外は夜。月は雲に隠れ、地面を闇に包んでいる。
 そこへ、さらに濃い闇が収束するように現れた。闇は人型をしており、目を懲らせばフードを深く被り、時代錯誤的なローブを身に纏っている事が分かる。そして、唐突に現れた闇は、また唐突に消えた。


世界を終わらせる少女と、生を終焉させる死神。


 白い部屋。白い天井に白いカーテン。白いベッドに白いパジャマ。白が清潔だと信じているような、そんな部屋に少女はいた。
 部屋の前のネームプレートには、『桐谷聖香』とある。しかし端の草臥れた様子が、長い年月を物語っている。
 その白い病室の中、カタカタと細かい音がしている。窓辺にはカーテンが引かれ、花の生けられていない花瓶が唯一の娯楽と化している。そんな中、生活臭が唯一しているベッドの中で、背中にクッションを当て、必死にノートパソコンの液晶画面を見つめながらキーボードを打ち続けている少女がいる。部屋の持ち主、桐谷聖香である。
 聖香は看護婦の最終見回りが済んで以来、ずっと指を動かしている。ただ、見事なブラインドタッチを決めながらも、動きは緩慢である。指が震えるのか、何度もback spaceやdeliteを押している。

「限界だな」

 聖香しかいない病室で、男の声が響いた。それも彼女の近くで。しかし彼女は驚いた素振りも見せず、まるで聞こえなかったように指を動かし続ける。もしかしたら、本当に気付かず、聞こえていないのかもしれなかった。
 クッションに凭れる聖香の右隣。重たげなカーテンの引かれた窓から靄が生じ、闇が収束する。そしてそれは人型を取った。闇のローブとフードを被った長身の男である。フードが微かに揺れる。首を傾げたようだ。
「・・・・・・見えていないはずは、ないんだが・・・・・・」
「だれ?」
 ノートパソコンの画面から目を離さずに聖香は尋ねた。
 事に集中しすぎてドアをノックされても気付かない事は多々ある。すぐ隣で声をかけられても聞こえない時がある。そんな彼女は、突然の出来事に強い。むしろ、自分が気付かなかっただけだと思っている。
 長身の男は少しだけ頭を上げる素振りを見せてから、少女の質問に答えた。
―――― 君の担当を受け持っている死神だ」
「じゃ、死ぬんだ、わたし」
「明日の21時に」
「それって今日?」
 ノートパソコンの画面下のデジタル時計は日付が変わって数時間経っている事を報せている。
「いや、明日だ」
「あ、そう」
 ずっとキーの打つ音は途切れない。が、会話は途切れた。死神は少しだけ頭を傾げた。その弾みでフードが少しだけズレる。腕を伸ばし、フードを下ろした。現れたのは、明らかに人間離れした美貌。白磁のような肌。そして闇より深い、漆黒の髪と瞳だ。
「・・・・・・恐くないのか?」
 魂に差はない。ただ、歩んできた生によって質は変化する。そして大人よりも子供の魂の方が、純粋でいた時間が長い分、質が良い。そして、そんな魂が恐怖に震える時が、いちばん輝きが強いのだ。
「なんで?」
「死ぬということが」
「死なない人間がいるなんて知らなかった」
「たしかに・・・・聞かないな」
 死神は苦笑を盛らした。そんな様でさえ見事に造形が決まっている。が、唯一の観衆である少女は、ノートパソコンにCD−Rを入れ、バックアップを取るのに忙しく、会話も面倒臭そうだった。
「でも、自分の存在が世界から完全に消えて、それでも動いている世界に、恐怖は感じないか?」
 ぴくり、と少女が反応した。じっと画面だけを見ていた視線が、画面を通り過ぎたのだ。
 そして少女は首を持ち上げた。ここまで会話を交わし、初めての邂逅である。
 死神は驚いた。少女の、強い力を持った瞳に。そこに、動揺や恐怖ではなく、勝ち誇った色があることに。
「わたしね、世界を滅ぼすことが出来るんだよ」
「ふん?」
「簡単なんだよ。どうして誰も気付かないのか、ずっと不思議だったんだけど、でも、もうすぐ完成するんだ」
――――――
 死神は瞳を見開いた。先程から少女が行なっている行為の説明が為されたからだ。
「明日まで時間があるなら、完成するよ」
「・・・・・・なぜ、世界を?」
 子供の戯言と、死神は思わなかった。真実だと気付いたからだ。
「やはり、自分の病を呪って?」
 それが、人間の正常な思考だろう。むしろ、判りやすかった。
 が、死神はさらに少女に驚かされる。

