■ 卒 業 式 ■
中学生活、最後の日。それは卒業式。
少々の曇り空は、否応もなく、わたしの心を沈ませる。
最後の日。
それは、好きな人と過ごす最後の時間だと、わたしを知らしめる。
「海都、後輩が写真撮ろうってさ」
「わかった」
同じ美術部だった真純が、花束をもってわたしを呼ぶ。
わたしも負けないぐらいの花束を抱えて、そちらに行く。
「先輩、こっちこっち!」
わたしの気持ちなど知らぬげに、後輩や同級生たちは元気だ。わたしとしては、最後なのだから、告白というものをしてから帰りたいところなのだが。
美術部は、女子しかいない部で、男子はいたとしても数人。故に、わたしの周りも女子いかいない。気楽といえば、気楽。
何枚も写真を撮り、他のグループにも奇襲して写真を撮り捲り、一段落したとき、わたしは何時の間にか一年生女子たちに囲まれていた。
「菅先輩、お願いがあるんですっ」
美術部の見知った後輩以外にも、知らない一年生たちが一斉にわたしに頭を下げてきた。
「な、なにごとっ?」
「菅先輩、三鷹先輩と仲がいいですよね。あの、写真を撮ってくれるように、言ってくれますか? お願いしますっ!」
「お願いします!!」
嫌だ、とわたしは思った。
三鷹くんは、三年間同じクラスメイトで、わたしの友達で、好きな人だからだ。
でも、だからこそ、この子たちの気持ちもわかった。
「うん、いいよ」
「本当ですかっ? ありがとうございます!」
「お礼はまだ早いよ。三鷹くんががOKするかどうか、わからないもん」
わたしはそう言うと、一際女の子たちが集まっているところへと向かう。一年生たちも、わたしのあとをズラズラと付いてくる。
三鷹くんは、サッカー部である。ちなみに、ゴールキーパーである。
いわゆる、もてもて君、という奴である。
校門近くの体育館の数段高くなった入り口のところに、サッカー部は陣取っている。
階段下には一年から二年、はたまた卒業生たちも交ざった女の子たちでごった返していた。ここで交渉するには、かなりの勇気が要る。
わたしは振り返り、一年生たちに引きつった笑顔を見せる。
「覚悟は、いい? 周りから非難受けると思うけど」
「覚悟の上です」
そうまで言われちゃ、断れない。
わたしは意を決して、女の子の集団のなかに飛び込もうとした。
「あ、菅っ!!」
名前を呼ばれた。それも、目指していた本人から。
「み、三鷹くんっ?」
「ようっ! 何だ、お前もボタン欲しいわけ? 残念、もうありませーん」
手を伸ばす女の子たちを掻き分け、三鷹くんがわたしの前に現われる。
学ランの金ボタンは、本人の言うとおり、一切なかった。袖口のボタンでさえ、ない。
狙っていないわけでもなかったので、ちょっと悲しくなる。
「お前、花少ねぇーな。ちょっと待ってろ」
言うだけ言って、三鷹くんはまたもや人込みに消える。
わたしは呆気にとられて、写真のことを言えなかった。
「ごめんね、もうちょっと我慢してて」
一年生たちは、おとなしく首肯く。中には三鷹くんのボタンをみて、泣いている子も。
気持ちはわかる。でも、わたしの気持ちもわかってほしい。
最初から集まっていた女の子たち(ファンたち?)は、きつくわたしたちの方を睨んでいる。三鷹くんと仲がいい、わたしのことを知っている女の子たちだろう。
三鷹くんは、すぐに戻ってきた。
「はい、これ。やるよ」
わたしは、今までもっていた花束の約三倍はある花束を手渡された。ピンクのカーネーションに、真っ白なアクセントの小さい花。黄色い花びらに真っ青なリボン。
受け取ったとき、花束のせいで三鷹くんの顔が隠れる。
「俺が持っててもしょうがないしな。で、何の用?」
「誰が三鷹くんに用があるっていったっけ。自意識過剰も程々にね」
「・・・・・・じゃ、誰に用だよ。呼んでやるから言えよ」
墓穴。
「三鷹くんに、用があってきました」
三鷹くんは、ほれ見たことか、と言わんばかりに笑った。
「なに」
「この子たちと、写真とってほしいの」
「写真? いいけど、一人づつは無理。全員じゃ駄目か?」
その言葉に、一年女子一同は、揃って頭を振った。
「全員でいいです。お願いします」
一人が、代表して言う。そしてデジカメを取り出した。
わたしはそれを受け取り、操作の説明を受ける。
「菅は入らねーの?」
「誰が撮るの?」
わたしは集団から離れ、デジカメを持って構えた。
「撮るよー。はい、チーズ」
ジー、という機械音をさせ、わたしはボタンを押した。フラッシュが、わたしの心を突き刺す。いったい自分は、何をしているのかと。
「菅先輩、ありがとうございました」
