1時限目 転校生  前編



 私立弥瑛高校は、東校、北校、南校、西校と、専門別に校舎が分かれている。
 スポーツ校である東校。進学校である北校。姉妹校として近畿に建つ南校。そして、特殊推薦がなければ入学できない西校。
 本編は、その西校が舞台である。

「転校生が来るって?」
「今どき、名前も性別も説明しない学校って、弥瑛だけだよね」
「生徒同様、教師もお祭り好きだから」
「せめて何処から来たってぐらいは教えてほしいよな」
「そんなの、言うだけ無駄。言えば絶対教えてくれないよ。この学校は、そういうところなんだから」


 一年四組に転校生がやってくると教師から説明があったのは、六月の最終日だった。つまり、昨日のことである。
 すでに夏の空気を漂わせている外とは裏腹に、完全空備の校舎内は快適温度より少し高めに保たれていた。
 HR前の忙しい朝の時間、珍しく一年四組は静かだった。完全な静けさではなく、辺りからひそひそと小さな声が聞こえるぐらいの静けさ。そして、そのヒソヒソが何十にも重なったザワザワとした落ち着かない雰囲気。
 誰もが得体の知れない転校生を密かに待ちわびていた。
 窓側の後ろの席を占領している集団以外は。
「須磨、男か女か賭けようぜ」
 後から二番目の席に座り、窓の桟に背中を預けた茶髪の男がそう言った。
 辺りの密やかな声を気にも止めない調子の声。その声に合唱するように須磨と呼ばれた少年が少々甲高い声で応えた。
「三ノ宮は賭けが好きだな。オレっちは男」
 小柄な男の子で、身長は160あるかないか。
「おれは女だ。大野は?」
 三ノ宮が自分の後ろ、列のいちばん後ろの席にいる男に声をかけた。
「さあ・・・・・・」
 興味なさそうな抑揚のない声に、慣れているのかそれ以上追求しなかった。代わりに大野の隣の席にいる長髪の男に持ちかける。
「八条は?」
「どちらでも」
 涼やかに答える八条に、三ノ宮と須磨は二人揃って肩を竦める。
「この二人に聞くのが間違い? いくら賭ける?」
 語尾を断定的に切る特徴的なしゃべり方をする須磨に、三ノ宮はニヤリと笑う。
「今日の昼飯とおやつ」
「のった!」
 この会話を聞いて、八条は同じように肩を竦めた。

