独 壇 場  前編


 転校生を迎えての、実質初めて授業。それが体育であった。
 須磨柊は、学校の授業のなかでは、体育が一番好きだと言っても良かった。子供っぽいだとか、馬鹿だとか言われるけど、そんなのは全然気にならないほど好きだった。
 なぜなら、体育の時間、柊は英雄になれるから。
「この学校、マット運動とかあるん? 変な学校やなぁ」
 それも、女子と合同である。
 転校生であり、柊の仲間となった関西弁を操る若生凛が、戸惑ったように言った。心なしか頬を赤くして、女子のほうを見ないようにしている。
「若生くんは、純情みたいだねぇ」
 柊の肩に腕をおき、中等部からの友人である三ノ宮飛水がニヤニヤと柊の意見を待ち望んでいる。仲間の中じゃ一番背の低い柊は、肩に腕を置くというその行為に対して、すでに文句を言う時期を過ぎていた。
 結局、言ってもその癖は直らなかったし、自分自身、もうどうでも良いような気分になっている。
「ヒスイのはセクハラ」
「須磨、どの口がそういうこと言うよ?」
「この口。それより、賭けはいつ払ってくれる? すでにお腹すいてきてる」
 飛水の眉が吊り上がり、さっと肩にあった腕が引かれる。
「お前が大食いだってこと、忘れてた・・・・・・」
 転校生の性別を対象に、二人は昼食代とおやつを賭けていた。柊は男に。飛水は女に。
 転向してきた若生は男だ。ゆえに、賭けには柊が勝ったことになる。
「なんや、須磨くんは大食いか?」
「こんなでっかい弁当の他に、パンとかおにぎりとか買いこんでんだぜ、こいつ」
 飛水が手で、B5ぐらいの大きさで弁当箱の大きさを主張した。
 大概は、「うげー」という反応を皆なする。が、凛は違った。
「そうなんっ? ほな、俺の弁当も食べへん?」
 妙に嬉しそうにしている凛。
「リンは、弁当嫌いなのか?」
「ちゃうちゃう。食べきれへんほど、あんねん。残すのもあれやしね」
「だからそんなにヒョロヒョロなんじゃないの?」
 飛水が茶茶を入れる。
「ちゃうっ。ちょっと背ぇ高いだけやっ!」
 むきになる凛。どうやら、気にしているようだ。
「そこ、静かにしろっ!!」
 甲高い笛の音とともに、体育教師の怒鳴り声が飛んできた。
 広い体育館にも充分響くその声に、怒られた三人は首を竦める。
「罰として、校庭五周。行ってこい!」
「えっ」
「「はいっ!」」
 まじで? と言い返そうとしていた凛を飛水と二人でひっぱり、柊たちは校庭に躍り出た。そのまま外靴にはきえて言い付けどおり走る。
 五月からすでに暑かったせいか、七月だというのにすでに真夏日だった。
 ギラギラと太陽は自己主張し、否が応でも汗はたれ流れる。
「厳しいとこやなぁ。罰で走らせるなんて、漫画の世界だけやと思っとったわ」
「ここは弥瑛だからな。そもそも、おれたちだって漫画みたいな世界の住人だ」
「弥瑛っていう避難所がなかったら、オレっちたちは生きていけなかったな」
 片言っぽく語尾を切って断言するような口調の柊にしては、珍しい弱音だった。
 不思議な力を使う、普通とはちょっとかけ離れた人ばかりを集めた学校。それは弥瑛の西校のみだが、弥瑛というだけで通じる。
 凛はこの学校に転入する時のことを思い出して、首肯いた。
「居心地、ええもんな」
「おれなんてさ、最初はここの風習にあわなくて、何度も遅刻早退を繰り返してたぜ。だって、妙に熱血してるもんな。教師も、生徒も」
「オレっちは小等部から通ってるから分からない」
 柊の言葉に、凛は顔を上げる。
「小学校もあるん?」
「小、中、高の一貫。知らなかったのか?」
「大学はないん?」
 微妙に柊の言葉を躱して、尋ねる。
「大学は、必要ない」
 飛水が答える。飛水は暑さのためか、二人から少々遅れて走ってきている。
「普通、大学もあるんとちゃう? 付属とか」
「大学生は、もう未成年と違うからな。自分のことは自分で責任負える年だし、外の世界に出ても巧くやれるだろ」
 言葉切れ切れに飛水は呟く。まだ二周目だというのに、かなり貧弱である。
「須磨、早すぎ。ペース、落とせよ」
「オレっちにはこれぐらいがいい。ヒスイはヒスイのペースで走るべき」
 柊は、凛にも同じことを言った。
 凛はその言葉を待っていたかのように、「そうさせてもらう」と言うと、飛水とともにペースを落とし、ゆっくりと走る。
 柊はさらにスピードを上げて、トラックを走る。
 風が、とても気持ちがいい。
 柊は、走ることが大好きだった。昔から好きで、暇さえあれば走っていた。流れる景色や、心地よい高揚感。心臓も同じように大きく運動している。柊の頭の中に、すでに後を走る二人の姿はない。
 結局、飛水と凛が5周走り終えた頃には、柊は8周廻っていた。
「須磨くん、走るの早いなぁ」
「須磨は陸上部からもスカウトがきてるからな」
「ただ、走るのが好きなだけ」
 でも、ほんますごいわー。そういう凛の感想に、柊も気を良くする。誰だって、誉められれば嬉しくなる。そしてそれが、本音だったらもっと。

