊だけ。
 柊は我関せずを貫いているので、振り向きもしなければ、微動だにしない。
 授業終了の音楽がなった。
 そこそこでざわめきが生じる。席を立ち上がる者。次の授業の用意をする者。未だノートを写している者。隣や後ろの奴とお喋りをする者。早弁をしちゃってる運動部の奴ら。
 弁当は、昼休みに食ってこそ、だろうがよ。
 飛水は、毎日と同じように、心の中でつっこんだ。
「良いこと言うね、リーダーは。詩人になれるよ」
 なんでおれの考えていることが判ったのかなんて、聞かない。
「何のことなん? 三ノ宮くん、ずっと寝てたやんか」
 凛が、不機嫌そうに話し掛けてきた。
 そういえば、こいつはまだ知らなかったんだっけ。自分らの能力のこと。
「おれのこと、飛水でいいぜ。長ったらしいだろ、三ノ宮なんてさ」
「ええのん? ほな、そう呼ばしてもらうな」
 不機嫌だった顔が、一瞬にして嬉しそうな顔になる。
 すごくいい顔。こっちまで釣られてしまう。
 清雅が、凛に執着する気持ちも、わからなくはないかなと、思う。
「なあ、若生。お前の特技って何?」
「たいした特技、持ってへんけどなあ」
「そうじゃないって。この学校に入るための推薦理由さ。ここでは、特殊異端能力って言わずに、『特技』って言うんだぜ。覚えとけよ」
「わかった」
 首肯きはしたが、凛は答えようとしない。
 自分たちが通う弥瑛西校は、普通に生活しているかぎり必要としない、普通じゃない能力を持った子供たちを受け入れている、(たぶん)唯一の学校である。
 つまり、弥瑛西校に通っている者に、『普通』は存在しない。
 半分近くの者が、幼少時代に痛い傷を受けた。凛も、その一人だろうか。
「・・・・・・説明できる、能力とちゃうねん。時期きたら、話すよって」
「頼むから、何も話さないで消えるというのはなし」
 柊が念を押す。
 凛は、ちょっとだけ笑って首肯いた。
「そういや、八条は知ってんの? 幼なじみだろ」
「いや、あの頃に、そんな能力はなかったと思う」
 確かめるように、凛を見る清雅。
 凛は笑って首肯く。
「清雅もやんな。俺、清雅が不思議な・・・じゃなくって特技をもってるなんて知らん かったもん。ほんま、世間って狭いわぁ」
「この学校で昔の友人や知り合いに会うなんてのは、ないからな。選ばれた人間だけだし。外でこの学校の生徒に会うのはけっこうあるけど」
 飛水は各務を見る。
 このグループのリーダー的存在の彼は、休日に遊びにいく習慣はないが、行くと決まって、変な所にいる。以前、恋人未満の娘に連れられてパッチワークの展示会を観にいった時、彼の姿を見付けたときは我が目を疑った。
 ボーとして、何も考えていないように見えるくせして、色々なことを考えている。
 さっきの授業中のことにしても、的確なアドバイスをくれたりする。
 こんないい天気の日に、教室に閉じこもって燻ってる場合じゃないと、飛水は思う。
 けど、身体が動いてくれない。
 意識はクリアで、はっきりとしていて、次の行動を報せてくれるのに、身体の方が神経から命令がきていないみたいに動かない。
 夢のなかの少女は、この学校の生徒だ。
 じゃなければ、弥瑛西校女子の制服を着て現れないし、そもそも、他人の夢に介入できるほどの能力者が、弥瑛西校以外の存在でありえるわけがない。
 そんな理屈をつらつらと述べても、会いにいく理由がない。
 会うのが恐い、とは少し違う。
 現実の彼女は、夢のなかの彼女じゃない。現実世界の彼女を仮想世界の彼女ほどに好きでいられるか、という不安が飛水を襲う。
 経験豊富が聞いて呆れるぐらい、今の飛水は情けない。
「三ノ宮、これ」
 清雅が、一冊の本を取り出した。
 皮張りのそれは、見るからに古い。そして高価そう。その証拠に、背表紙の下に、「帯出禁止」と書れてあるシールが貼られてある。
 図書館の本だ。
「どうしたんだ、これ。持ち出し禁止だろ」
「川口さんが、一時間だけという期限の元、貸してくれた」
 清雅が図書館の本を飛水に手渡す。
 思わず受け取ったものの、飛水は清雅を見て、戸惑う。
「この時間で期限が切れる」
 あとは知らんぷりだ。飛水に返してほしいらしい。
 いつものことだ。いつも、飛水は一日に一回、図書館に足を向ける。
 それを知っている奴は、こいつらだけ。らしくないとは、笑わない奴らだけ。
「じゃ、次の時間はサボるかな」
「飛水くん!?」
「野暮なことは言いっこなしだぜ。八条だって、さっきの授業はこれを読んでの内職だったらしいからな。怒るならそれを怒れよ。じゃな」
 さっきまでの怠惰な動きはいったいなんだったのだろうか。
 そう疑問に持つほど、今の飛水は水を得た魚状態。
 一直線に、別棟の特別棟にある図書館にむかった。



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