「いいえ。わたしが出来たことなんて、ほとんどないから」
同じ美術部の女の子は、物欲しそうにわたしの花束を見つめ、頭を下げた。
花はいつか枯れる。そして、消えてしまう。
あげられるものならば、あげたい。
わたしが欲しいのは花ではなく、一つの心なのだから。
「じゃ、わたし、帰るね。三鷹くん、お花、ありがとう。お礼に、わたしの名札をあげるね。要らなかったら、わたしが見ていないところで捨ててね」
わたしは胸ポケットに刺していた青いプラスチックの名札を三鷹くんに渡した。
告白する気なんて、とうに失せてしまった。
だから、想いと一緒に名札を渡す。想いとともに、捨てられるのもいい。
「じゃ、バイバイ、三鷹くん。元気でね」
もう会うこともないね。
住んでいるところは反対同士だし、唯一の接点といえばこの学校しかなかった。
簡単に引き下がれたってことは、本当の恋じゃなかったってことだね。
三鷹くんの返事も聞かないで、わたしはさっさと踵を帰して校門を出る。この門を出てしまえば、もう、戻ってくることはない。もう、戻りたくても戻れない。
わたしは、女の子たちに囲まれているだろう三鷹くんを見ないために、ただ真っすぐ前を見て、歩いた。
前に進むたび、後ろの学校での喧騒が聞こえなくなる。
本当にこれでお別れなんだな、とわたしは思った。
卒業式の途中だって泣けなかったし、友達が泣いてても連られて泣けなかったし、泣けよと背中を叩かれても、泣けなかった。涙一筋でさえでなかった。
鼻の奥が、つんとする。
胸が気持ち悪くなって、呼吸が難しくなる。
連動して、頬を流れるもの。
「――――― っ」
声だけは、出してはいけない。顔だって伏せてはいけない。泣いていると悟られてはいけない。肩だって震わせてはいけないのだ。
大きな花束を抱え直し、周りから見えないようにする。
甘い香りが、肺のなかを一巡する。少しだけ、落ち着いてくる。
ハンカチを取り出して、涙を拭く。もう、涙は止まっている。
「菅」
今まで、何度となく呼ばれ、聞き親しんだ声。三鷹くんの声だ。
幻聴まで聞こえてくるなんて、かなりいかれた頭。そして腐った耳。
「菅ってばっ」
もう一度聞こえたとたん、今度は肩を捕まれてしまった。
幻聴ではなかったのかと、わたしは自分の目を疑った。幻覚かもしれない。
それにしてはリアルだし、捕まれている肩には、しっかりとした体感。
「三鷹くん?」
どうして、とわたしは呟く。
「菅の用、まだ聞いてない」
「あれは、一年生の写真のことだよ。わたしは関係ない」
「嘘つけ。あるだろ、俺に言わなきゃならないことが」
「ないってば」
「いいや、ある。早く言えよ」
何時に無くしつこい三鷹くん。
三鷹くんの黒目勝ちの目が、わたしの目を見つめている。初めて会った頃、三鷹くんのこの瞳が苦手だった。何時からだろう、平気に思うようになったのは。
わたしは戸惑うように、口を開いた。
「何を言っているのか、分からないよ」
「ほんとに?」
言いたいことはある。
一言、「好き」だと言いたい。
けれど、この想いは先ほど、三鷹くんに名札と共に渡した。一度手放した勇気は、そう簡単には戻らない。手放した分の倍の勇気を必要とする。
結局、わたしは俯いてしまう。花のなかに埋もれてしまう。
「言っちゃえよ。聞いててやるからさ」
どうして三鷹くんはそんなに、わたしに何かを言ってほしいんだろう。
もしかして、期待しても良いんだろうか。
「三鷹くん、その」
言葉が続かない。
中学校生活最後の日。
「好き」だと言って断られても、もう会うことはない。いい区切りになる。
今までのようなお友達関係が大好きなわたしとしては、とても今の関係を壊す気にはなれないけれど。
それでも、今はチャンスで、三鷹くんと二人っきりのチャンスだから。
「その、言いたいことは、あるの。ちゃんと、言おうと思って」
「うん」
もう、三鷹くんの顔が見れない。ええい、ままよ。
顔を真っ赤にして、わたしははっきりと言った。
「わたし、三鷹くんのことが好きだったの」
「俺も菅のこと好きだったぜ」
重ねられた言葉。
何を言われたのか分からなくて、思わず顔を上げて三鷹くんを見る。
「好きだ。付き合ってくれ」
変わって、真剣な表情。本気なんだと、理解した。
「菅、返事」
「あ、その、うん。あの、わたしも、好きです。付き合ってください」
三鷹くんがわたしの手を握った。
少しだけ頬が赤い三鷹くんは、わたしの大好きな笑顔で笑っていた。
終
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