(オレっち、リンのこと好きになるな)

 いや、すでにもう好きになっている。リンには、影がない。素直な性格と言おうか、人を引き付ける何かがある。そしてそれは、リンの魅力である。

(セイガも、これにやられたな)

 凛の幼なじみである八条清雅。近寄りがたい雰囲気を醸し出している清雅は、その美しい容姿と相俟って、気難しい性格から全校中の人気者である。
 そのせいか凛が清雅の特別だということは、すでにクラス中ではなく、学年中が知っている。全校中に知れ渡るのも、時間の問題である。
 ある意味、凛も問題児となってしまった。
 体育館シューズに履きかえて、柊は飛水に耳打ちする。
「リン、敵が増える」
「仕方ない。八条の特別だしな」
「何とかならない?」
「リーダーが動いてくれると、楽だけどな」
 飛水の言葉に、柊はやる気のなさそうな雰囲気を垂れ流しにしている大野各務の姿を思い浮かべた。各務には、期待できない。
 何時になく考え込んでいると、体育館でマット運動をしているはずの清雅が、こちらに近寄ってきた。体育教師は見て見ぬふりをしている。しかしこちらには注目していた。
 清雅の特別だという凛の行動を、見るためだ。
 お祭り好きらしい学校にふさわしい教師ばかりで、楽しいかぎりである。
「タオルだ」
「あ、清雅。ありがとう!」
 見ているこちらが恥ずかしくなるぐらいの、満面の笑顔。
 柊は自分の荷物からタオルを取り出し、汗を拭った。汗で髪がしっとりと額に張りついていて、気持ち悪い。
 柊のもっている特殊能力のせいなのか、水関係にはとことん弱かった。
「マット運動って、何するん?」
「見ての通りだ」
 清雅の言いたいことは、柊にも飛水にもわかった。
 中学生でもあるまいし、なぜこんなことを、と思いたくなるような授業内容。まだ、平均台の方がかなりましである。
「前転と後転と、それだけっ?」
「今日は転校生のお披露目もかねてるから、単位にはならねぇけどな」
「そうなんっ?」
「そう。だから教室で点呼をしてから、体育館に移った」
 柊の説明に、分かっているのか凛は首肯くばかり。
「だから真剣にやってる人、少ないねんな。やったら、なんで俺ら走らされたん?」
 疑問はもっともである。
 けれど、お祭り好きの学校だから、という説明は真実だとしてもしにくかった。
「まあ、須磨くんのことが分かったからええけど」
 その瞬間、柊は言葉を無くす。
 そして、次の瞬間には顔全体を赤くして、凛のことを殴っていた。
「そういう恥ずかしいことを、臆面もなく言うなっ!」
「須磨くんったら! 照れちゃって可愛いのー」
 飛水がからかう。
「ヒスイのどばかっ!」
「痛いよ、須磨くん。ひどいなぁ」
 口調とは裏腹に、凛の表情は明るい。柊が本気で怒っていないことを知っているからだ。
 柊は、嬉しかった。
 この学校は、特殊な人間ばかりが集まっているから、差別や偏見は世間から見れば少ないほうだ。少ないというだけで、完全にないわけではない。
 柊の能力は、生まれに関係している。血が関係している(特に父親)。
 そして、その血は柊の姿を人間とは少し違うものへと変化させている。
 少々尖った耳。変な色の地毛。中学生と思われても仕方のない背の低さと骨の細さ。そして黄金に光る虹彩。光の強弱で伸縮するその瞳は、獣そのもの。
 凛は、同情など一切もたずに須磨柊と言う人間に近付いてきたのだ。