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 職員室から担任の背中だけを見て歩いていた時、その担任に名前を呼ばれた。
「若生くん」
「あ、はい」
 少々イントネーションの違う返事の仕方を、担任は無視した。もしかしたら、気にならなかったのかもしれない。
 とにかく、若生は方言をできるだけ出さないよう注意を払った。
「実は、君が来ることをまだうちのクラスは知らないんだ」
「えっ?」
「転校生が来るという話は昨日したんだが、その際、すべての情報を隠した。もちろん出身も。だから、覚悟を決めたほうがいい。問題児が多いクラスだから・・・・・・」
「ふ、不良かなんか、ですか?」
 転校早々ついてへん、と若生は心のなかで呟いた。
「不良というか、まあ、アウトローな奴らなんだ。協調性は一応あるし、リーダーシップはとれるし、仲間想いだし、言うことはないような連中なんだけど、まあ、ちょっとな」
 その言い方に、理解しろというのがおかしい。
 若生は曖昧に首肯きながら、緊張で高鳴る動悸を、深呼吸で落ち着かせた。
「ここだ。質問攻めの用意はいいかい?」
 一組から四組までの長い道程を、短く感じた。一年四組と印刷されたプラスチックのプレートを、若生は息込んでにらむ。
 白いものが混じった担任の言葉に、若生は最後の深呼吸を繰り返す。
「はい、いいです」
「じゃ、行こうか」
 ノブを回し、外開にドアを開ける担任。担任の背中につき、教室に入る。入った途端、どこからか舌打ちのようなものが聞こえた。
 教室は違和感に満ちている。それは疎外感ではなく、初めて見る顔ばかりだから。そう納得付けて、若生は背をのばした。
 全員が自分に注目している。前の学校では目立つことのなかった自分が。
 教卓の横に立たされ、担任は黒板に『若生 凛』と大きく書いた。チョーク塗れになった指をこすり、「チュウモクー」と声をかける。
「今日が転校初日になる、若生凛くんだ。まず若生くんから自己紹介してもらう。質問タイムはそのあとだ。いいな?」
 担任が若生に場を譲る。
 代わりに教卓の前に立ち、第一印象を良くしようと、顎を引く。
「若生といいます。京都から来ました。よろしくお願いします」
 発音ははっきりと。
 それは守れた。よし、と心の中でこぶしを握ると、改めてクラスメイトたちを見渡す。興味津々の顔ばかり。とりあえず、これまでに失敗はない。
「それだけか? なら、質問タイムに入るとするか。質問がある奴は手を挙げろっ!」
 今時、まるで小学生のような扱い方をする教師である。
 変わっている学校とは聞いていたが、そんなでもないんじゃないかと、若生は思った。
 パラパラと手が上がる。それも男子ばかり。
「廊下側から一人ずついけ」
「はい。若生くんは前の学校で何かクラブ活動をやっていましたか?」
「えーと、帰宅部でした。この学校でも帰宅部で通します」
 今度は真ん中の席の男子。
「京都は美人が多いって聞くけど、彼女はいた?」
 その質問に、辺りから野次が飛ぶ。特に女子は嫌そうに苦笑した。
「残念ながら、いません。美人が多いって言っても、普通ですよ、みんな」
「じゃ、次はオレね。若生くんの特技って何? もちろん、特殊推薦の内容だけど」
 その途端、みんなの顔が真面目になる。
 弥瑛西校に在学する生徒は、例外なく、何かしらの特殊能力を持っている。特殊能力の持たない者は、西校から推薦はとれない。推薦がとれないと、入学できない。
 完全推薦制のこの高校は、他の高校とかなりシステムが違うのだった。その例に、貧乏学生である若生が私立に通えるというこの事実がある。そして、若生のような異端者たちの救いの場になっているということ。
 若生は、改めて自分が他の人と違うのだということを理解した。さらに、自分のような存在が数多く存在するという目の前の現実に、安堵感を感じた。
 それでも、かなり困った窮地に立たされたが。
「えと、すみません。デモストレーション出来るような能力じゃないんです。言葉で説明できる能力でもなくって。その、つまり、すみません」
 結局謝ることしか出来なくって、若生は溜め息を漏らした。
(せっかく質問してくれたのに)
 しかし、後悔の念に支配されるまもなく、次の質問を出される。
「京都から来たって言ったけど、関西弁、話せる? 今もちょっとイントネーション違うよね?」
 今度は窓側の女子生徒からだった。
 若生はやっぱりその質問が来たか、とうんざりすると、あきらめたように首肯いた。
「関西弁、話します。今日は初日だから、目立たないようにしようと思っていたんだけど、えっと、やっぱり発音おかしいですか?」
「変な標準語使っている今の方が目立つと思う」
 周りのクラスメイトもはっきりと首肯いていた。
「気にすることないと思うよ? この学校にいる人、色んなところから来てるから。ね」
「うん。関西弁なんて、ましなほうだよ。自然でいこうよ」
 女子から励まされ、若生は頬を赤くして感激した。
(ええ人ばっかしや)
 すでに関西弁で考えている。
「おおきに。ちょっと、気が楽になった」
 ほのぼのと笑い合っていると、先生が割り込んできた。
「他に質問はないか? ないなら授業再開する。若生くんの席はこの列の後だ。一つだけ空いているから分かるだろう。隣の八条に色々と聞くといい」
「はい」
 窓側から三列目。その一番後ろ。特等席だ。
 二列目の一番後ろには、見事な髪の長い男子がいる。顔を背けているので顔が分からない。四列目の女子生徒が八条だろうか?
 若生が困っているとき、窓側の後から二番目の男が声をかけてきた。いかにもな二枚目の男で、甘いマスクの持ち主と言われそうなほどの色男だった。
「若生。おれ、三ノ宮。よろしく。ちなみに八条はこいつ」
「あ、よろしく。三ノ宮くん」
 八条は、二列目の男子だった。
 目的の席に着くと、リュックを床におろして八条の方を向いた。
「八条くん? これからよろしく」
「・・・・・・」
 無視された。愛想がない男だった。
 若生はここで引き下がる男ではなかった。
 八条の腕をとり、顔をこちらに向けさせようとする。何としてでも声を出させる。
「八条っ、よろしくってば」
 しかし、相手は頑固にもこちらを無視し続ける。顔も背けたまま。
 三ノ宮が間に入ってくる。
「八条、らしくないぜ? 人見知りにも限度があるだろ? 若生、悪いな。普段はこうじゃないんだけど・・・・・・」
 三ノ宮は、眉を顰めて八条を注視している。周囲のクラスメイトもこちらを見守っている。どうやら、八条の人見知りは有名らしい。
 これはお友達にならなければと、若生は俄然、張り切った。
「そうなんか。八条、俺もいま緊張してるから、おそろい同志、仲良くしよ」
 八条の腕をつかんでいる自分の手のひらに、八条のかすかな震えを感じた。
(あともう一押し)
 若生は席から立つと、回りこんで八条の顔をのぞき見た。のぞき見た途端、若生は自分の機能が停止したのをはっきりと確認した。
 八条は、かなりの美人だった。
 しかし、若生はそんな理由で驚いたわけじゃなかった。
 切れ長の瞳、薄い唇、古風な顔立ちの、幼さなど一筋も見せない強烈な視線。