「わたしが存在しない世界に、何の未練があるのさ」

 純粋なまでの子供。
 子供ゆえの純粋さ。
 でもそれが、少女の魅力だ。
―――― そうだな。お前のいない世界は、確かにつまらなさそうだ」
 でしょう? とやっと子供らしい得意満面な笑顔を出す少女に、死神は微笑む。
「俺の出番はまだか」
「うん」
「そうか・・・・まだか。それなら、出番が来るまで待とう」
「そうして」
 彼女は死神を見ずに、目の前の液晶の数字を見つめながら告げる。死神は彼女の真剣な横顔を見つめて、また微笑む。
「それじゃあ聖香。俺の名前を教えておこう。君に必要なキーワードだ。俺の名前はイシフール。覚えておいてくれ」
 少女はもう死神の声も姿も認識しない。それだけの集中力でもって世界を壊すことに熱中しはじめた。
 部屋の片隅で、死神はそんな少女を一心に見つめながら、しかし微笑を浮かべ、次第に存在を消していく。淡く、薄く、そして最後は欠けらも残さずに消えた。
 最初から最後まで、部屋は少女が叩くキーの音に支配され、いつもと同じ日常のなかに、埋没していった。


 壁に寄せられてある空調の音で、少女は朝を迎えた。昨日の夜、少し夜更かしをした。しかし、少女はプログラムを完成させていた。
 今日は、完成されたプログラムを見なおす。完璧だ。昨日だって見なおした。でも、今日一日、様子を見る。本格的に始動させるのは、明日ぐらい。明日が、限界。それ以上時間をかけると、少女の体力が尽きる。キーを一つ叩く体力さえ、適わなくなるだろうから。
 窓から差し込む朝日。カーテン越しにも眩しく、今日は快晴だ。
 いつもと同じ窓からの景色はもう飽きた。
 少女の中では、世界は窓から見える景色だけのもの。それだけじゃないことは知っているけれど、彼女の病気がそれ以外の景色を許さないため、やはり、彼女の中では世界はそれ一つだった。
 それでも、雨は淋しく感じるし、晴れると心が気持ちいい。
「死神って、・・・・・・死んでも会えるものなのかな・・・・・・」
 死ぬ準備は出来た。
 死神が姿を現した時が、世界が破滅を導く合図。
 世界の最後は見れないけれど、始まりは自分の中にある。
 なんて楽しいんだろう。なんて面白いんだろう。
 きっと、世界を作った神様も、こんな感じだったに違いない。
「早く来ないかな、死神・・・・・・」
 少女は微笑む。まるで、天使を待っているかのように。


 そして ―――― ・・・・



 ・・・・・・・・・・・・世界は壊れなかった。



 壊れるための切っ掛けが、少女の元へ訪れなかったからだ。
「良かったわね、聖香。本当に、本当に・・・・回復するなんて・・・・・・っ」
 娘の病気を知って涙脆くなった母は、病気が回復してもそのままだった。
 あの夜以来、いつまで経っても死神は現われなかった。それどころか翌朝の定期検査で身体の異変が変化し、夜の21時になっても聖香は生きていた。
 聖香はまだ生きている状態で、世界を壊すためのプログラムを起動させるわけにはいかなかった。なぜなら、自分がいる状態の世界には未練があったからだ。
「死神・・・・・・」
 もしかして、と思う。反面、まさか、と思った。
 でも理由がつかなかった。自分の身体のことは自分がいちばんよく知っている。生き延びて良いはずがないのだ。
 なのにあれから一年が過ぎ、退院は間近。ずっとベッドに寝たきりの生活だったためにリハビリに長期の努力が必要だけど、でも、確実に生き延びている。
「・・・・・・思うのは自由だ」
 死神が助けてくれた。きっと、世界を壊さないために聖香を生き延びさせた。死神のくせして正義のヒーローやってくれた死神を想い、聖香は晴れた青空を見上げて微笑んだ。

「ありがとう、死神」

 お礼に世界滅亡計画には死神の名前から取って『イシフール計画』と付けてあげよう。



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+あとがき+

 本当は、死神が自分の命を使って少女を生き返らせた、という話にしたかった。なのにどうしてもそのシチュエーションが入らない。入る切っ掛けが思い浮かばない。だから省きました。名前を知られた死神は死ぬ、とかいう設定もあったのにー。
 名前を使わせてもらった『聖香』と『イシフール』、ありがとうございました。

06.05.20

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