(清雅が特別視するの、何となくわかる)

 若生凛という存在は、貴重だ。
 人間の姿形に惑わされないで、何の躊躇いもなく、すんなりと堅い殻の中に入ってくる。
 警戒心の強い獣そのままの神経が剥出している柊が、簡単に許してしまうほど。
「リン、ありがとう」
「え?」
 しかも、自分でそれに気付いていないとくる。
 柊はニマリ、と笑うと、はるか遠くにある凛の肩に飛び付いた。
「わっ!? 須磨くんっ??」
「名字なんて、水臭い。名前でいい」
 認めてやる、若生凛。
「名前て・・・・・・」
「清雅には呼び捨て。オレっちも、名前」
「ひいらぎ・・・・・・?」
「そっ。だってオレっちたち、友達だから」
 すごく嬉しかったから、お前を五人目の友達にしてやる。
 友達を作らないって決めてた俺の友達になれるんだ。だから、名前で呼ばせてやる。
「ありがとう、柊くん」
「どうでもいいけど、お前、背、高すぎ」
 腕に力はいりすぎで、ちょっと辛かったりして。羨ましい奴。
「今は関係ないやんっ」
「身長いくつ?」
「言わへんっ」
 すねる凛。
 子供じゃないんだから、と言いたくなるような膨れっ面。もしかしたら、凛は素直な正直者ではなく、まだ大人になりきれていないただの子供なのかもしれない。
 自分よりもはるかに背が高いくせに、目が離せない。
(仲間にして、正解だった)
 四人でいるときでも楽しかった。大きな不満はない。でも、それ以上に面白いことに、出会えるかもしれない。
 凛は、そう思わせるほどの逸材なのだ。
「セイガとは、どうやって知り合った?」
「いーわーへーんー」
 強情張りめ。
 両手で両耳をしっかりと押さえている凛に、柊は目を眇める。
 清雅は清雅で、余裕綽綽っぽく、こちらを眺めている。
 こっちの被害妄想かもしれないが、清雅には独特の優越した雰囲気がある。本人にその気はないのだろうと。実際、清雅はいい奴なのだ。
 でも。

(気に入らないね、それ)

 柊はちょっとした悪戯を思い付き、飛水のジャージをつかんだ。
「なに?」
 長い付き合いである。それだけでこちらの意志が通じ、声を潜めてくる。
「セイガって、リンのこと特別扱いすぎ。ちょっと懲らしめてやりたい」
「どうやって。言っとくけど、暴力ネタはパス」
 細かい注文はするものの、断ったりはしない。
 柊は、人から『悪魔のような』といわれるチャシャ猫のような笑みを浮かべた。
「リンも手伝わす」

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