「――― 相変わらずだな」

 その声は、昔よりもいくぶん低めで、まるで知らない人の声みたいだけど。
「――― せいが?」
 昔、とても仲良くしていた幼なじみ。
 清雅と書いてセイガと読む名前に、あの頃は子供ながらに羨ましく思うかっこいい名前だった。なぜなら若生の名前は、女の子みたいだからだ。
 突然の引っ越しだったから連絡も付けられず、とても淋しい思いを過ごした日々が若生のなかに湧き出てくる。まるで走馬灯のように。
「清雅か? まじで? まじで清雅なんかっ!?」
 若生は思い余って、八条に抱きついた。途端に聞こえてくる女子たちの黄色い悲鳴。男子の悔しそうなうめき声。
 三ノ宮は面白そうに頬を歪め、須磨は口笛を吹く。大野は、ちらりと様子を伺っただけで、すぐさま視線を教科書に戻した。
 当の八条は、苦しそうに眉を歪め、整えられた髪を乱している。
「清雅っ! 何でここにおんねんなっ。こんなところで会えるなんて思ってもみぃひんかったでっ? 世間が狭いってこういうことを言うんやろうなぁ。ちょお、俺のこと忘れてへんよなっ? 小学校ん時、近所に住んでたやんかっ」
 別れが突然なら、再会も突然である。
 留めなく流れてくる関西弁に、八条はうんともすんとも言えない。
 ただ、顔を青ざめるばかり。
「なに? 知り合いなの?」
 三ノ宮の問いに、若生は大きく首肯いた。それも何度も。
「さっきの京美人の話やないけど、ほんま清雅は美人さんやった。清雅見た後に舞妓さん見ても全然普通に見えてな、彼女なんて作る気になれへんかった言うんが真相やねんけど」
 『美人』という単語に、大野以外の教師を含めたクラスメイトの顔色が青褪める。
「ほんま、成長して一段と美人を上げたなぁ。髪の毛も伸ばしてるし、ほんまもんの女の子みたいや。な、そう思わんっ?」
「お、おい。それ以上は止めといたほうが身のためだぞ?」
「え? なにが? ・・・・・・清雅? 顔色悪いで? 平気か?」
 クラスメイトたちの心中など知らず、若生は八条の顔を覗き込む。
 頬は青褪め、唇には歯をたてられて白くなり、痙攣を繰り返している。
「清雅、大丈夫かいな」
 ガタン、と大きく椅子を引き、八条が立ち上がった。
 全員が八条の次の動作を待つ。クラスメイトはすぐにでも逃げ出せるように用意し、三ノ宮と須磨は大野の前に身を寄せあう。
 緊張の糸が、張り詰めていた。

「――― 若生。お互い、もう子供じゃない。馴々しくするのは止めてほしい」

「え・・・・・・っ」
 幼なじみはそれだけを言うと、まるで風のようにその場から消え去っていった。
 若生は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 若生は幼なじみに再会できて羽目をほずす程に嬉しかった。だから、八条も自分と同じ気持ちでいると思っていた。
 でも八条は、それを迷惑だという。まるで、知らない人に接するみたいに。
「・・・・・・清雅っ」
「まてっ」
 八条を追おうとして方向転換した途端、三ノ宮に腕をとられた。
「おれらは八条の友達でね。だから、このままお前を行かせるわけにはいかねぇんだ」
 今までの親しそうな表情は鳴りを潜め、凶悪な気配を三ノ宮は取り巻いていた。
 仲間の異常な恐怖心を敏感にも感じ取っていた三ノ宮は、このまま原因である男を仲間の元へ行かせるのは危ないと判断したのだった。
 若生はその迫力に戸惑うものの、直ぐ様言い返した。
「だから、謝りに行くんやんかっ!」
 そのまま腕を振り払うと、教室から飛びだそうとする。
「セイガは屋上にいるからっ」
 須磨が追い掛けるようにそう叫んだが、若生に聞こえたかどうかはわからない。
 すでに教師は授業は放棄しているらしく、今日の授業内容を黒板にダラダラと写していた。真面目な生徒は、遅蒔きながらそれらをノートに写している。が、大半の生徒は後のグループに最大の注意を向けていた。
 いわゆる、教師が言っていた問題児のグループである。
「須磨っ、何で教えたんだよっ!」
 三ノ宮が須磨の襟元をつかんで喰ってかかっていた。
「若生はいい奴っ。すっごく真っ白な匂いがした。オレっちを疑うのかっ!?」
「八条は怯えてたんだぞっ!?」
「それでもっ! セイガはキレなかった! それが理由にならないっ!?」
 三ノ宮は言葉に詰まった。
 八条は、自分の女のような容姿に対してひどいコンプレックスをもっていた。
 整った顔形も、白い肌も、黒く長い髪も。そして男にしては細い肩幅に。
 物心つくまえから「可愛い」「綺麗」と言い続けられ、それ以外の言葉で表現されたことがないため、敏感に「綺麗」「可愛い」「美人」といった表現に反応するようになった。
 以来、そのような単語を自分に使われたら、八条はキレるようになった。かなり最悪な狂暴者に。すでに弥瑛では怪我人が続出しており、今では校内で八条の容姿を語るものは滅多にいなかった。
 だから、若生が八条の容姿を述べたとき、クラスメイトは慌てたのだ。八条がキレるから。キレたら、関係なしに巻き込まれてしまうことを。
「セイガは若生にたいしてキレなかった。セイガにとって、若生は特別。だから、教えた」
 須磨の言い様に、三ノ宮は納得するしかなかった。
 八条がキレなかったということは、それだけ若生に気を許しているということである。
 掴んでいた襟を放し、邪魔っ気な前髪をかきあげる。その行為で冷静になった三ノ宮は、すでに飄々としたいつもの顔を取り戻していた。
 席につき、教科書を広げる。
「先生、すみませんね。授業始めてください」
 その一言で、クラスが動く。出ていった二人のことなど、気にもしない。
 何もなかったように授業は始まった。そして思い出したように担任はつぶやく。
「それにしても須磨、三ノ宮。お前たちは本当に問題児だな。まともな転校生を自分たちの色に染めるなんて」
 担任の言葉に、クラスに忍び笑いが広がる。
 三ノ宮と須磨は、心外とばかりに楯突いた。
「先生、誤解っすよ。おれたちもびっくりなんですから」
「そもそも、弥瑛西に入ってくる奴にまともは存在しない」
「その中でもお前たちは特に問題児なんだ」
 ますます忍び笑いが広がる。笑いの輪は大きくなり、馬鹿笑いする奴もいる。
「そして、お前たちは馬鹿でもある」
「何だってば、それ」
 少々立腹気味に須磨は唇を尖らせた。
「何だはないだろう。当然の感想だ。転校生の若生に屋上と教えて、場所が分かるとでも思っているのか?」
 笑いの渦がいきなり消えた。
 そして次にくる衝撃。

「「そうだったぁぁぁっ!!!」」

 そうして、空席は五つに増えたのだった。



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